解剖
「編集長、頼みがある」
「……なんですか。ともかく、ひとまず座ってください」
私はやけに丁寧に言ってくる目の前の医学師を観察する。若くして講官にもなり、「総合技術報告」の立ち上げで中心となった人物がこのような険しめの表情をするとなればなにかあるのだろう。
「人間の『解剖*1』については知っているか?」
「……そりゃ、まあ」
医学というか外科分野の基礎知識になるものだ。かつての世界では宗教的影響もあって長い間行われない期間があったせいで誤った知識を元に医学が組み立てられた時代があったが、この世界では事情がちょいと違う。解剖が行われていないのは同じなのだが、本人の意志の尊重などの問題があるのだ。
「そう遠くないうちに、師が亡くなる」
「……そういう話を、私としていいのか?」
多少は知っている倫理上の問題の確認も兼ねて言う。解剖の話はタブーとまでは言わないが、あまり好まれてはいない。
「キイ嬢はそういうことを忌避しないと思っていたが、もし何か……障るようなことがあればすまない」
「いや、構わないよ。……それに、その口ぶりだとそちらのほうが辛いだろうに」
「まあ、確かにそうなのだがな」
医学師、つまりは医者なのだ。条件が揃えば余命ぐらいはわかるだろう。
「もうかなりの歳であったし、十余年前から医学師として手術*2はしていなかった」
「……なるほど」
「その師はなんというか……変わり者で、死後の解剖を強く希望している」
「しかし、解剖はそう簡単では無いはずだと聞いたが」
「そこだ。前に解剖が行われた時はその師が率いていた。その流れからすると次は……」
「君が、か」
「その通りだ。だが、どうにも力不足ではないかと……」
「練習は必要だろうが、果たしてそうだろうか?」
まあ実際に慣れることを考えると相当の練習を積む必要があるだろうが、一体程度の遺体でもちゃんとやればかなりの情報を得ることができる、はず。具体的な話はあまり知らないが。
「数少ない機会である以上、あらゆる方法での記録を取りたい。銀絵もそうだ」
「……確かに。有用ではあるだろう」
露光の調整などがあるが、それでも絵とは違った正確さを出すことができる。
「そういった新しい方法に対しての知識が全くと言っていいほどないのだ。だから、手を貸してくれないか」
「もちろん構わないが、どれほど余裕がある?」
「そうだな、あと一年保てば良い方だろう」
「家族が死を受け入れるには十分かもしれないが……、政治的問題を解決するには短いな」
「ケト君の力も借りたい。彼が今この城邦を変えつつあることは色々な所から聞いている」
「……ケト君はそこまでやってるの?」
私は後ろを向いてこっそり聞き耳を立てていた編集員の女性に聞く。
「ええ。越権を通り越して相当ですよ」
「そこまでとは聞いていないんだけれども。というかそんなやって怒られたりしないの?」
「頭領府の重鎮とか、図書庫の上層部とか、衙堂の実力者が彼を気に入っているからではないでしょうか?」
「そうなの?」
確かにケトが行っている場所を思い出すとそれぐらいのことはしているだろう。まあ私だってかつては学会とかで色々顔を売っていたし、交換で手に入れた名刺の中には
「そうでなければ、司士になりたてのまだ少年みたいな歳の若者が話を持っていくことすらできませんよ」
確かにそうだ。肩書はない訳では無いが、それでもまだ若造扱いされる年齢である。
「……いや、本当にすごいんだな」
「ええ。私よりもその方面では行動力がありますよ?」
「こう言っては何だが、なぜ彼が君の下に甘んじているのかという声もある」
「それについては私が完全に悪いので何も言えないな……」
私は机に倒れ込む。
「……実際に刃物を取るのは?」
私がそう聞くと、医学師は自分の顎に揃えた二本の指を向ける。
「……揃えるべき人員と、必要な手続きはどのようなものでしょうか」
「死者を解剖するとなると衙堂からの許可なしにはできないだろう。参加する人も選ばねばならない」
「切り分けた部分を腐らせずに保存するための液体については用意します」
「そんな物があるのか?」
「ええ。なお食品には使えませんよ」
「そうか……」
ホルマリン、つまりはホルムアルデヒド水溶液で固定した後に場合によってはアルコールに移し替えて、だったかな。ここらへんは練習を重ねる必要がある。まあ他人に任せてもいいが。
「あとは……低温、ですね」
「解剖まで腐らないように、か」
「ええ。まあこれについてはちょっと間に合うかは怪しいですが……」
金属部品の精度は出るから、多分できるはずではある。使う冷媒はジエチルエーテルあたりにしてみるか。まあ、これは本当に物流から製造までを変える基礎技術だから場合によっては上の方から止められる可能性はあるのでケトに噂を通しておいてもらおう。