図書庫の城邦と異哲の女史   作:小沼高希

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合掌

ケトはここの衙堂の司士らしい初老の男性と話している。白髪混じりとはいえ、私の知っているライフサイクルとこの世界のそれが一致していることはないだろうことを踏まえると年齢について意味のあるコメントをすることは難しい。そういえばケトに前に何歳かを聞いたが、いくつだったか忘れていたようだ。そもそも日常的に意識しないならば忘れてしまっても仕方がないのかもしれない。

 

「ハルツ嬢はつつがないかね?*1

 

「ええ。そちらの方は?」

 

「昔ほど身体は動かんが、まだ自分の分の糧を得るぐらいはできるよ」

 

会話のリスニング能力がついてきたとはいえ、神経を集中させてやっと追いつける。何か作業をしながら聞き取るとなるとまだ無理そうだ。

 

「紹介が遅れました。こちらはキイ嬢。我々の衙堂で身を預かっております」

 

ケトの言葉は丁寧だ。そして私は黙って立っている。礼儀作法が怪しいので何かミスをするよりは静かに立っている方がいいとの判断だ。

 

「それで、漁業量の方は」

 

「新しい聖典について、編纂作業がな。つまりは書記のできる若者を」

 

「城邦の方からの注文でしょう?事情をきちんとわかってもらわないと」

 

おっと、気を抜いてしまうと一気に聞き取れなくなるな。事務系の話に関する情報交換なのだろうが、そもそも基本単語も怪しいので辛い。ちょくちょく聖典語の単語も混じっている。というより衙堂で使う言葉には聖典語からの借用も多い。活用が東方通商語っぽくなっているので聖典語で考えていると引っかかることがある。

 

「それでは、今宵は旅人のために少しいいものを作るかね」

 

「いきなり訪ねた上、このようなもてなしを頂いて感謝します」

 

「構わんよ。若人の学びを見送るのも老人の務めさ」

 

それを聞いて、ケトは胸の前で少し独特な形で指を絡ませて手を合わせた。

 


 

「で、あれは何?」

 

いくつかの寝台が置かれた客間で、私は荷物を整理しながらケトに聞く。

 

「どれですか?」

 

「ほら、さっきやってたこういうの」

 

言葉で説明するのは難しいので、私はケトが作っていた手の形を真似る。

 

「ああ、それは……なんて言うんでしょうね?」

 

「名前がない?」

 

「知りませんね……。あと、そこの指の重ね方が違います」

 

「どこ?」

 

ケトも自分の前で手を合わせたので、頑張って比較する。あ、左手の人差し指と右手の中指の順番が逆か。細かいように思えるが、慣れていればすっとできるのだろう。

 

「そうです。ええと、これは……相手に感謝をしたいけれども、口にだすほどではない時に使う動きです」

 

ハンドサインやジェスチャーの類だろう。なるほど、こういうのを身につけるのもこの世界でどうにかやっていくには重要そうだ。

 

「それで、脚は大丈夫ですか?」

 

「何度も聞いてくるけど、問題ないよ」

 

「この前まで立てないほどの怪我をしていたんですからね?注意してくださいよ」

 

「……まあ、身体は大切にしないとね」

 

睡眠時間と休息は重要だ。それを疎かにして何もかもが崩れ去っていった人を私は見てきた。私もそうなりかけていた。

 


 

「……初めて食べる味ですが、これは素晴らしいですね」

 

木の椀に入った、荒く挽いた麦粥に近いもの。魚の旨味が強い。具に使われている海藻のコリコリとした食感もいい。

 

「よく干した魚を戻した液と、新鮮な魚の骨を使っている。古いものと新しいものが合わされば、かくも素晴らしき味わいが出るということだ」

 

そう老司士は言う。柔らかくなった切り干し魚を噛むと、口の中に熱い汁があふれる。塩味が濃い目だが、歩いて疲れた身体にはいいのだろう。

 

空腹なのもあって、匙が進む。気がつくと椀は空になっていた。ケトの視線がこちらに向く。

 

「腹は満ちたかね?」

 

「ええ。良いものでした……」

 

私は手を合わせる。さっき覚えた方法だ。老司士が微笑んだところを見ると、正しい使い方ができたのだろう。

 

「それで、城邦までだったな。海沿いにずっと南に行く道がある。そこを行けばいい。そうだ、その紹介状だけでは不安だろう」

 

老司士は墨の入った小さな瓶を取り出して、二行ほど書き足した。

 

「この名前を出せば、城邦の大衙堂にいる友人であれば悪いようにはしないだろう」

 

「ありがとうございます」

 

ケトが紙を受け取る。こういう信用というものがなければ、この世界での活動は難しいらしい。そう考えると私は本当に幸運だったのだろう。

*1
「嬢」は司女などの働く女性、特に頭脳労働者に対して使われる敬称。男性に対して使う「君」(キイがケトに対して使う「くん」とは異なることに注意せよ)に対応する。相手が未婚かどうかには関係なく用いられるが、借用元の言語では独身であるという意味合いが強かった

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