図書庫の城邦と異哲の女史   作:小沼高希

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生気

「……おいしい?」

 

「はい!」

 

私の質問に編集員が満面の笑みで答える。さくさくと食べられているのはある種の焼き菓子だ。麦と脂と卵とたっぷりの麦蜜で作ったもの。発酵で生地を作って、中のガスをうまい具合に潰さないようにしているので軽い食感である。なお高い。

 

「あ、お茶です」

 

「……ありがとう」

 

私がお茶を渡すのはここ一年弱の騒動の原因でもある医学師。今日は長卓会議の後のごたごたの話を聞きつつちょっとした慰労会ということで編集所に来たわけである。

 

「キイ嬢の助けで、色々な事が進んだ。礼を言う」

 

「こちらもやりたかったことが多くできました。貸し借りはなしです。原稿出せます?」

 

「もう少し先に伸ばしてくれ、まだ忙しい」

 

「わかりました。ではせめて医学分野の論考の照査をお願いします。これ、知り合いの人が書いたものでしょう?」

 

私は彼に最近送られてきた原稿を渡す。一応著者を伏せてはいるが、この城邦は狭いので大体わかるだろう。

 

「……だろうな。確かに話はしたが、こういうものをやっているとは」

 

内容は外傷に対する処置としてさらし粉で消毒した水による洗浄を行った際の色々だ。特に有害な問題も見られず、傷の治りも少しいいかもしれないが詳しくはわからない、とのこと。かなり謙虚に思える。私なら可能性をもっと増して書いてしまうが、そういえばこの雑誌は載ったところで人気とかには関係ないし、査読を通過するためにインパクトのある発表をしなくてはならないなんてこともない。できるだけつまらない、地味に見える研究でもきちんとしていれば掲載しているようにしているのが効いているのかな。

 

「そもそもの患者数が少ないから、面白いことは言えないと思いますが」

 

そう言うのはケト。一応査読みたいなものは私とケトと編集員の三人で基本は行って、体裁が問題なければ専門家に聞く、みたいな手続きを取っている。

 

「……それでいいのだ。万病に効く薬など、ほぼないのだから」

 

「ほぼって、あるのですか?」

 

「ある種の毒草がそうだな。生という苦しみからの解放をしてくれる」

 

「……医学師がそういうことを言っていいものなのですか?」

 

「あまり良くはないがな。ただ先日、師に抑疼に効く薬湯を与えて来たところだ。それを思い出すとな……」

 

この医学師の師にあたる人の解剖のために色々と動いたのはある。

 

「あとどれほど、保つでしょうか?」

 

「……三月、と言いたいところだがもう少しは行けるかもしれん。この冬を超えることも叶うかもしれん」

 

「逆に言えば、それほどですか」

 

「ああ」

 

「……ところでその抑疼に効く薬湯、でしたか。普通の人が飲めば相当良くないものですよね」

 

「効能が出ている間は心が穏やかになり、心地よい気分に包まれると言うが、その効能が終わる時に酷い苦しみを味わう事があるという。量を抑え、定期的に飲み続けるのであれば問題ないのだが」

 

なんだ、ただのオピオイドか。とはいえ投与管理ができているのはすごいな。たぶんそれなりの知識の蓄積と専門家の勘と少なくない犠牲の上に生まれたものだ。

 

「となると、飲みすぎれば死にますか」

 

「……まあ、それを飲むような人はそう遠くないうちに死ぬのだがな」

 

患者を見たことはないが、雰囲気からして末期がんといったところか。そもそもこの世界でがんで死ねるのはかなり健康な方だろう。大抵はその前に感染症に襲われるのだ。結核が死因の一位だった時代も存在している。というかこの世界にも血咳病とかいうそのまんまな名前のものがある。早く土から放線菌を見つけてこないと。

 

「っと、そうだ、解剖の腕のほうはどうですか?」

 

「豚を十数匹捌いた。まあ大まかに臓腑の大きさなどは似ていると聞いているからな。おまけで家に塩漬け肉が多くある」

 

「実際、人を相手にできると思いますか?」

 

「練習を重ねて、それなりに手際よく臓腑を取り出せるようにはなった。だが血の匂いにはまだ慣れきっていないのと、腐るのがな……」

 

「……あれ、半年後は夏ですか」

 

「氷を作ることは、できるのだったか?」

 

「ええ。まだあまり効率がいいものではありませんが、土を掘ったような場所に作った氷を置けば数日はどうにかなるでしょう。ゆっくりとまでは行きませんが、余裕はできるかと」

 

「そうか。……ただ、今更になって怖くなってきた、と言えば笑うか?」

 

「いえ。私だって、あなたと同じ立場になれば同じように思うでしょうから」

 

死体にメスを入れることは、人間の感情をバグらせがちだ。まあ医学部入学者と医師免許取得者の比から考えるとそこまでの人が無理というわけではないらしいが、医者になって死体解剖をする割合はあまり多くはなかったはず。

 

「豚の時でもそうだったのだ。既に生気の抜けた、ただの骸だとしても、手が……」

 

「……これからの医学のため、救われる人のため、というのは詭弁でしょうか?」

 

「いや、確かにそうだ。知識は人を救う。それに、別に人を殺しているわけでもないのだ。だが……」

 

「その葛藤を忘れる事ができないなら、それが良いと思いますよ」

 

「そうか……」

 

医学師はそう呟いて、お茶をすすった。

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