図書庫の城邦と異哲の女史   作:小沼高希

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農業

手紙が半分ほど行ったところで、本題が始まった。ハルツさんは私のやっている事をある程度見抜いているように思える。

 

「つまり、農業の発展は不可欠だろうけど、キイちゃんはそこんとこ忘れてそう……言われてますよ」

 

「手を回せなかったんだよ」

 

なかなかうまい具合にハルツさんの口調を真似ながら言うケトに私はちょっと悔しくなる。農業というのは時間がかかるのだ。例えば旋盤みたいなものであれば作ってしまえばあとはそれを模倣するだけでいい。しかし農業はもう少し面倒だ。系の複雑さと言ってもいい。変数が多すぎるのだ。

 

実験計画法は最初農業に使われたが、その中でも重要な点の一つは目的の変数以外の要素をランダム性を用いて排除することだ。乱数表を使い、実験の順番も、使う畑の場所も、すべてバラバラにする。相互作用を打ち消し合わせ、確率的に無視できるものにして、求めるものだけを浮かび上がらせる。もちろんそれでも介入困難なパラメータは多い。天候や温度は特にそうだ。それに、どんな農業の達人でも百回の試行を行うことは非常に困難だし、それを記録にとって、統計的に扱うというのは至難の業だ。普通なら。

 

ではもしここに、長期間税収管理などの形で情報を蓄積している機関があれば?ある程度客観的に農業について扱えるだけの知識があり、かつ実際に働く人達から協力を得られるほど信用のある人達がいれば?

 

衙堂と、そこで働く司士と司女は農業分野の飛躍にとって不可欠な人材である。だからこそ、私はあまり手を出せなかった。それだけ大きな組織に関わることができるほどの後ろ盾もなかったし、他にやりたいことも多かったし。しかしそろそろ逃げられないようだ。

 

「不備があったら、気軽に連絡してね……ですって」

 

「その続きは?」

 

「……僕に、です。顔ぐらい見せに来て、だそうです」

 

「そろそろ収穫も終わるし、晩秋あたりにでも行く?」

 

「……そうですね。返信だけでも早めに出しておきますか」

 

「それより、これはどうするんですか?」

 

編集員が冊子を読みながら言う。

 

「そうだ。聞きたいことがあるんだけど」

 

「いいですよ」

 

「その本、どう評価する?」

 

「なるほど、知人の作品だから余計な感情が入ることを避けたいのですね。わかりました」

 

やはりこの編集員、とても賢いんだよな。口を閉じることを覚えればコミュニケーションは上手くなるのだろうが、まあ別にそういうことをしなければならない環境にでもない限り無理にさせないほうがいいだろう。アドバイスはしているし、ちゃんと肝心なときにはそれなりに黙っていられるので、大事にはならないはず。

 

「……今まで読んだ部分での評価ですが、前提として広い範囲で使われることを想定しているように思いますね。基本的に語られているのは一般例で、具体的な例については……いえ、あるにはあるんですよ。しかしそれらにもかなり注記が多いように思います。ある程度知識を持った人が、自分の抱えている問題を整理し、判断を下せるように、と言った側面が強いですね」

 

「衙堂に売れると思う?」

 

「公共の利益に対しての発案所持権の制限に引っかかる可能性がありますね。代償金を認めるべき内容でしょう」

 

発案所持権、つまりは最近認められた著作物や発明に関する権利についてだ。面白いことに、独占を認めるというよりも不当にその発案を使われないように、みたいな方向に近い。代償金を払えば自由にその発明とかを使えるが、まだ制度が甘く手続きが面倒なものになっている。特定の条件での利用許可は、例えば長髪の商者のいる商会がやっている「うちの部品と規格を合わせる限りにおいて自由に販売可能」みたいなやり方でもできる。ここらへんは結構性善説システムなので、早めにレッドチームを編成したいところだ。私名義でやれば面倒事の責任はどうにかなるだろう。それぐらいの政治はなんだかんださせられているのだ。もちろんケト君の仕事のほうがすごいけれども。

 

「あ、こっちが『総合技術報告』編集所への依頼書ですね」

 

「手紙に比べて薄いなぁ」

 

さっきの手紙と同じ筆跡で、短いながらも十分丁寧な内容がそこにあった。この本そのものを「総合技術報告」の名義で販売してほしい、とのこと。利益についての扱いは代理人であるケトに一任する。なるほど、確かにハルツさんのいる衙堂からここまでちょとと遠いものな。往復はまあ四半月もあればいいが、それだけ衙堂を開けるというのも場合によっては難しいだろうし。

 

「……仕事、か」

 

私は頭の中でスケジュールを練る。

 

「衙堂側でこれを読めるだけの人材、いる?」

 

私はケトに視線を向けて言う。

 

「何人か心当たりがあります。頭領府にもいるので、そちらにも声をかけましょう」

 

「わかった。代償金の算定、お願いできる?」

 

「一応やってはみますけど、あまり信頼しないでくださいよ?」

 

編集員がわくわくを隠せずに言う。面白い仕事が好きなようだ。

 

「もちろん。そう簡単に値段をつけられたら苦労しないけど、参考になるものはほしいから」

 

「わかりました。ケト君、あとで資料探しを手伝って」

 

「わかりました。キイ嬢はどうしますか?」

 

「原稿読んで、全力で批評する」

 

多分相当の場所で読まれることになるだろう。気合を入れなくては。

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