「……面倒なことをしているな。別に私を巻き込むこと自体は構わないが、助けにはならんと思うぞ?」
私の手短な説明を聞いて、薬学師のトゥー嬢は言う。
「……恨まれる、かと」
「そこまで信頼されていないというのは少し悲しいものだな。それなら持ち込まないで欲しかった」
「……すみません」
「冗談だ。気にしないでくれ」
「というより、トゥー嬢でもどうしようもないんですか」
ケトが言う。彼女はかつて存在した今の頭領に対する派閥の有力者の娘で、今は薬品や新材料の研究でいくつかの商会や工房と繋がりを持っている。本気さえ出せば講官にすらなれるだけの実績もあるし、実際のところ彼女を上回る知識と技術と観察眼を保つ薬学の講官はいないだろう。まあ別に権威主義というわけではないし、講官はテクノクラートみたいな側面もあるので単純な研究成果だけでなれるものではない、というのは置いておくとして。それだけの人が、もし図書庫の秘密を知ったとしても切り札にできないと言うのだ。もしそうなら今日トゥー嬢を訪ねたのはおしゃべりのためになってしまう。それでもいいのだけれども。
「……まあ、予想はできるがな」
「と、いうと?」
「私がもしそれを知ったとしても、どうしようもないほどのものだ。もしそれが重要で、図書庫の城邦をひっくり返す事のできる内容なら父は私に伝えているだろう。そうでないということは、知ってもどうしようもないということだ。キイ嬢の洞察の通り衙堂に関する内容であれば、まあ密かに集めている各地の情報であったり、反乱の兆候であったり、そういうものではないかね?」
トゥー嬢の言う内容はある程度納得できる面もあるが、私はまだ不満だ。
「旅行記や税収の統計などから確かに色々と引き出すことはできるだろうけど、それができる人物はそういないよ?わざわざ隠す必要があるかね?」
「複数の条件が重なって今の状態になったのだろう。今更公開すると言っても面倒事を起こすだけなら現状を維持するのは悪い選択肢ではない」
「こういう時は歴史を辿るといいですよ」
意見の対立がちょっと危なくなりそうだったのを見たのか、ケトが一旦雰囲気を戻してくれた。
「古帝国の頃に今の図書庫は作られています。当初は総督の私設書庫だったようですが、招聘された学者たちが交流を始め、当時の様々な文献を集めて研究を始めたのが図書庫の始まりであると言えるでしょう。もちろん今の図書庫とは大きく違うものでしたが」
「当時の収蔵品は?文学とかの方面なのか、それとも行政に関わる文書であるとか」
「かなり幅広く集めていたはずです。学者たちも詩人であったり、かつて政治家であった人物であったり、当時の皇帝の護衛として各地を巡った武人であったり、本当に様々で」
私の質問にケトは淀みなく答える。まあ名前を聞いたところでわからないだろうが、どれも高名な人物なのだろう。
「やはり起源は趣味……に近い、のか?」
「衙堂の方を考えてみてもいいかもしれないな」
トゥー嬢が言う。
「聖典語を話していた、今は名前を忘れられた民の話は?」
「あれはかなり怪しい話ですよ?」
「二人とも待って、私はその前提を共有できていない」
トゥー嬢とケトを私は止めて言う。
「……ああ、そうか。昔話というほどでもないが、私に歴史を教えた人物が語っていたものなのだがな」
そう言ってトゥー嬢は話し出す。古帝国というのはきちんと統治されたモンゴル帝国であるとか、
「……とはいえ、今の衙堂は特定の神を信奉してはいないよね」
そう言って、私は頭の中からかつての世界の似たような民族を思い出す。彼らは各所に散り、迫害を受けながらも文化集団として生き延びた。そう考えるとかなり近いものがありそうだが、その根底には信仰があったはずだ。もちろん、それを手放した人たちもいたことは知っているけれども。
「ええ。その民が敗北によって頼るべき神を失ったことで信仰を失くしたとも、降伏の条件として他のものが信じる神を自らの信じる神と同様に尊重せよ、と言われて抗ったものは皆殺しにされた、とも言われていますがここらへんは完全にわかりません。図書庫ができたころに数人の学者が討論した時の記録が残っていますが、結局結論は出ないままに終わっています」
ケトの説明はわかりやすいが、何もわからないことしかわからない。うーん、私レベルが漁れる資料は既に分析済みだろうし、先行研究を追いかけて同じレベルに立つとなるとそれなりに時間がほしい。まあそろそろ活動に手詰まり感が出てきたので別にそういう本職っぽいことをやってもいいのだが。
「衙堂ができたのは図書庫ができる前であっているか?」
トゥー嬢はケトに聞く。
「そのはずです。最初の皇帝の頃に衙堂の元になる民の支配が行われて、この地が古帝国の下に屈したのがそこから三十年ほど後。で、最初の皇帝の孫であるこの地域最初の総督が就任したのがそこから二十年か三十年か、ですかね。ここらへんは年数の計算が面倒で……」
「順序を考えれば、図書庫は衙堂のために作られた?」
「少し飛躍しすぎな気もしますが」
私の呟きにケトはそう返したが、否定はしなかった。