この図書庫の城邦には、地方出身者も多い。若い頃に土を触っていた経験はそれなりの人が持っているので、こういう本がどれぐらい信憑性があるか、あるいはどれぐらい読みやすいかの評価には助かる。というわけで学徒の繋がりとかを利用して原稿を読んでくれる人を集めたりした。ここらへんは「時勢」紙の編集長との繋がりもある。どうやら新聞の利益を自分の通っていた学徒寓に還元しているようだ。いいことである。聞けばそこの学徒を働かせたりしている分で人件費程度には出資しているようで別に篤志家というわけではないらしいが。まあ税はちゃんと取られているのでいいとしよう。新聞も印刷物の一種とする法判断が下ったのである。まあ、そこまで無茶な額でもないし、贅沢品にかけられる税と比べればそこまででもないからいいか。
「んー、やっぱりハルツさんは凄いなぁ」
そういう形で集めた改善案のリストを見ながら私は言う。難しい聖典語の言い回しがあったり、一部の地方の方言があったり、ちょっと大きなところでは異なる二つの作物を混同していたりなんてことがあったが、大まかには問題ない。というか図書庫の方の分析では古典との矛盾があったので実際に確認したら古典のほうが誤っていたという事があったらしい。
基本的に、こういう活動は根気と観察眼があれば結構誰でもできる。というかそれがあれば博物学者、いやこの世界で言うなら自然学師か?の素質としては十分なのだ。そしてそれなり程度にはこの世界にはそういう下地がある。もちろん自然学はあまり役に立たないとか言われてその方向を極める人は少ないが、子供たちが野山を駆け回って色々見つけたりするのを一概に否定するなんてことはない。とはいえ感染症とかが一度起これば死に繋がりかねないし、人の手が入っていない地域は本当に危ないのでほどほどに、とは言われているが。
で、この農法書についてはこの冬のうちに簡略版を作って各所に配布する予定だそうだ。春からの種まきには間に合わせたい、ということらしい。確かに試せるのは一年に一回、せいぜい二回だからな。二毛作とか二期作はあるし、特に土壌が豊かだったり肥料づくりのノウハウがあったりする地域ではもっと複雑な事をしたりもしているらしいが、それは地域一帯がそのための産業基盤を持つみたいなかなり気合を入れた地帯に限っている。
「キイ嬢?」
「なんですか」
私は目を上げて、編集員の方を見る。
「要約版の構成案がいくつか出ています。今の調子で間に合わせるためにはそれなりに忙しくなるので、油でも買いましょうか?」
「電気灯とか使えないかな」
「明るすぎますよね、あれ」
商会の工房で水銀灯の研究をしている人達もいるが、
「まあ明るければそれはそれで使えるからさ」
風の噂では舞台作家みたいなことをしている人がどうにかして電灯を手に入れようとしているらしい。
「というわけで、編集長」
わざわざこう呼んで来る時は、彼女のストレスとかがちょっと溜まっているタイミングである傾向がある。休暇を取らせよう。この仕事が終わったらな。私も取る。ケトと一緒にハルツに会いに行くのだ。
「締切は二日後です。担当分の原稿の進捗、いかがですか?」
ハルツさんの本の要約版の執筆状況は、あまり良くない。
「……あと、もう少し」
頭の中で計算を回す。一刻で書ける文字数。集中時間。手の疲れ。アイデアの枯渇。間に合うはずだ。余裕はない。
「わかりました。ケト君が各所を回って原稿を集めて、私も頭を下げて各所に頼んでいるのです。模範となるべき編集長がまさか遅れるなんてことは無いでしょうね?」
「ありませんとも。私は締切を守るという美徳を心得ていますから」
徹夜はしなくていいようにしたいが、ちょっと危ない気がする。二日後ってことは、あれだな、三日後の朝までにできてればいいんでしょう?夜通しやれば、まあ確実に間に合う。そう考えると、案外余裕があるな。冷静になって確認すれば結構大丈夫なものである。面白そうな原稿が届いていたし、先にそっちを片付けてしまおうか。