図書庫の城邦と異哲の女史   作:小沼高希

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第3章
規矩


「っぷはぁ!」

 

革袋から独特の香りのついた薄い酒を飲む。防水用の樹脂の匂いと合うように作られる、旅用の飲み物だとか。結構クセが強いが、乾いた喉にはよく染みる。骨でできているらしい口の部分には木栓がはまるような構造だ。なかなか良くできている。

 

「脚のほうは問題ありませんか?」

 

元気そうなケトが聞いてくる。羨ましい。その体力が少し欲しい。

 

「まあね。それで、到着まであとどれくらいかわかる?」

 

「歩いてきた時間を考えると、日没前には余裕をもって旅宿にする衙堂に着くはずです」

 

太陽の高さを見る。なんとなく覚えていた方角はもう怪しくなっていた。まず海岸線まで西に行って、そこから南西の方に向かうらしいが具体的な位置についてはケトもわかっていないようだった。

 

「地図が欲しいなぁ」

 

そんなことを言いながら立ち上がる。

 

「地図ですか?面白そうな話ですね」

 

「そう?確かに軍隊とかには役に立つけど、道路に沿って歩く旅人や商人にはそこまで有用ではないと思うな」

 

正確な地図がなくとも、世界交易は可能だった。道路や海岸線の正確な記述がなくとも移動はできるのだ。地下鉄の路線図のように、必要な情報は点と点がどう繋がっているかということなのだから。数学だと位相幾何学(トポロジー)の領分となるが、なんとなくふわっとしたイメージと比較して数学的な理論はなにもわからない。科学史の中でも近現代数学史をちゃんとできる人間を私は崇敬している。表面的に触ってなんか適当な哲学用語を散りばめている人間は嫌いだ。Bricolage(器用仕事)だという弁解はきちんとクロード・レヴィ=ストロースを読んでかつ引っ張ってきた用語の意味を踏まえた上でしてほしい。

 

「キイさんは、地図について知っていますか?」

 

「そりゃまあ、一応……いや、難しいな」

 

過去問を解いて参考書を読んで部活で測量をやっている同級生に実技の説明を受けて一応測量士補の資格を持っている。ただ、あくまで私の知識はトータルステーションの存在を前提としている。光波測距儀は無理でも経緯儀はなんとかなるか?いやそれでも光学望遠鏡と精密な機構が必要になるな。それでも大日本沿海輿地全図で使われたレベルの測定装置なら……と思考を巡らせる。

 

「畑を作るのにも、街を作るのにも、量地司は欠かせません」

 

「なんだっけそれ」

 

「距離を測って、角度を読んで、土地の区分を行う人です」

 

「ああ、なるほど。そうだよな、当然いるよな……」

 

測量自体はかなり昔からあった。巨大な墳墓の建設はしっかりとした基準なしには行えないから当然と言えばそうなのだが。

 

「ねえケトくん、二種類の刻みを入れた棒で長さを測る方法って知ってる?」

 

「……キイさんがそんなことをする人だとは思いませんでしたよ」

 

えっなにその言い方。

 

「待って。誤解がある」

 

「目盛りの違う規矩を用いるんですよね」

 

「うん。あってるよ。少しだけ目盛りの間隔が違うの」

 

「それは、いけないことです」

 

「えっ」

 

「正しい秤と、正しい升と、正しい規矩を用いるのが正義というものです」

 

「あっわかった。私が距離をごまかして不正をするって言ったように捉えたんだ」

 

「……この言い方で、違うことってあるんですか?」

 

「うん」

 

首をひねるケト。ふふふ。

 

「どういうことですか?」

 

「目盛りより細かい長さを測る技みたいなものだよ」

 

ペトルス・ノニウスによって作られ、ピエール・ベルニエによって改良された副尺という発想だ。この二人の名前はノギスとバーニヤとして残っている。ああしかしケトとの会話ではこういう単語を使えないのが厄介だな。

 

「まず、私たちの目は二つの線が真っ直ぐになっているか、それともズレているかをかなり正確に見分けられるんだ」

 

「……それで?」

 

まだ疑いは晴れていないらしい。まあいい。

 

「長さが100の棒に、10刻みで線を入れると目盛りの間隔が10ある棒ができるよね」

 

「ええ」

 

ケトにこういう話をする時、基本的に単位をつけないということになっている。かなり抽象的な思考を要求するから難しいと思いきや、最初のうちは実際の長さに換算して、そして今では感覚で都合の良い単位を選んでいるらしい。おや、となると誤った規矩を使っているのはケトの方では?

 

「で、それをもとにして長さ90の棒も作れる」

 

「……ええ」

 

「これを幾何的に10分割すれば、ひと目盛りの長さは9」

 

「……大丈夫です」

 

「これを組み合わせれば、1刻みで長さを測れる」

 

「……たとえば、68は……50と18の和である、というように?」

 

「そう。まあこれは実物を見たほうがいいかな」

 

さすがに口だけで説明できるほど自信はない。

 

「それを使えば、測量をより正確にできるんですか?」

 

「そう」

 

確かにそういう話をしていたんだったな。ケトにあんな目を向けられたショックで忘れていた。

 

「聞いたことがないですが、使えそうな考えですね」

 

「本当?どこからか何か言われたりしない?」

 

「……そう考えると、量地司の組合にここは聞いたほうがいいですね」

 

「図書庫の城邦に、そういう場所ある?」

 

「ええ、専門家を育成する施設があります」

 

「なるほど」

 

やはり、私のやりたいことをやるには図書庫の城邦はかなり適しているようだ。問題は面倒な政治が避けられそうにないことだが。

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