図書庫の城邦と異哲の女史   作:小沼高希

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立場

ひとまず衙堂の一角に「総合技術報告」の編集所を置くことができた。これも司女としての肩書のおかげである。えっ公的機関の施設を民間が使っていいのかって?この世界はそこらへんの扱いがいい加減なんだよ。官と民に厳密な区切りをつけようとするのが間違っているとも言う。

 

「ああ、言い忘れていたができているぞ」

 

そう言ってさらりと訪ねてきたトゥー嬢は机に突っ伏す私の顔の前に鏡を置いた。あ、久しぶりにここまで鮮明に自分の顔を見る。前に見たのは写真撮影の時か。しかしあれは画質が結構荒かったので気が付かなかったが、案外私も変わっている気がするな。前に見たのはええと、階段から落ちる前……記憶が曖昧になってきている。日本語も危ない。

 

「……どうした、自分の顔にでも見とれているのか?」

 

「この鏡、幾らぐらい?」

 

私はトゥー嬢の言葉を無視して質問する。

 

「南方からの輸入品を使っているからな、手間賃込で銀数枚はするぞ」

 

「というより、ちゃんとあったんだ」

 

塩化アンモン石。主成分は塩化アンモニウム。火山などで見られるが、吸湿性があるので北方では見つけられなかったのだ。文献には南方で産出されるとあったので商会とかにできれば手に入れて欲しいとお願いしていたのだが、私が北に行っている間に届いたのだろう。

 

「ああ、情勢が安定したから交易ができるようになったらしい」

 

「それは新聞で見た気がするな……」

 

「とはいえまだ手法については改良中だ。安定して作れるようになれば『総合技術報告』に載せてもいいが」

 

「それより先に板硝子(ガラス)の製法とかを公開しないと意味がないし、そのためには耐熱煉瓦による密閉炉の話が必要で……」

 

「……大変だな」

 

「文章を書くのに慣れていない人が多すぎる。その上聖典語で無駄に複雑なことをしやがってよ……」

 

簡潔に、説得力のある論理展開と、再現実験ができるだけの情報を、できるだけ平易な言葉で、直訳で東方通商語にできるぐらいの水準で書く。これを満たすのは私はできる。ケトもすぐにできた。けれどもこんな例外的事例は参考にならない。

 

「そもそもやることが秘密の公開そのものだからな。ほとんどの人が経験したことがないだろう」

 

「それは仕方ないとしてもね……」

 

私は背を伸ばして紙の束をまとめる。色付きの墨で修正を入れていくと元の文章よりも分量が多くなってしまうのだ。原稿を送る時に一行空きにするよう規定に定めるか。

 

「問題の一つは手紙の流通。この近所なら衙堂や商隊でどうにかなるけど、海を越えると一気に面倒になる」

 

「制度的郵便か。古帝国時代には行政文書はそうやって送られていたというが」

 

「……これ以上、政策についての文章を書けと?」

 

机の上にあるもう一つの束は各所に送る草案レベルではあるが政策などについてのある種の提言。農業研究所、電波法、研究開発投資、統計事業、測量計画、官営人材教育機関、電信網構築、その他諸々。ちなみにこれをベースに衙堂や頭領府の関係者に色々話を回すのは今のところケトが担当してくれている。帰ってきてから書いた北方地域の報告で司士見習いから晴れて司士となった。本来はこういうことをしないと手に入らないので私が司女に任命された時の政治的な色々を考えるとなんというか私はかなり恵まれているのだなと思える。もちろんそれなりの仕事はするが。

 

「ここまで急激な変化があるなら硬直的な学では無理だろう。術となれば編集長の仕事では?」

 

「編集長が全部の論考を書いてどうする」

 

いやまあ確かにね、やってくる原稿はどれも面白いものですよ。けれどもそれに私の科学技術史の知識を踏まえて軽いアドバイスをしたり、類似研究をしている人同士の連絡先交換を仲介したり、まあ大変で。原稿さえ作れば印刷と流通が行われる体制は最低限引き継げたからいいものの。

 

「……正直に聞かせて欲しいのだが」

 

「なに?」

 

「キイ嬢がそこまでやる必要はあるのか?」

 

「……あるよ。私は知っているから、そういう責任がある」

 

ああ、科学者の道義的責任というやつだ。もちろん多くの科学者はあくまで一市民であって、全ての情報を得ることもできないし、正確さを期するという側面からは事情をすり合わせる政治家的な役割を果たせないし、調停者としての仕事もできない。まあそれでも政治を文芸批評の延長線上にでもあると考えている人間よりはよっぽどそういうことをするのに適しているが。っと、かつての世界での変な恨みが出てしまった。基本的に大抵の問題の背景にあるのは相対的な無知と無能と怠惰であって、それを解決するのは無責任なヤジではなく積み重ねた改善であるというのが私の思想であるので一部の派閥と残念ながら意見が噛み合わないこともあるのだ。悲しいね。まあ私みたいな人がイデオロギーの強さを軽視しがちなのは認めるけれども。

 

「だから知識を吐き出して、色々と巻き込もうとしているのか?」

 

「そういう側面は否定できない」

 

「……そうか。敵を多く作ることになるだろうな」

 

「それよりも速く味方を作ればいいよ。適切にやれば侵略と紛争と飢饉と傷病についてはそれなりに減らせるから」

 

私がそう言うと、トゥー嬢は胡散臭そうに私を見る。

 

「……信じていない?」

 

「いや、その方法があるのだろうなとは思うがそれを真顔で言うとはね」

 

「そのための準備をしているんだよ」

 

私のもたらした技術がある程度の戦乱をもたらすのはもう避け得ないとしよう。百年以内には大規模な銃の生産とそれに基づく統一を求める侵略戦争が勃発するとする。しかしそれよりも速く国際社会というものを形成して、十分な農業生産高と医療技術を用意すれば、私の見てきた人類史ではなし得なかった選択ができるかもしれない。それができる立場は手に入れた。あとは私でなくてもそれができるようにできれば、まあ責任を果たしたと言ってもいいだろう。

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