図書庫の城邦と異哲の女史   作:小沼高希

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第21章
招集


「血を流す圧が下がっているようで、もう長くない、とのことです」

 

蝋引きの外套を振って、雨粒を落としながらケトが言う。

 

「そう。なら動き出さないと」

 

ケトの濡れた髪を布で拭きながら私は返す。

 

「ですね。手分けして声をかけにいきましょう」

 

「わかった。ええと、じゃあ城邦の西側を任せていい?」

 

「任されました。東側をお願いします。しかし、その前にちょっと暖かいものを飲んでいいですか?」

 

「いいよ。ちょうど湯を温めていたところ」

 

そう言って私は作業机の上に積み上げられたメモの一つを取り出す。解剖が行われる際に呼ばなくちゃいけない人たちの名簿だ。本当はさっきケトが訪ねた医学師がやるところなのだが、流石にお世話になった人間が死んだ後でその遺骸に刃物を入れる人間にここまでの無茶は頼めない。私たちとしても今後進めたい医学系の関係者と顔を合わせることのできる機会でもあるので引き受けたというわけだ。それに、私たちのほうから彼に紹介した人も多かったというのもある。絵であったり、撮影であったり、照明であったり。もちろん、名簿には医学師も多い。というか本来はそういう人たちの見学がメインなのだが。慣れている人や覚悟のある人以外はできるだけ血とか死体の匂いからは遠ざける事を考えると、実際に部屋の中で作業するのは私になるだろう。別に私だってそこまでああいうものに慣れているわけではないけれども。

 

「仕事を引き継いでもらっていい?」

 

私は原稿を読んでいた編集員に言い、原稿の類をまとめて渡す。ある程度は私のメモがあるのでなんとかなるだろう。そうでなくとも彼女の腕はしっかりとしたものだ。これでいて裏で電磁システムの開発をやっているという噂があるので正直若いっていいなぁと思ってしまう。ある種のリレーを使った機構で、自分の回路自体を自分で生み出した電気信号で切り替えるような機械の設計を目指しているらしい。まだいい加減だが、十分洗練されればコンピュータと呼んでいいものになるだろう。彼女の目標は計算機というよりも自動回線切り替え装置だが、論理的に見ればその二つにあんまり違いはなかったりする。メモリが搭載されているかとか、そういうぐらいかな。まあでも機械だと今の状態自体が一種のメモリとして働くのでいいのか。

 

「いいですよ。ひとまず四半月、編集長は動けないものとして扱います。基本的には面会については断りますが、緊急性が高いものであれば伝言を取り次ぎますね」

 

「ありがとう。十分だよ」

 

「いいえ。基本的に私の判断で動くので、もし何かあったら後始末をお願いいたします」

 

「任せて、上役とはそういう事をするのが仕事なので」

 

信頼できる部下というのはありがたい。ケトもそうだけれども、もし何かあっても私が頭を下げる意味があると思えるような事案を持ってきてくれるという関係はなかなか得難いのだ。印刷物管理局の人たちもそうだった。本当に部下には恵まれているんだよな。引き換えに良き上司たらねばならないけれども。あまりプレッシャーに感じるのが良くないとはわかってはいるが、やはり気が張るな。今は直接の部下が一人とはいえ、始まってまだ二年も経っていない「総合技術報告」がかなり高い評価を色々な所から得ているのもあってやり取りをする人間は印刷物管理局の局長だったときよりも多くなっている。そろそろ競合が出てきてもいい頃だが、そういう噂をまだ聞かないあたり難しいと思われているのだろう。実際かなり難しい。私が異世界の知識マシマシで良かったな。それでも難しい論理になると少し考えないと飲み込めないが。

 

「それにしても、今日は冷えますね」

 

編集員が私の淹れたお茶を美味しそうに飲みながら言う。

 

「珍しいよね、夏至前にこういう冷たさは」

 

私は呟いて、指を深盃に当てて温める。気軽に冷暖房をつけるとかができないので重ね着とかで対応するのだが、それでも微妙にストレスが溜まるのは避けられない。なので温かいものを定期的に飲んで少しでもリラックスしよう、というつもりであった。

 

「……助かりますけどね」

 

そう呟くのはケト。確かにこれから解剖するとなれば、温度は低い方がいい。

 

「ええと、まずは氷を頼んで、電池を運び入れて……」

 

「電線を通せれば楽だったんですけれどもね」

 

「まあまだ皮膜も出来ていないしね。あれだけの灯りを使うとなると誤って触った時の痺れも凄いことになるし」

 

「確かに、それもそうですね」

 

鉛蓄電池の運搬、写真の準備、部屋の冷却。やるべきことは多い。解剖の計画は見せてもらったが、順番に見ていっておよそ四日。脳と内臓から始めて筋肉や神経を確認していき、最終的に骨にまでたどり着く。基本的に私たちは技術担当で、記録担当については今回の解剖の主任である医学師とともに訓練をしているはずだ。豚の解剖の過程で描かれた内臓の図を見たが、平行線でつけられた陰影は十分記録に耐えるように思われる。まあ、ここらへんはやってみるしかない。

 

「それじゃあ、行こうか」

 

私は空になった深盃を置いて、外套を着込んだ。

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