両手で二つのロックレバーを押して解除し、脚に力を入れてペダルを踏むと音がする。ゆっくりと脚を持ち上げると、
「絶対に、周りに人がいないことを確認してから使うこと」
私の言葉に職人は頷く。単純だが安全装置として板バネで戻るレバーを押さないと加工できないよう仕込んでおいたから指を挟むこともないだろう。とはいえこれを大量生産に使うとなるとどんな使い方がされるかわからないからもっと安全性を高める必要がある。機械作業で集中することは必要だが、集中しないと事故を起こすような機械は欠陥品なのだ。
まあ、ピンとして使う円柱と綺麗な穴を作れるようになったので鋳鉄で適当に作った人力のプレス機である。理論上は1トンぐらい出るのかな。穴あけとか折り曲げとかに使える汎用的な代物だ。これでまた工作の幅が広がる。なお加工の最中に
『これで、細かな部品が作りやすくなるな』
「ある程度の数が要求されるものであれば、この便利さは捨てがたいですよ」
旋盤のような材料を削り取って形を作る切削加工は自由度が高いが、代わりに時間がかかる。一方でこのプレス機、まあ塑性加工みたいなものはセットして、圧力をかければ数秒でいける。一度で加工するのが難しいなら何回かに分けてもいい。転炉で低炭素鋼も作られているので、あとはロール技術があれば大量生産の時代が来る。なおロールについては製鉄場から漏れ聞こえる噂によればもう色々と試されている最中らしい。まあ、そう簡単には行かないだろうからしばらくは鋳物の薄板だ。プレス機で板を作ってもいいしね。
『後はこれを炉に入れれば良い、と』
「そうですね」
プレス加工においては内部に応力、まあひずみみたいなものによる力が発生する。金属の棒とかを無理に曲げても、しばらくすると多少は戻ってしまうあれだ。そういう応力を活かせば強度を出すなんてこともできるのだが、それはちょっと難しいので熱を加えて冷ますことで焼きなましをする。応力の原因は微視的に見れば結晶構造の歪みなので、いい感じに加熱して再結晶を起こさせるのだ。ここらへんの温度感とかは私の知識と職人の経験、そして数多の失敗を繰り返して掴みつつある。もちろん記録と分析を手伝ってくれるケトの功績は忘れてはならない。謝辞じゃなくて著者に乗るべきレベルだ。そういえばケトも簡単な統計分析ぐらいはできるようになってきた。数学にも慣れてきている。いいことだ。決して得意ではなさそうなのだが、まあこれだけ使えれば十分だと私が思う水準を超えているので定期的に褒めている。恥ずかしがっているが、正当な評価をしないほうが面倒なので褒め殺しにならないように注意しながら褒めよう。
あー、そういえば焼入れ焼きなましということはあれか、金属学についても進めておく必要があるのか。もちろん商業的に価値が出てくれば長髪の商者あたりがどんどん資金と人員を投入していくだろうが、さすがにそれをやられ過ぎると独占とかの弊害が出てくる。基本的な情報自体は出回らせてもいいだろう。とはいえどうやって鉄-炭素系状態図を作るかだよな。方法としてはそう難しくない。純度の高い鉄に少しずつ炭素を混ぜていって、適当なタイミングで少しずつ取り出せばいいだけだ。それを炉に入れて、状態変化を記録していけば良い。そんな安定した高温を出す方法があまりないのが問題だが。
何が良いかな。電気炉はオーソドックスだがニッケルもクロムも鉱石が見つかっていない。見つかれば一応電気分解とかマグネシウムでの還元とかで作れなくはないが、量が問題だ。まあ小さな電気炉に使うぐらいの分なら数年かそこらで用意できるだろう。温度計は白金とかロジウムが必要で、まあロジウムは白金鉱不純物として回収されるから酸で処理したりしてどうにかすればいいか。これも数年。今すぐには難しいが、布石は打てる。とはいえ鉱石がないと何もできないからな。山渡りと呼ばれる人達がいるようなのでその知識に頼るのもありかもしれない。
あ、太陽炉という方法もあるか。レンズや鏡で太陽光を集めるもの。十分大きな鏡で狭い範囲に集めればかなりの高温を作れる。とはいえこれは分析とかよりも少量のサンプルとか特殊合金作成に向いていそうだな。
「ところで、前に見せてもらった絡繰の中の仕掛けはどうやって思いついたのですか?」
太陽炉には例えば放物面を持った鏡とかを使いたいところだが、それを作るのはそう楽ではない。
『勘と経験だ』
「ああ……」
そこも理論化しなくちゃいけないか。まあ幾何学と代数学の融合については座標平面という概念で準備はしてあるからな。これもそう遠くないうちに扱えるようになるだろう。