図書庫の城邦と異哲の女史   作:小沼高希

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織機

「ここを引くと、一部だけ糸が切り替わるのよ」

 

かなり複雑な木製の機構を見て私はちょっと引いてしまう。複雑さはかなりのものだ。足踏織機よりも作るのが難しいかもしれない。竹みたいな繊維が見える木化しているものは鈎のついた針で、複雑に張り巡らされた糸に引かれることで経糸を動かす。ジャカード織機というほど複雑ではないけれども。で、浮いた経糸の間に染めた糸を通して行くわけだ。この通すときの道具らしい棒もある。とはいえ労力の軽減をより多くの布を作ろうという方向ではなくより複雑な文様を作れるようにしようという方向に使っているとなると、たぶんそちらのほうが市場における付加価値が高くなるのだろうな。

 

「けれどもねぇ、取っておいてあるのだけれどもこれを使える人はいなくって」

 

家主の女性がため息を吐く。見る限りは加工水準と複雑さからして足踏み織機ぐらいはできていてもおかしくないぐらいだ。少し動かしてみると、埃が積もっていて少し硬いが可動する。全体を撮影しながら分解して、ラベルを張って、3Dスキャンををかけて……と頭の中で懐かしい仕事の手順を考えていた。今はそういうことをする必要はないんだよ。

 

「もっと単純な、無地を編むためのものはあるのですか?」

 

「うちにはないけど、隣にはあるよ」

 

そういうものなのか。

 

「借りに行く事があるのですか?」

 

ケトが聞く。

 

「借りるっていうかねぇ、別に隣の人だけのものってわけでもないし、そりゃまあ置き場所を作ってくれているぶん、うちが使うときには煮物とか作って持っていくけどねぇ」

 

あー、所有の概念がいいかげん?いや、共用財産として扱われているとかのほうが近いか。初期投資もそれなりに必要だろうしな。

 

「私の知っている良い織り台を持っている場所の一つがここですからね。本当は少し寄るだけのつもりだったのですが、寝る場所まで頂いて本当に感謝します」

 

そう言って礼をする「鋼売り」の女性。ああ、少し遠回りに思えたルートは集落に寄れるからという理由だけではなかったのか。

 

「ところで、どうしてこの……決して人手があるわけではないここで、こういうものが作られるのでしょう?」

 

私の知識では、こういう改良は確かに趣味人の手で行われることも多かった。しかし資本や情報の共有などの観点から考えると都市とかで発展しそうな気も……待て。資本をつぎ込んでまで布は作るものではないと認識されているし、情報の共有ができるようになったのはここ数年だったりするのだぞ?忘れていた。時代とか歴史背景が自分の知識とごちゃまぜになってしまう。これはよくない。

 

「こういう細かい作業がみんな好きだからかねぇ」

 

遺伝、家庭環境、教育、あるいは有形無形の圧力。まあ矯正と言えるほどでもないのだろう。興味を持つ子供がいればそれを伸ばすし、実際の作業を目の前で見せる。全ての人がそれで学ぶとは限らないが、少なくとも一定の割合でいるある傾向を持つような子供には高い効果を持つだろう。

 

「もし、例えば足で木を踏んで糸を入れ替えるような織り台があったら手に入れようと思いますか?」

 

「うちのところだったら買ってばらばらにして中身を見ようってする人がいっぱいいるだろうけど、他のところでは難しいかもしれねぇ」

 

「そうですか……」

 

むしろ競合しない場所で布の大量生産をしてしまうか?とはいえ今の分野と重ならないとすると新しい領域を見つける必要がある。それ自体は別に探せばあるだろうし、私の知識の中にもネタはあるので良いのだがそれを市場として成長させて商業として軌道に乗せられるほどにできるかと言われれば結構厳しそうだ。長髪の商者はそれをやってのけようとしているというかたぶんもうある程度は成功させているので怖い。それだけで後世の研究者が論文を何本か書けるほどだ。

 

「まあでも布なんていっぱいあって困るものでもなし、売れなくなったら自分で使えばいいしねぇ!そう気落ちしない!」

 

家主の彼女は私の背中をバンバンと叩く。持っていた飲み物が揺れる。あぶない。まあ、確かにそうだ。一応旋盤ができたのでこれ以降はもうおまけに近い。私がやりたい工作の分は終わったし、湯治から帰ってきた頃には工房街で旋盤が使われ始めているだろう。

 

「雪も弱くなりましたし、明日には出れそうですね」

 

少し外に出ていた使節官が戻ってきて、外套から雪をはたいて言う。こういうところで色々な情報収集をちゃんとしているのは偉い。たぶん外で他の人と世間話をしたり「鋼売り」の評判を確かめたりしていたのだろう。現場の空気というのは吸いすぎてしまうと客観的な評価ができなくなるが、吸っていないと全く見当違いのことを言うようになってしまうのだ。何度もやらかしたので断言できます。自慢にならない。

 

「それはよかった」

 

あまり色々と寄る事のできる旅ではないが、ここだけでもかなり面白いものが見れた。逆に言えばこのレベルの機構であれば修理や改造ができるということになる。共通部品をできるだけ増やし、各所に旋盤を置いておけば「鋼売り」がそういったメンテナンスとかの業務をするときも来るかもしれない。

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