図書庫の城邦と異哲の女史   作:小沼高希

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適応

「……ねえ、ケトくん」

 

寝台に寝転がったまま、私は視界内にいない少年に声をかける。

 

「なんですか」

 

声の方向からして台所だろう。

 

「何作ってるの」

 

「ただの麦粥ですよ」

 

「あっおいしいやつだ」

 

この世界の麦というかある種の穀物はまだ品種改良がそこまで進んでいないのもあって硬いし、もっといい味にできる気もするがそれはそれとしてしっかりした味がある。よく噛めばちゃんとおいしいし、鶏肉とか魚の切り身とか入れてちゃんと味をつければいいものである。

 

なお麦自体は粉になっているものも含めて結構簡単に買える。いい世界である。そういえば最近は商品の包み紙に新聞が使われる例も出てきた。再生紙の研究も進んでいるし、塩素漂白も実用段階に進んでいるとの話もある。なんというか、便利なものに節操がないのだ。

 

「いります?」

 

「いる」

 

「はいはい、ちょっと待ってくださいね」

 

曜日の概念はないが、月齢に合わせた月の概念はあるので大抵月に4日程度の休日がある。とはいえ職業ごとにそれなりに異なるし、私なんかは疲れたら取るようにしているのでいい加減だ。まあでもさすがに10日ぐらい連続で働くとかはしませんし、編集所の前に月間予定表を置いてあるので大丈夫なはず。一応出勤日と決めた日には出ているし。タスクに追われながらやると確かに進捗は生まれますけれども、引き換えにいろいろなものを失っていくので。健康とか。だから休息は大事なんですよ。

 

「……質問、していい?」

 

ケトの出してくれた麦粥を噛んで飲み込んで、私は言う。

 

「いいですよ」

 

「ここの人たちは、変化に慣れているの?」

 

「ここ、というのは図書庫の城邦の人ですか?」

 

「できればもう少し広い領域で。この地の上の人、とまではいかなくていいけど」

 

「そうですね……」

 

ケトは匙から手を話して少し考えこむ。

 

「何かが変化したな、と僕たちが考える時、そこには実はいくつかの要素があります。見ている人の変化、関係の変化、そして対象の変化。なので見ているものが変わっていると思えても、実際は自分やその相手との関係が変わっているのだ、ということはよくあります。ここを混同してしまうことも多いですけどね。キイさんが知りたいのは、対象が変わることに慣れているか、ですよね」

 

「そう。印刷物とか、通信装置とか、そういうものは私がいた世界ではかなりまちまちの速さで受け入れられていった。中には一度受け入れたものを捨てた例もあったし、たった数年で誰もが使うようになった、なんてものもある」

 

「んー、少なくとも、小さな範囲であれば、そしてわかりやすいものであれば、人間の一生の長さよりも長くかかる、なんてことはあまりないと思いますよ」

 

「そうかな。どうして?」

 

「成長するに従って、人はものを見る方法を変えていきます。それは、社会の変化よりも多分激しいわけですよ」

 

「なるほど」

 

「なので、既にそれが社会の中にあればためらいなく使うと思いますよ。もちろんこれは全体の話で、例えば難しい算学の分野であればきちんとした教材が作られたりするのに時間が掛かるでしょうし、広まるために時間がかかるのであれば伝わる間に百年が経つなんてこともあるでしょう」

 

「社会がそれを受け入れない、拒むって可能性は?例えば特定の仕事をしている人にとって、ある技術が職を奪うことに繋がるというのは十分考えられるけど」

 

「戦が終われば兵は剣を戻しますし、工事があれば石を運んだりします。もちろん慣れ親しんだ技能が活かせなくなるのは悲しいことでしょうが、それは受け入れられなばならないものです」

 

「……君のその考え方は、どこから来ている?」

 

「……ハルツさん、ですね。もちろん自分で本を読んで学んだというのもありますが」

 

「ハルツさんの思考はどこからかわかる?」

 

「衙堂で学んだんだと思います。あそこでは地方で働く司士や司女が学ぶべきことをきちんとまとめていますし、そういう本の中に似た議論があったはずです」

 

「その議論となった内容はいつ頃のもの?」

 

「ええと、あの人は図書庫の庫長をしていたはずだから、今から数えると……」

 

なんというか、アレクサンドリア大図書館があった時代における専門家の集まり具合と同じか、それ以上にここには知的人材が集められてる。もちろんそれができるように最初から行政システムが設計されているというのもあるが、古帝国が緩やかに崩壊した後もそれを維持し続けるほどの目的はどこから来るのか、というのはやはり謎だ。私の知る歴史にはそういったものがあまりなかったからな。少ない例では、宗教が関わっている場合が多い。しかしここには体系的な宗教はない。代わりになるものがあったのだろうか。

 

「……つまり、図書庫ができてそう経ってない頃だよね」

 

「ええ。まだ古帝国が形骸化しているも分裂していなかった頃です。……キイさんの言いたいことは見当がつきますよ」

 

「ほう」

 

「衙堂がそこまで、意図的にやっているというのでしょう?裏で何かをやる時に、変化に慣れていた方がいいから」

 

「まあ、そうだね」

 

「僕はそうは思いませんけれどもね。壮大すぎます。それをあれだけの昔から、想定できる人はいません」

 

「私は?」

 

「キイさんだってできていませんよね、自分の生み出したものに振り回されていますし」

 

「それもそうか……」

 

確かに人間の限界を超えていると言われればそうだ。大抵は物事は想定していない方向へと進む。いや、ならむしろ逆か。自然に起こる変化に対応を重ねていった結果、今みたいになったのか?

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