「……これでいいか?」
場長が筆を置いて言う。
「ありがとうございます。場長からの保証があれば、まず問題ないでしょう」
色々な人が書いた文字の下に、場長の名による便宜要請の一文と署名が入る。ちなみに彼は簡単なものであれば文章が書けるのだ。それがこの地位にまで登り詰めるのことのできた理由の一つかもしれない。
「しかし、若いとは惜しいものだな」
苦笑いのような表情を浮かべて、場長は私を見る。
「どういうことです?」
「良い目を持っていて、様々な知識を蓄えているが、それをまだ上手く活かすことができていない」
「……そういうものですよ。能力を活かし、学ぶことのできる環境が常にあるわけではありません」
私だって、これでもとても幸運なのだ。ここで学びたいと思えるような場所があったし、こっちの世界に来てからもいい人の出会いに恵まれていた。人の幸福に直接寄与できる発明や知識をもたらせたかというと怪しいが、たぶん私がいなければ今後千年かけて進むぐらいの科学技術水準まで半分とかそれ以下の時間で到達できるだろう。人口が少ないうちに十分な技術が揃っていれば、環境問題なんかのかなり大きな案件に取り組むことも多少は易しくなるはずだ。今の時点でも悪くない仕事をしたと言えるだろう。もちろんこれで止まるつもりは全くありませんがね?むしろここからが本領発揮である。
「都市ではやはり、経験することができないものが多いのかね」
「むしろ、かつてはそういったものに直接触れようとしてこなかったと言うべきかもしれません」
基本的に、産業や技術は私にとって紙や話者や史料や機械越しのものだった。直接何かを作ったり、設計して、それを売って利益や給与を得た経験は殆どないはず。現役の職人に経験不足と言われればはいそうですとしか言いようがない。
「まあ、一歩引いた所から見えるものもあるのだろう。これ以上言うと嫌味になってしまうな」
「構いません。あまり良くない言い方をしているのはこちら側ですから」
咳のような小刻みの笑いを立てる場長。そんな面白いかな。
「次は、工房街でしたかな」
「そうなりますね」
多くの職人が集まる、ここから川を下ったところにある場所。移動手段は船だ。ここで作られた金属を、更に上流の方で伐った木で作る筏に乗せて運ぶのだ。なので船人の帰りは徒歩である。
「知っている職人も多いが、求めるほどの腕を持つとなるとどうしても限られるだろうな……」
そう言って場長は何人かの名前を挙げる。メモを取ろうかと思ったがケトが記録してくれていた。こういう時にすっと隣りにいるから本当にありがたい。たまに怖くなる時もあるが。
「……あとは、もしかしたら気が合うかもしれん人がいる。ただ、これでな」
喉を指で弾くジェスチャー。発声障害の類だろうか?あるいは聴覚側の問題で聾唖になったものだろうか?吃音かもしれない。ああそうか、この手の障害に対しての医学的アプローチはこの世界にはたぶん無いんだろうな。私がいた世界だって長い間生まれなかったし、完全に存在していたわけではないのだ。ニュアンスから読み取るに意図的な差別心のようなものは感じられなかったが、まあ覚えておいた上であまり使わないようにしておこう。
「なるほど」
そうして場長が色々と工房街の話を教えてくれる。空気が良くないのはまあ、そうだろうなと思う。かと言って金属加工と高熱は切り離せないし、早めに電気炉とかを導入するべきだろうか?それなりにダムとか作れそうな場所もあるし、発電機をリバース・エンジニアリングしてもらうか。ニクロム線とかも欲しいがそもそもそういう金属は簡単には精錬できないものだしな。私が立てた仮説みたいに炭化カルシウムとか、あるいはマグネシウムやカルシウムみたいな金属で還元するか、電気分解とか、還元雰囲気での加熱とか。細かい方法一つ一つは覚えていないので、基盤構築を重点的にするべきだな。
あとは治安。図書庫の城邦に比べればちょっとよろしくないかな、ぐらい。基本的に全員で動けとまでは言わなくとも、ケトと同時に行動するべきとのこと。そういえばケトも大人扱いされ始める年齢にはなっているんだよな。印刷物管理局にいたときの業務の出来からすれば十分社会人としてやっていけるレベルにあるし。私のほうがまだ子供な気がする。
とはいえ労働環境は悪くないらしい。生産管理を上の方がやっていて、どうやら一定以上の質や量を作り出さないよう談合がなされているのだとか。一応は日の出ている間は働くが、その間に食事をしたり休憩をしたり後進の教育をしたりとでけっこうゆったりらしい。なかなかいいことだ。なおここは高緯度なので夏はそれなりに日が長いし、日の短い冬は活動が面倒な程度には雪が降る。ちょっと過剰評価をしすぎたかもしれないな。
「ともかく、よい旅を。『キイ嬢』*1」
場長は少し訛りのある発音で、最後に私の名前を言った。