図書庫の城邦と異哲の女史   作:小沼高希

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計画

「変な持ち方しますね」

 

ケトがどうにかして荷物を背負おうとする私に言う。

 

「私からすれば、こんな不安定な装備を使うほうが変だと思うんだけどな……」

 

短い紐を肩にまわして、革でできた薄い直方体の袋に荷物を入れるタイプの鞄だ。それを今、どうにかして背負えないかとロープワークを試みている。

 

「行商人が大籠を持つように、鞄を使おうと?」

 

「そう。……駄目だな。機会があったら作らないと」

 

私の学生用背嚢(ランドセル)はあまり使われることがなかったが、やんちゃな初等教育時代六年間の酷使に耐えるように設計されていた。きちんと肩に重さを分散させることで、子供がいっぱいの荷物を学期末に運搬することを可能としているのだ。確か明宮嘉仁親王が使っていたという話があるから、デザインの権利は切れている。異世界でそんなものを適用できるのかという気もするが。

 

「そういう細工もできるんですか?」

 

「一応これでも……なんて言えばいいかな、特別最上等若匠頭、だったんだよ」

 

うん。非常に語弊がある。ジュニアマイスター顕彰制度で危険物取扱者甲種やら測量士補やら技術士補やらを取ってポイントを貯め、なんか表彰を受けたというだけだ。

 

「どのくらい凄いんですか?」

 

「年に百人程度が取る」

 

「……そこまででもないのでは?」

 

「結構難しかったので、そう言われると結構傷つく」

 

「……すみません」

 

いや高校の三年間で普通の高校生なら受験勉強に思いっきり費やすような時間と手間をかけたのだ。それで高校で高い評価を得て、ほぼ完璧な通知表とともに国立大学の文系学部に行ったのだから先生たちが正気を疑ったのは当然だと思う。ここまでやって追加の表彰状も盾もなかったのであの界隈もバケモノがいる。まあ、このあたりで自尊心をバキバキにされたのは良い経験だったと今になれば言えるが。

 


 

旅の準備はあまり手間ではない。なにせ運ぶものがそこまでないからだ。保存食と水、外套に帯に杖。私はもう裸足が駄目だと思ったので草鞋を編んだ。昔地元の博物館の体験で作って以来だが、適当に麦藁で編んでいくと三つ目ぐらいにはそれらしいものができた。丸二日こんなものと格闘していたことは秘密。ケトには「そんなすぐ壊れそうなもので大丈夫ですか?」と聞かれたが最初から使い捨ての予定なので特に問題はない。足袋がないので少しチクチクするが、まあ許容範囲だ。

 

そうそう、忘れてはいけないのが紹介状だ。聖典語で書かれた、ぱっと見は格式も何も感じさせない紙一枚。ただ、これがあれば途中の衙堂に泊まることも、図書庫の街で居候先を見つけるのも可能となる。信頼というのがモノを言う時代なのだ。業界が狭いとも言う。まあ、ここらへんの話はケトが専門なので任せてある。

 

「楽しみですね!」

 

一方のケトはなんというか、非常にワクワクしている。若い子供に街を見せるのは教育に良くないとのことで今まで行ったことはなかったらしいのだが、途中にある衙堂までの道はわかるのでその先もあまり問題ないとのこと。なんとも頼もしい。

 

「そこまで?」

 

「それはもう!ああ、古い詩人の作品が読める!取り寄せることもできない珍しい本も、写本だっていっぱい……」

 

こういうケトを見ると、なんとなく私も悪い気はしない。まあ、旅の計画がケトの脚で三日だということにさえ目をつぶればだが。

 


 

「まだ、起きているんですか?」

 

部屋でつけていた灯りに惹かれたのだろうか、ケトが部屋に入ってきた。

 

「ん。少し考え事をね。そういうケトくんは?」

 

私は蝋板から目を上げる。

 

「明日が楽しみで、眠れなくて……。不思議な文字ですね。古帝国語にも似ているような」

 

「いくつかの種類の文字を混ぜて使っているからね」

 

具体的には漢字とカタカナである。やばいな、変換機能に任せっきりだったので結構怪しい。

 

「キイさんがこういう文字を書いたのを見るの、初めてです」

 

「それはまあ、これは誰にも見せるつもりがなかったからね」

 

