図書庫の城邦と異哲の女史   作:小沼高希

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曲線

放物線は英語でparabolaと言う。パラボラアンテナのあれだ。ルーツを辿ればペルガのアポロニウスが書いた「Κωνικά(円錐曲線論)」内のπαραβολήという語にたどり着く。並べて一致する、ぐらいの意味を持った言葉から来ていて、そこには投げて物が落ちる際の軌跡なんて意味はどこにもない。なにせ放物線が二次曲線だと見出したのはガリレオ・ガリレイの大師匠であったタルタリア(どもり)の名で知られるニコロ・フォンタナで、16世紀のことだ。「Κωνικά(円錐曲線論)」が書かれたのが紀元前3世紀だからかなり離れている。そう考えると、二次曲線を放物線と表現した彼の思考経路を追いかけることの価値はあると言えるだろう。

 

そもそもこの曲線は円錐曲線の名の通り、円錐を切り取った時にできる曲線の一つとして最初に認識された。アポロニウスはユークリッドのまとめた数学理論をもとに発展させたが、私はこれと向き合うことができなかった。いや幾何学的証明に現代の数学教育カリキュラムがあまりあっていないのもあるだろうけどさ。ともかくかなり難しいのである。それに放物線と名前がついているのは多分中国語文化圏で徐光啓とマテオ・リッチあたりがいい具合に翻訳したのだろう。

 

「ええと、まず物体の軌跡は山なりになることはいいですよね」

 

「うん」

 

「その曲線は最初は傾きがきつく、徐々に平らになり、最上部では水平に動き、そしてその逆を辿るようにして落ちていきます」

 

この時点で私の知っている物理学史とは異なる認識をしているな。アリストテレスの物理学論とも、その後に生まれたヨハネス・ピロポノスやジャン・ビュリダンみたいなものとも違う。イスラームの方は確か哲学寄りになってたし、まあここらへんは哲学系の人間に任せるとしよう。私の守備範囲外だ。ただ説明を聞く限り、ニュートンみたいな考えとも違うな?

 

「けれども普通は、落ちていくときの方が遅くないかい?」

 

「大気に邪魔されているのでしょう。十分重い鉄の玉を使えば手首の骨が折れる代わりにほとんど速さは変わらず、地面に斜めから突っ込んでくるでしょう。斜めに投げた物体はもし速度が遅くなれば垂直に近い落ち方をするはずですからね」

 

「……そこまではいい。けれども、なぜ数学的曲線の中でもこれを?」

 

指数関数をベースにした懸垂線でもいいはずだ。正弦曲線の一部を切り取ったものと捉えても、直線や円の組み合わせだと考えてもいい。事実、物質は投げられた後にしばらく直線に進み、しばらくして活力(impetus)が切れることで落ちていくみたいなモデルが提唱されたこともあった。まるで崖から飛び出しても下を見るまでは落ちないという古きカートゥーン映画めいているが、こうした事を今日の科学観をもって見るのは当らない。というより私たちも直感的に物を捉えるときにはこういう考え方をするのだ。これを壊すのは相当に面倒だが、私は結構好きだったりする。

 

「ええと、まず速さの低下、あるいは増加は一定だとします。正負を考えればどちらも一つに纏められますが」

 

「根拠は?」

 

「ええと、高さに変わらず重さは一定であるとか、そういうのでいいでしょうか。正直運動についてはあまり詳しくなくて……」

 

「詳しい人、いるの?」

 

「参考にしたのは運動哲学とかですが」

 

あ、あるんだ。まあ哲学は本来あらゆる分野をカバーしていたからな。逆に言えば私がいた世界で哲学と呼ばれていたのは上澄みが全部取られた学問の(よどみ)みたいなものである。まあこういうこと言うと戦争なので私はあまり言わなかったが。

 

「わかった。続けて」

 

「時間に対する、あるいは水平方向の移動に対しての速さの変化が一定であるとすると、単位時間に進む距離はその速さと微小時間の積で表されますよね」

 

「……そう」

 

拍レベル*1の認識……はそうか、天文学の知識があるから考えとしては持てるのか。というか積分をやるなよ。一応前に微分の話をした時に説明はしたけどさ。

 

「あとはまあ、計算すれば」

 

「……ええと、これについてお願いがあります」

 

「はい」

 

「投射物の運動理論についてある程度纏めて原稿にしてください」

 

「そこまでする価値があるものなのですか?これぐらいなら誰でも……」

 

「今まで似たような話を見たことがありますか?」

 

「無いはずです」

 

「なら出すべきですね。銀が必要ならこちらで」

 

古典物理学がなんかできようとしているのだ。さすがにニュートンみたいに性格が悪かったら考えたが、彼ならまあいいだろう。

 

「……何をそんなに慌てているんですか?」

 

「……ん?」

 

「いえ、キイ先生ならこれぐらい知っているのではないでしょうか?」

 

私は無言の笑顔を返事の代わりにする。

 

「もしそうだとしても、黙っていれば功績は君のものだよ?」

 

「わかりきっていることを示して得られる功績なんてものは、それはまあ貰えるなら貰いますけど、価値があまりないでしょう?」

 

「……なら、秘密で一つ、宿題をあげよう」

 

私は声を潜めて彼に向き合う。

 

「月が廻る時に働く力について、暇があるなら考えてみるといい」

 

まあ、彼ならできるかもしれない。そうでなくとも、悪くない課題になるだろう。

*1
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