図書庫の城邦と異哲の女史   作:小沼高希

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歯式

「……なんですか?」

 

「口、開けてもらえる?」

 

「いいですけど」

 

開かれるケトの口。歯垢は少ない。暗い場所に右手の人差し指を入れる。

 

「ほへはふぇ」

 

「ちょっと待って」

 

指先の感覚を奥の方に辿っていく。犬歯からひとつ、ふたつ。全部で五本。ということは第3大臼歯まで生え揃っているのか。私も少し変な角度で一応生えてはいるが。やっぱり硬いもの食べてるからかな。

 

「それで、何のためにこんなことを?」

 

私が指を抜くと、ケトは不思議そうに聞いてきた。

 

「私が、ここの人間と同じか確認したかった」

 

涎を拭きながら言う私に、ケトはまだ納得できないといった顔をする。

 

「……どういうことです?」

 

「よく似ているけれども、別の種類の動物だったり植物だったりという例を知っている?」

 

「虫で似たような話を聞いたことがありますね」

 

「私とケトにそういう違いがないか確認したい」

 

「……いいですけど。歯の数はどうでしたか?」

 

「同じ」

 

8本の前歯、4本の犬歯、20本の臼歯。合計で32本。私と同じ。確かオナガザル上科とヒト上科がそうだったはずだから、分類学的にはここらへんまでは一致、と。というか普通に二足歩行とか外見からしてヒト属までは言っていいと思う。

 

「次。顎触らせてほしい」

 

「……いい、ですけど」

 

少しだけちくちくとした感触がある。髭をちゃんと剃っているのだろう。そういえば個人で髭を剃るのは珍しいようで。

 

「で、これで何がわかるんですか?」

 

「顎の先端の形」

 

皮膚の下、正中線の部分にちょっとした骨の隆起がある。そこから上に指をもっていくとくぼみ。つまり、顎の先端が突き出しているというわけだ。

 

「……やっぱり、私と同じだよな」

 

私も自分のオトガイを確認する。Homo sapiensでほぼ間違いない。もちろんちゃんとやるためには遺伝子分析が必要だし、ハプログループの調査とかして系統を辿る必要もあるだろうが、いまはそれができる技術はない。

 

「それで、なぜ確認する必要があったんですか?」

 

「……考え方というのは、動物によって変わるのはいい?」

 

「ええ。高いところを好む鳥もいれば、そうでない鳥もいるように、だと考えればいいですか?」

 

「そう。出せる声もどういう筋肉がついているかによって決定する。それは世代を重ねるごとに少しずつ起こる変化が積み重なって起こるもので、逆に言えばその生物の状態を丁寧に確認していけば、どういう環境に置かれていたかがわかる」

 

「……なるほど?」

 

「神々を信じるかどうかみたいなのはここ数万年で生まれたって話があって、そう考えると私たちは同じような経路を辿っていたと言える。ええと、つまり私のいた場所とここで信仰のあり方が大きく違うっていうのは考えにくくて、何かの別の要因があったと考えるべきなのはいい?」

 

「ええ、そこまでは大丈夫です。もちろん、ちゃんと議論するためには精査する必要があるでしょうけど」

 

「……まあね」

 

雑な推察を重ねて行う推論はリスキーだ。それは科学史をやっていればよくわかる。論理展開がしっかりしていたとしても、最初の考えが誤りであればきちんとした理論は構築できないし、場合によっては前提を成立させるために現象を否定したり思索的な方向に走ったりもする。もちろん思考実験が無駄というわけではないけれども、あくまで思考実験と割り切る必要がある。

 

「それで、どういう結論が導き出せそうですか?」

 

「まず、基本的に祭事というのは地元の人によって行われていたはずだよね。なぜなら基本的に外部から人は来ないから」

 

「いやそういうのって司士や司女が……いや、すみません。衙堂ができる前の話ですよね」

 

「そう。でも、なぜかそこに衙堂が入り込んで、信仰や祭事においてかなり重要な位置を……ある意味では、乗っ取ることに成功した」

 

「やっぱり、そういうのはきちんと知っている人がやるからいい、という安心感からでは?」

 

「そうかもしれないけど、それなら別に老人であったり、あるいはその地域の中で人を選べばいい」

 

「……確かに。衙堂がない時にはそうなっているでしょうし、実際北の方ではそういう感じでしたよね」

 

「さらに、衙堂の司士や司女が扱う神々はかなり異なるよね?」

 

「ええ、それでも対応できるように先人の残したものを学んでいく必要があって、時には自分から考えることも必要です」

 

「そこ。もしいわゆる『名前を忘れられた民』が衙堂を作ったのだとしたら、そこには何らかのかつての信仰が混じる可能性があるよね」

 

「そうですね。……けれども、その信仰をどうやって確認します?」

 

「今のところの問題の一つはそこ。神話というのは旅人が伝えたりもするし、衙堂の存在するより昔なら噂話みたいなものとして伝わっていた可能性が高い。もちろんそこらへんは仮説にすぎないけれども、それと衙堂の影響を切り分けるのはどうしても困難な感じがする。どちらも地域をまたいで似たような神話を作る原因になるから」

 

「わかります」

 

「本当は衙堂がその土地に最初に入った時についての記録があればいいんだけれども……」

 

私は巻物の積まれた棚を見る。ここにあるのは各所から集められた神話であったり伝承であったりだが、全て更新版だ。確認したが、一番古いものでも百年経過していない。そしてそれにもバージョンを重ねたものであるとの記述があった。

 

もちろん古いものも保存されている。場所は「図書庫の中の図書庫」。立ち入りの禁止された、何かを隠している場所。……まあ、ここまでくれば、多少は見当がつく。

 

衙堂は、そして古帝国は何らかの意図を持って、この世界の宗教というか信仰というか文化のある部分を、歪めているのだ。

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