「安っぽいですね」
ケトは積み上げられた冊子を一つ手に取って言う。確かに安い紙と荒い印刷で、決して頑丈なものではない。つい十年弱前までは主流であった写本のようなしっかりとした装丁と比べれば安っぽいものだ。というか本当に安い。値段は百分の一とかになっているんじゃないか?もちろん開発費であるとか利益とかを入れればもっと高くなるし、学徒の間接的経済援助となっていた書字生制度のときの金額と安易に比較するのはよろしくないが。
「まあね。それは否定しない。けれどもこれは考え方を変えてしまうよ」
輪転印刷機はまだ一台しかないが、頭領府は交渉と並行してコピー品を作らせている。この設計にかかわる発案所持権については頭領の名においてそれなりの代償金でどうにかするらしい。これについては「時勢」の編集長が頑張っていると噂を聞くが、詳細不明。ま、確かにそれなりの報酬をもらうべきものだからな。科学史や技術史を見れば正当な評価がされなかった例はいくらでもある。むしろ正当な評価がされたほうが少ないぐらいだ。これは「正当」の定義に個人差があって、大抵の人は足るを知らないからです。そして自分が満足して適切な報酬を手に入れる事を諦めると後進が面倒なことになるのですが、まあこれはいいか。
「考え方、ですか?」
「そう。本は今まで記録のためにあった。学問について書いた本も、講義の代替でしかなかった」
「……変わりますかね?」
「私が知る限り、変わったよ」
「けれども、講義が不要になったわけではないでしょう?」
「うーん」
私が最初に学会誌に投稿した論文は自分で書いて自分で清書したものだったし、確かにその道の専門家と話して得るものは大きいけれどもそれがなければできないことがある、とは思えない。ああでもケトの言いたいこともわかるんだよな。ここらへん、自分の思想のせいでバイアスがかかっている気がしなくもない。
「それでも、新しい方法で知識をやり取りできるようになるのは間違いないよね」
「それは、そうです」
「あとは古典とか、先端技術の手引とかをこういうふうに印刷できればいいんだがな……」
「作ればいいじゃないですか」
「そっか私にはそれができるんだった」
印刷をやっている人への繋がりも、原稿を集めることも、販路も持っている。なんだ、私はただやろうとしていなかっただけか。
「ま、ハルツさんのところから帰ったらやろうか」
「そうですね」
第四区第八小衙堂、つまりはハルツさんがいる衙堂に冊子を運ぶのは私とケトの役目だ。本来はもっと遠いところまで運んでほしかったらしいが、ケトの里帰りだと言うと衙堂の人たちも仕方ないなぁとなってくれた。よかった。一応著者とのパイプを持っているのも私たちなので、その関係で連絡を頼まれたりもしているが。
「そういえば、今回の印刷は早く終わったのか」
「四月ほどかかっていますが」
「解剖の時に比べれば、ね」
「別に、これは僕たちの権限でできることだったからでしょう。結果的に衙堂が資金を提供してくれたりしましたし、流通などの面でも協力してくれましたが、結果的には僕たちの仕事です」
「ああ、そう考えると権限が増えたんだなぁ」
代わりに責任も増えた。今何かあっても編集員の人にそれなりの一時金としての銀片を渡すことはできるが、私とケトがちょっとどうなるかが怪しい。まあでもケトは一人でやっていくことはできるだろう。それだけの政治力はあるし、私がケトと話している内容で実用化できていないものは多い。その上私がこの世界にもたらすつもりのない知識も断片的には持っているのだ。……そうやって冷静に考えると、ケトは相当な危険人物だな。下手に政治的影響力のない私よりも狙うならケトだろう。
「……どうしました?」
「いや、少し気の迷いがあっただけ。大丈夫だよ」
「そうですか。それで、いつ出かけます?」
「仕事の方はだいたい片付けてあるし、冬至を向こうで迎えたいから、四半月後ぐらいに出る?」
「いいと思います。ところで」
「ところで?」
「旅支度はできていますか?土産になりそうなものって買ってあります?僕は向こうの人達に飾りとか買っていくつもりですが、ハルツさんに何を買うかは悩んでいて」
「元気な様子を見せる、とはいかないか……」
司士と司女として会うのであれば、それなりのものを持っていくのが礼儀というものだろう。というか礼儀なのだ。プロトコルはそこにあるなら守った方がいい。
「何か、便利なものでもあればいいのですが」
「ハルツさんならそういうの買っていそうだけどなぁ」
「昔から手紙のやり取りは結構していましたし、多分そうですね」
「何にする?」
「……食器とかはどうでしょう」
「
「確かにあまり運ばれていないでしょうし、客人に出すのにもいいでしょうね」
「じゃあ4つぐらい買っておくか」
真空管とか鏡を作る過程で色々培われた