「北方平原語よりも、聖典語のほうがいいと思います」
久しぶりに会った「鋼売り」所属の女性は私の原稿を読んで言う。
「理由は?」
「鍛冶言葉なんかは北方平原語で統一されたものがない以上、全部聖典語でやったほうが誤解は少なくなるかと」
「なるほど……」
そう呟いて書いていた紙をまとめる。内容は採鉱、酸と塩基による分離、電気を利用した精錬、合金製造、金相学、各種加工など。
「私の作る冶金術の教本、そんなに読まれることになると思います?」
今更読者からの需要があるかが気になったのでこの地域の専門家に聞く。市場調査はお手の物だろう。
「……出さないと見当もつきませんね」
小冊子として出して、本の形にせずマニュアルの一環として使われるようにすればいいのかもしれないが、そのためには言語の壁が立ちふさがる。ここらへんは面倒な問題だ。図書庫の城邦の付近であれば学徒として学んで志半ばに学問の道を諦めた人たちが地元に戻って知的基盤を支えているのでかなりの範囲で東方通商語の読み書きができるし、衙堂の司女や司士が筋の良い子供世代に本を読めるよう教育することもある。だからあの辺りでは印刷という技術がすぐに受け入れられた。ここはあまりそうではない。
「むしろ、北方平原語の用語を作ってしまったほうがいいか……?」
「それはキイ先生がやるべき仕事ではありません。私たちならともかく」
「……まあ、確かにそうか。もちろん『鋼売り』が完璧にできると評価しているわけじゃないからね?」
「当然です。ただ、それでも私たちのほうが多少はうまくできるでしょう」
自信がありそうだ。まあ、別に大きな問題は起きないだろう。後で混乱を招く用語制定をされなければ大丈夫だろうか?
「わかりました。そういえば文字版印刷機って仕入れていますか?」
「先日入りました。今ここに運ばせています」
ああ、ケトが持ってきた新聞と同じ船だろうか。あと通信機は駄目だった。昼間に聞こえたような気もしなくもなかったが、有意かどうかはわからない。向こうから送られてくる正午の時報はここからだとたぶん早く聞こえるはずなのだが、詳しくは分からない。
「そうなったら、文字版を紙に押し付ける部分を改良したい。今は
「わかりました。既に手を借りる職人は選んでいるので、話を通しておきましょう」
「すまないね」
「構いません。キイ先生の貢献は『鋼売り』にとってとても大きなものです。銀片の詰まった袋以上の価値がありますよ」
まあ確かに、食費だの旅費だの宿代だのはかなりもらっている。もちろん必要以上というわけではないが、毎日お腹いっぱい食べることができるし暖かい布団でケトと寝れる。その分働いてはいるが、純粋な労働量とかを考えると街を歩く時にすれ違うこの寒くなってきた時期にボロ布を纏っている人のほうがそういう扱いを受けるべきかもしれない、などと面倒なことを考えてしまう。まあこういう思考は偽善的と言われればそれまでなのだが。
「それと、『鋼売り』は布を取り扱ってる?」
「輸入品であればですが」
「ここでの生産として」
「そうですね、一部の地域では山牛*1の毛を使った織物などもありますが」
「あー……」
確かに毛織物を着ている人は結構見かけるな。私の知る紡績機や力織機は基本的に綿を使うことを前提としている。となるとそういう方面よりもバリカンみたいなもののほうが価値はあるのか?いや、結局糸にしてしまえば同じか。太さとか強度とか摩擦特性とかのパラメータの差はあるだろうが。
「注文をしていいですか?」
「どうぞ」
「その山牛の毛をある程度と、織物に使っている機構が見たいです。機構については見ることができれば十分ですね」
「そういう機構を作るのですか?」
「ええ。水車で動くようにしようかと」
「……山牛毛の織物は、少ない冬仕事となっている場合がありますが」
「あ、となると冬は水車が回らないか」
「いえ、問題はそこではありません」
「収入源を奪ってしまう、ということ?」
「その通りです。『鋼売り』としては貴重な売り先を失いたくはないので」
「毛織物の買い先ではなく?」
「はい。毛織物で得た銀片で様々なものを買いますからね。そういうところに物資を運ぶのも小さくない稼ぎ場です」
なるほど。行商人みたいな事もやっているのか。改めて考えるとかなりの物流網がある。これらがある程度まとまった組織として存在するのだから、もっと効率的に、有機的に動かせればどれだけの力を持つか。
「ならこうしよう。人力で、比較的簡単な操作で織物を作れる機構を作る。部品は交換可能にして、修理もしやすいようにする」
「悪くないですね。では、数日後また別の地に行くのでその時に色々と事情も聞いてきましょう」
「ありがとうございます。……ところで、出かけるのは使節官と?」
「ええ、あの方はまだ少し私たちと理解の齟齬があるので」
そう言って彼女は微笑む。
「互いに歩み寄ることは大切ですよ」
私もできるだけの笑顔を浮かべる。ま、使節官のほうもそれなりには頑張っているようだ。私も私の仕事をしよう。