図書庫の城邦と異哲の女史   作:小沼高希

253 / 365
前話に引き続き、遺体の解剖シーンが含まれます。あらかじめご了承下さい。


葬制

脳髄が取り出され、顔の筋肉が顕になり、裏返した背骨から伸びる神経が数えられていく。

 

「四種類の糸が巡ることが、これで確認されたわけだ」

 

そう言いながら解剖を続ける医学師を邪魔しないよう、私はこっそりと外に出る。そして小さく笑う。

 

さっき述べられていた四本の糸は動脈、静脈、神経、そしてリンパ系だ。この4つを似たようなものとして扱うのはそうおかしい話ではない。というよりリンパ系をちゃんと辿って全身に存在することを確認しているし、さっき聞いた会話の中には感染症で起こる炎症がリンパ節で起こっているのではないかという指摘もあった。まあ偶然の域を出るものではないだろう。ここらへんの実際の機能解明については医学の発展を待つしかない。正直私には手が出せない内容だ。

 

今後のことを考えると、もっと定期的に解剖ができる環境が欲しい。今回のような老衰だけではなく、急死とか病死とかの遺体があればそこから比較を通して何かが悪かったのか、何が起こったのかを特定することができる。人を切る経験は手術の腕を向上させる。がんの切除は大きな武器になりうる。まあ放射線治療とかを進めてもいいが。ああ、X線。骨格のデータが揃ったあとぐらいに提供するか。今でも多分発生はしているはずだから、強度を調節してやればいい。問題は蛍光側だな。ヴィルヘルム・コンラート・レントゲンの時はシアン化白金バリウムだっけな。実際のところ安全性を考えればタングステン酸カルシウム、もとい灰重石が必要になる。うーん、代替物質、ない?記憶にはない。いや、基本的に励起状態から落ちたときにいい感じの色を出せばいいんだろ?となるとランタノイドあたりのあれこれが……ユッテルビューみたいないい鉱山はない以上、後回し。ああ、何をやるにもマテリアルが足りない。

 

あとはまあ、解剖学で残る課題は名前か。原則としてエポニムの使用を禁止して、系統だった命名にして、と言ったところか?となると一度に全部の名前をつけなくちゃいけない。付け足し付け足しでは面倒なことになるのだ。ここらへんを弄れるのは私の強みであるし、後世の人から刺されないために私がやらなくちゃいけないことだ。第何番腕骨とかでいいんだよ。

 

さて、戻ろう。一応こういうタイミングで外側の様子の確認とか担当者を労ったりとかしているのでサボりではない。まあどうも匂いがあれらしく少し嫌な顔をされるが、それについてはすまないと思う。有機溶媒で洗うと肌荒れとか怖いしな、石鹸みたいな界面活性剤と時間経過に任せるのがいいだろう。

 

覗き込むと腕の筋肉の動きの話をしていた。肘と手首の間の皮膚が綺麗に切り取られ、いくつかの筋肉と腱が見える。医学師が丁寧にそのうちの一本を引くと指が伸びる。手のひら側にある別の筋を触ると、次は曲がる。こうやって指を動かす筋肉が前腕部にあるというのはやはり奇妙ではあるが、丁寧に観察をしていればわかるはずだ。私も自分の肘のあたりに手を当てて指を動かしてみると、筋肉が動いてるのが感じられた。ここらへんは知らないとわからないし、外傷とか捻挫への対応をきちんと出来るようになるために構造が理解されている必要がある。撮影とスケッチ、そしてまた刃が入って筋繊維を除けていく。剥がされた筋膜や皮膚なんかは基本的にまとめられているが、多分これらは標本にはされないのだろう。

 

となると、火葬か。一応肉体はまとめて、というぼんやりとした思想はあるらしいが、バラバラにしてしまったのであれば埋めるよりも燃やして同じ状態にしてしまったほうがいいと考えるらしい。呪いの一つに遺髪を取って別の場所に埋める、みたいなものもあるのでここらへんのなんとなくの価値観みたいなものはあるらしい。古帝国法では「埋葬」としか書かれていないらしいし、この単語自体も広義にとらえれば葬儀全般の意に解釈できるので地域によって様々な方法で葬儀が行われるらしい。例えば船の民とかでは水葬をするという。というか衙堂はこういった儀式を行う専門家団体なので、様々な地域の情報がデータベース化されているのだ。最近は大図書庫のワーキンググループがそういう知識のまとめを始めたとも聞くし。本当は顔を出したいのだけれども、権限がどうしても微妙だ。まあ必要とあれば頭領の名代たるケトの付き添いとかいうちょっとした荒業もできると前にケトが言っていたのでそういうことをしよう。

 

……一応、私は司女なのだ。解剖されている人物とは生前顔を合わすことがなかったが、これは医学師の計らいもあるのだろう。せめて何か弔いの言葉一つでも言うべきかもしれないが、それらしい言葉は上手く浮かんでこなかった。科学の発展のため、とは言っても実際どこまで彼の遺体解剖が役に立つかと言われると難しい。もちろんここにいる人間が、私も含め多くの学びを得ている。けれども、その学びがどれだけ活かせるのかは難しいところだ。活かさねばならない、と思い詰めるのもまた違う気もするしな。ただ、本人が望んだことである以上、こうやって知識を得るために用いられるのは葬制の一つとして成立するのかもしれない。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。