「どうして、ですか?」

 

「秘密の計画だから」

 

「僕なら、見ていいんですか?」

 

「秘密にかかわる案件だからね。どうせいつか説明するし」

 

「今では、なく?」

 

「言葉が足りなすぎる。君が全く知らない考え方や、仕組みについてだから」

 

「……隣で見ていて、いいですか?」

 

「いいよ。面白くないとは思うけど」

 

私は意識を蝋板に戻す。まず問題の一つは筆記用具だ。蝋板は長期の記録に適さず、麻紙は高い。伝統を無視して冊子状のメモを作るのもありかもしれないが、そのためには安価な紙が欲しくなる。繊維をほぐすのや漂白にかなり手間がかかるという話を聞くと、やはりここは危ない手を使うのが良さそうだ。具体的には水酸化ナトリウムと塩素。水酸化ナトリウム自体は単純な反応で作れる。ナトリウムの多い地域で育った植物や海藻灰から得られる炭酸ナトリウムか地質学的幸運に恵まれればナトロンと呼ばれる鉱物、それによく焼いた石灰岩があればいい。これらを水に溶かすと、複分解反応が進む。

 

$$\require{mhchem}\ce{Na2CO3 + Ca(OH)2 -> 2 NaOH + CaCO3 v}$$

 

この過程でできる炭酸カルシウムは水に溶けないので、水酸化ナトリウムだけが残るという算段だ。ここまで書いて隣にケトがいた事に気がついた。うん。わかるとは思わない。これを説明するためには原子論の概念が必要だ。いや、と私は思考を研究時代のモードに切り替える。本当か?錬金術のレベルでの説明ができそうな気もするな。ただ理論的裏付けをするには足りなさそうだ。

 

これに比べ、漂白のための塩素を作るのは多少厄介だ。塩酸と何かを反応させてもいいが、塩酸を作るには硫酸が必要だ。もう少し簡単な方法はやはり電気分解だろう。アスベストで区切った食塩水に電気を流して、うまい具合に電極から出る気体を集めるだけだ。これで肺がんのリスクと引き換えに水酸化ナトリウムを作ることもできる。ちなみに別の方法としては水銀を電極に使ってナトリウムアマルガムを作るというものがあるが、どっちもどっちの危なさである。きちんとやればアスベストのリスクは抑えられるし、有機水銀はできないはずとはいえ、あまり気分のいい方法ではない。いや、隔壁で素焼き板を使うダニエル電池なんてものがあったな。ここらへんは要確認。

 

で、この電気分解をやるには当然電気が必要だ。亜鉛と銅のボルタ電池なんて使ってはいられない。となると発電機が必要だ。着磁ぐらいならボルタ電池でも行けるだろう。ああそれでも鉄の炭素割合やら、場合によっては鉱石の産地の実験を重ねる必要はあるか。で、あとはダイナモを作れば電気分解ができて必要な化学物質が手に入る。ここまでで蝋板を使い切ってしまった。

 

いや、全然私の知識はこんなものではないぞ。炭酸ナトリウムがあればソーダ石灰ガラスが作れる。これを棒状にして、ダイを通して引き抜いて溝を付けて、先端をバーナーで炙りながらいい感じにすればガラスペンができる。バーナーは木ガスか水素で温度が足りるだろうか。安い紙ができれば活版印刷も容易だ。電気があるなら通信にも工業にも照明にも使える。余白が足りない。

 

で、これをやると思いっきり既得権益に喧嘩を売ることになる。そして死ぬ。産業史は挑戦者の屍の山の歴史でもあるのだ。ただ、うまく既存のシステムと協力できれば過度な混乱なしに技術導入は可能……だと思う。結局は、世界を知らなければ技術の話をできないのだ。

 

私は小さく笑う。

 

「なにが面白いのか、話せますか?」

 

「いやね、昔逃げていた相手が目の前に現れたから」

 

きょとんとケトは不思議そうな顔をした。うん。そうだろうな。科学技術史で単純に科学的な、あるいは技術的側面だけをやりたくて社会問題やら哲学やらとぶつかって定期的に逃げていた時代を思い出す。今度は、たぶんそうはいかない。けどまあ、あのときとは違って私には頼れる相手が隣にいる。

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