鋳物というものは同じ形のものを大量生産する時に非常に便利な手法だ。とはいえ、鋳造のためには使いたい材料の融点が低い必要がある。かつて私がいた世界では鋼を溶かして型に流し込むだけの高温を扱う技術が確立されていたが、そうではない時代には色々と大変だった。そういった時代に作られた技術の一つが白心可鍛鋳鉄。セメンタイトを主成分にした白銑を酸化剤で包み、熱処理をして炭素を遊離させる。なおこの手法は中国では紀元前から知られていた。本当にこれが厄介で、どういうわけか私が考古学者から依頼されてXRDの撮影に立ち会うことがあったりする。まったく、文系の大学院生がどうしてミラー指数を知っているんだ?工業高校でやったからですが……はい……。
本題に戻ろう。黒心可鍛鋳鉄は1826年にセス・ボイデンが作った。これは炭素をそこまで完全に遊離させないもの。いずれにせよ数日レベルの熱処理が必要だし、一度作ったものを溶かすためには鋼を溶かすような温度が必要で、冷やして固めたものはただの銑鉄と同じになってしまう。あまりよくない。
とはいえなぜ鋳鉄は展性がないのだろうか?言い換えれば、なぜ炭素成分が多いと割れやすく、脆い合金になるのだろうか。これは顕微鏡スケールで観察するとわかる。普通に徐冷して作ったねずみ鋳鉄では、筋状の黒鉛が見られる。まあ本当は断面が筋に見えるだけなのだが。これが鉄の結晶の間に挟まっているせいで、ある種の弱点になってしまう。黒鉛は非常に柔らかいので、そこが滑ることできちんと力を受けることができなくなるのだ。
これを変えたのが第二次世界大戦後に生まれた
で、ここで問題になるのが添加物である。私の知る一般的な方法では不純物の少ない鋼鉄に微量の金属マグネシウムかマグネシウム合金を混ぜることで
「……どういうことだ?」
私はサンプルと当時の史料を前にして頭を抱える。電気分解はそのための前提となる知識が必要だ。私の同類、つまりは電気が知られていた世界から来た誰かがいたのかとも考えたが前の場長は生まれた時からこのあたりにずっといて、基本的に真面目な人物だったらしい。私とは大違いだ。挑戦して失敗するのは別に珍しいことではないらしいし、自分の前の場長が作った技術を実用化レベルにまで引き上げた功績はあれども、逆に言えばその程度の人物のはずだ。
「落ち着け。別の可能性を考えろ。他の方法で製錬はできないのか?」
テルミット法のようなやり方ではどうだ?還元剤として別種の金属を使い、金属酸化物から単体を得る方法。駄目だ。その元の金属をどう作ったかが説明できない。そもそも還元剤ということはマグネシウムより反応性が高く、酸化物になりやすい性質を持つということだ。それをどう製錬したのかの問題は残る。
還元環境として水素雰囲気を使うのは?どうやって水素を作った?金属と酸の反応なら考えられる。候補の一つ。
「キイさん、見つけました!」
ケトの声がしたので私はその方に行く。積み上げられた紙は衙堂の記録だ。さすがに配合までは見つからなかったが、製鉄場で起きたことや代々の司士や司女の日記なども残っている。その中から該当するものを探してくれと頼んだのだが、見つけ出してくれたようだ。
「見せて!」
とはいえ内容は聖典語と北方平原語が入り混じったもの。どうやら当時は二人の職員がいて、それぞれ別の言葉で書いていたらしい。たぶん互いに読めはしたけど、得意な方で書くべきだと考えたのだろう。まったく、少し面倒なことをしてくれやがって。
「……火が上がる?」
「爆ぜる、に近いですかね。
おそらく対象の
「前後数月分を探そう。何かがあるかもしれない」
「わかりました」
ここらへんは専門である。こちとら変な断片的な記録から色々と見つけてきたのだ。使えそうな材料は結構出てきた。仕入れた鉱物。失敗した高炉の製錬。
「……たぶん、この鉄を使ったんだと思います」
この衙堂の司女が言ってくれる。彼女のアドバイスもかなり助けになっている。やはり持つべきものは現地の資料館に勤めて長い司書さんとかである。あとは当時を知る人たちから話を聞いたり。
「純度が高いわけだな。狙って作るのは難しいし、多くの鉄が無駄になるから今はやらないが」
そう言ってくれる職人の話を聞きながら考える。高炉の中にできた巨大な鉄の塊を割って、その中から実験に使うサンプルを回収したのだとしたら?マグネシウムと反応しそうな余分な金属は除去されている。銑押しで作られる玉鋼と基本的な原理は同じだ。
「だけれども、決め手が……」
そこまで考えて、私はある還元剤を思い出した。作るための素材は高炉の中にあった。必要な温度も満たしているだろう。なにより、実際その還元剤は