「私は『総合技術報告』編集長として、この本の印刷を請け負うことを決定します」
「その宣言、必要なんですか?」
私の言葉に、唯一の編集員はちょっと白い目を向けた。
「キイさんの評価を聞きたいですね」
ケトにそう言われ、私は少し話す内容を頭の中で整理する。
「一部に分析のミスはあるものの、大まかには間違いないと思う。扱っている内容の幅広さと一般性を考えれば、この図書庫の城邦の近辺で農業政策に関する活動をするなら持っておいて損はないと思う。ええと、この本の権利みたいなものはケト君に一任されているよね?」
「この手紙を見る限りでは、そうですね」
手紙にはちゃんと署名がしてあった。つまり、これは法的文書としてもちゃんと意味を持つものなのだ。よくまあ細かいところまで考えられている。私なら見逃していたであろうポイントだ。
「図書庫、衙堂、あとは頭領府の知識がありそうな人に話はしました。興味を持っていますよ」
「それはよかった」
ケトの報告を聞き、私は深くうなずく。ここらへんから面倒な政治的案件とかがあれば投げていたが、無いならそれに越したことはない。
「この件全体を、誰かに投げれそう?」
「……相当大きな計画になるでしょうから、可能な人は数えるほどしかいません」
「そうか……」
「衙堂であれば、おそらく煩務官になるでしょう」
「まあ、あの人ならいけるか」
あ、すっかり忘れていたがこの編集員は司女見習いなんだよな。
「衙堂で働く?必要なら口利きはするけど」
私は編集員の方に声をかける。
「嫌です」
きっぱりと断られてしまった。まあ私だって嫌だが。
「なら仕方ないか。命令でも来ない限りはそうしないよ」
「来そうですけれどもね」
ケトはため息を吐く。
「頭領の名によって、とされれば逆らうのは面倒ですよ」
ああそっか、すっかり忘れていたがこの図書庫の城邦の法制度というかシステム上では万人に認められる人権がかなり制限されていて、権利のいくつかは頭領が与えているみたいな形になっているのだ。天賦人権説は採用されていない。というか万人と言っているけどこれ古帝国が全地を統べていること前提のシステムを変な解釈して出しているものだからな。例えば船の民を図書庫の城邦の誰かが殺せば、それはちゃんと殺人となる。しかし、非常事態に頭領の名において船の民から何かを接収した時に賠償責任とかはない。もちろん頭領の名において、というのはある種の比喩的表現だが、実際適用された例はいくつかあるらしい。
というわけで、その頭領の命令に逆らうのは私がいた世界における反逆罪に相当するのだ。刑罰は最悪で公開処刑である。とはいえそういうことはまずない。それが許されるほど頭領の権力は強くないし。
「農業政策は城邦の人たちに直接は利害関係ないから、主に衙堂が動くのかな?」
そういや、この世界というか地域には地主制度がほとんどないのである。強いて言うのであれば衙堂がその役割の一部を担っている。これはかつて古帝国による征服戦争に対して武器を取った農民たちの権利保護という側面が、みたいな歴史があったはず。なんで農地改革が成功しているんだよ。で、それを衙堂が安値で買い取って高値で売る。この差額が実質的な税金として働くわけだ。そういうわけで主要農作物は衙堂を通さない販売が禁止されている。なかなか面白いシステムだ。
「そうなるでしょう。しかしその方面への注力は望ましいと考える人も多くいるので反対はないかと」
「……わかった」
政治は嫌だが、まだマシなものだと思おう。地方巡りとかしてドブ板活動をしなくていいのは楽だ。ロビー活動で色々な事ができてしまうのはそれはそれで問題な気もするが、この図書庫の城邦ではそれなりに農村地域出身者がいる。学徒の街なのもあって人の出入りが多いのだ。それもあって、都市と農村が完全に分断されてはいない。
本当に都合が良すぎるな、と私は思う。いや、そういう言い方は良くないな。運良く揃った前提条件をきちんと活用している人達がいるだけだ。それはちゃんと評価されるべきなんだよ。特に何もやっていないように見えるかもしれないけれども。
「これらを印刷するとしたら、どれぐらい時間がかかりそう?」
「本の紐を解いていいなら、二月かそこらで十分でしょう。蝋紙版ではなく文字版印刷になりますよね」
編集員がすぐに計算を出してくれる。雇う必要のある人数も大丈夫だし、これぐらいなら今の「総合技術報告」編集所のキャッシュフローでも対応できる。まあケトが関わるならどうにかして衙堂や図書庫や頭領府に雇われるという形にするのだろう。仕事を求める学徒は多いのだ。
「印刷と製本は私の方でも扱えますが、それ以外、具体的にどうやって配るのかであるとかそういうのはキイ嬢とケト君の仕事になるでしょうね」
「……ケト君」
「キイ嬢も動いてもらいますよ?三つの組織と繋がりがあるんですから」
私は苦笑いをするが、まあ仕事としては楽しめそうなのでいいとするか。