図書庫の城邦と異哲の女史   作:小沼高希

225 / 365
第19章
帰路


「これだけあればいいですかね」

 

私はお世話になった職人に紙の束を渡す。リンク機構やら自動化のための部品やら基本的な概念を色々と記録したものだ。

 

『そうだな。これで十年は忙しくなる』

 

「他の職人に任せてもいいのですよ?」

 

『一部はそうするさ』

 

「……短い間ですが、多くの助けをあなたから得ることができました」

 

『こちらもだ。帰路の幸運を』

 

「あなたも、これからの幸運を」

 

私は職人と拳を叩き合わせた。これが別れの挨拶らしい。

 

「……じゃあ、行こうか」

 

私は荷物を担いで言う。旋盤などの部品は分解して事前に荷運び人に頼んで港まで運んでもらっている。私がケトと分担して持つのは鉱物サンプルとかとかの小物である。実験装置類は興味を持ってくれた人がいたので一部は工房街の近くにある衙堂にトゥー嬢の本と一緒に置いておいた。まあ、一年掛けて手に入れたものとしては上々といっていいだろう。なにより金属加工が簡単にできるようになったのは大きい。

 

「そうですね。ええと、使節官は帰らないんでしたっけ」

 

ケトは確認するように言う。

 

「ああ、こちらでもう少し色々とやりたいことも多いからな。後任が来たら報告も兼ねて戻るだろうが、来年かもっと先か……」

 

多少「鋼売り」寄りにはなるかもしれないが利益相反とまでは行かないだろう。それにしても「鋼売り」もそれなりに重要だろう人材をよくまあ狙えたな。使節官がハニートラップだとわかって踏んだのもあるだろうが。今はすっかり仲のいい二人である。具体的には笑顔で足を踏み合う程度には。

 

「手紙なら担いますよ。どうせ予定としては数日は余裕があるから書けるでしょう?」

 

まあ少し脅しこみで私は言う。こういう人は適度に圧力をかけるといいのだ。けど壊れすぎないように注意は必要である。

 

「キイ先生、怖いですよ」

 

そう言うのは「鋼売り」から来ている女性。

 

「そうですか?」

 

精一杯の笑顔で返す。

 

「ええ。ケト君も怯えているではないですか」

 

確かに視線を向けると少し引いている感じがある。まあどちらが悪いというよりも私たちの関係性とかかな。まあケトもじきに慣れるだろう。

 


 

「ええと、水を買うのってどれぐらい払えばいいでしょうか?」

 

私の北方平原語の発音が怪しかったのもあって、港で一悶着が起きている。

 

「いえ違うんですよ、この薬を入れれば水が腐らなくなって……」

 

おかげでよくわからない弁解をする必要になっている。自分の作ったものを疑われるという当然のことをここ最近経験していなかったからな。なお次亜塩素酸カルシウムを主成分とするこの粉末の毒性は確かあまりないはず。塩化ナトリウムの毒性が気にされないのと同じで、それなりの量を飲んだりしないと影響が出なかったはずだ。もちろん死ぬまで飲ませて致死量を測定しておくとかは倫理的にできないのでちょっと塩素の匂いがする程度まで混ぜるつもりである。まあ死にはしないやろ。

 

「……自分で飲むんだよな?」

 

仲裁に入ってくれた人が私に訝しむような視線を向ける。

 

「もちろんです」

 

「ならいいが」

 

どうやら私はなにか怪しげな薬を水に混ぜて売りつけようとするヤバい人間になっていたようである。あと説明の結果水は無料だということがわかった。具体的には関税の中に補給用の水をある程度自由に使っていい分の料金が入っているらしい。

 

っと、この港街には山の方からなかなかおいしい水が流れてくるのだ。もちろん工業排水とは別ルートの川である。そこらへんは「鋼売り」が上手く調整して廃液用のルートと上水用のルートを分けていて上水用の川に変なものを流すと斬り捨ててもいいレベルの規則になっているらしい。怖いことをサラリとするな。まあ確かに水道毒物等混入罪はそれなりに重い罪だったはずだし。

 

「ええと、半月分となると……」

 

誤解が完全に解けているかは怪しいが、まあなんとか水をもらう。今のうちにさらし粉を入れておいて蓋をして船に乗せてしまおう。横を見ると久しぶりに顔を見る船長と一緒に使節官が話し込んでいた。今回は私とケトだけが乗るのでそれについての色々だろう。まあ北方平原語もなんとか話せるようになったのでうまくいくと信じたい。ケトもケトで去年乗った時に顔見知りになった同世代の人と色々話しているようだ。完全に私だけが異常者である。

 

「キイ姐さんじゃないか!帰るのか」

 

私が水を運んでいると乗る船の航海士のようなことをしている前に見た顔の人とも出会った。六分儀に興味を持っていた人である。

 

「ええ、っと、そういえば改良型を作ってもらったのですよ」

 

私は箱から様々な加工方法を組み合わせて作った六分儀を取り出す。副尺付きで精度は30拍、つまりは1/12刻*1だ。

 

「そこまで細かいと、紐がもっと複雑になるのか……」

 

「そこまで来ると紙とかのほうがいい気もしますがね」

 

「紐のほうが水に沈んでも平気なんだよ、まあ水に強い紙があるのかもしれないが……」

 

「あー……」

 

そうだ。結局物を作っても利用者の文化となじまなければ使われないのだ。まあここらへんは文化のほうが変わることもあるし、時間がある程度は解決してくれるだろう。

*1
5'に相当。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。