図書庫の城邦と異哲の女史   作:小沼高希

276 / 365
死生観

「それでは、また帰りに寄ると思いますがそのときはよろしくお願いします」

 

頭を下げるケトと、それに合わせる私。

 

「構わんよ」

 

そう返す白髪の老司士に見送られて、私たちは目的地に歩いていく。うまく行けば夕方には着くだろう。少しペースを速めておく。

 

「昨日はかなり遅くまで話し込んでしまいましたね……」

 

少し眠そうなケトが言う。それでも足取りは軽い。まったく、若いのは良いなぁ。

 

「いいことだよ、自分の意見を持てるようになっているのは」

 

私はそう言って呼吸にまた意識を集中させる。酸素を全身に回せ。

 

「まだ駄目ですよ。自分の意見と相手の意見からいい具合の結末に持っていけるようにならないと」

 

「それができる大人はあまりいないよ」

 

「これが子供とか大人の問題ではありませんよ、仕事のための技能です」

 

「あまり色々と目指しすぎても限界があるよ」

 

ケトぐらいの年齢だと、できることがいっぱいあるから全能感を持ったりするのだろうか。ただちょっと違う気がするよな。この世界の子供の発達段階のモデルとかも心理学の観点から作ってみたいが、どうせ関わるなら統計と研究をベースにした再現性を重視するタイプの学問として心理学を作ってみたい。いや別に元いた世界の心理学が駄目ってわけではないですけれどもね、スペクトラムを切り分けるならそこに線を引く理由をきちんと用意してもらわないと。$\sigma$ とかでもいいですけどさ。

 

「キイさんは、結構諦めているように見えますけど」

 

「いや、だって変化が急すぎると問題が起きた時に対応できないから」

 

機械による自動化の基礎が少しずつできつつある。蒸気機関がまだないので水力か、あるいは研究途上の電動機(モーター)を使ってみたりだとか。これが実現すれば仕事の体制そのものが変わるが、そもそも単純労働力を学徒に頼っていてそこらへんを代替することに対してあまり忌避感が無いことがラッダイトめいた反発を抑えてくれている。なんというか、奇妙な形で想定していた歪が吸収されているんだよな。この世界の社会的レジリエンスの高さを感じる。えっ工学用語を雑に使うなって?今回の場合ちゃんと「社会的」ってついているから私の中では問題ない。あとは普通の英単語なので工学も使わせてもらっている側に近いしね。

 

「……そう言って、手を抜いていませんか?」

 

「全力を出す必要はあまりないけどさ、やっぱりわかる?」

 

「力を入れている時と抜いている時の差が激しいんですよ。そういう事していると辛くありませんか?」

 

「私は大丈夫……とはいえ、多分そろそろ辛いかな」

 

院生時代は徹夜なんのそのだった時期もあるが、今では駄目だ。日が沈んだらすぐに寝台に行くような健康的生活を送っている。夜遅くまで作業することもないわけじゃないが少ないよ。本当。信じて。

 

「キイさん、若いと思っていても老いはすぐやってくるんですよ」

 

「わかっちゃいるけど年下に言われると嫌なものがあるな……」

 

後で頭ぐりぐりしてやる。まあ別にケトならいいんだけどね。他の人なら笑顔で老いとはなんですかと質問を返しているところだ。

 

「……そう考えると、ハルツさんも老いて、死ぬんですよね」

 

「人は誰しもそうだよ。私だってお世話になった人が死んだことがないわけじゃないし」

 

「そう、ですよね」

 

「……死んだ人が行く場所、みたいな考え方ってある?」

 

「んー、確かにそういう考え方がある地域があるのは知っていますけれども、城邦だとどうなるんだろうな……。それぞれの信じる神のところに行くとかでしょうか?迎えが来る、みたいな言葉がありますから」

 

「ケトはどう思う?」

 

「死なんて二度と覚めない深い眠りみたいなものでしょう?認識できないことをとやかく議論しても意味がありませんよ」

 

「とはいえ死の恐怖は誰にでもあるよ?」

 

「それは生の欲求を勘違いしているだけです」

 

「違うの?」

 

「違いますよ」

 

これは噂でしか聞いたことがないからあれなのだが、どうやらケトの宗教観というものは少し偏っているらしい。もちろん他人にそれを押し付けることはしないし、他人に危害を加えることを正当化したりするような無茶苦茶なものではないけれども。まあ私と価値観が違うこと自体は当然と言うか構わないんだけれどもさ。とはいえその原因になった人物はまあ、ハルツさんだよな。たった一人からしかそういう教育を受けてこなかったというのは、やはり良くも悪くも影響を受ける原因になる。ケトの育った衙堂の蔵書を思い出すと、今の知識ではかなりの量であったことはわかるが多分あれはハルツさんの計らいなんだろうな。今ではともかく、本というのは相当な手間が必要なものだし。

 

「キイさんは、どう思いますか?」

 

「意識とか、自分が生きていると思う感覚は脳の中で起こっているある種の薬学的、あるいは電気的反応によるものだから、死というのは導線を切って電灯を消したりするようなものだよ。ただの現象」

 

「流石にそれを完全に納得してしまうと、生きる意味などというものが虚無化しませんか?」

 

「バレた?都合のいいときだけ私はそういう考えを信じるし、そうでない時は考えない」

 

「ずるいですね。正しいと思いますよ」

 

「ケトは本人が満足しているならそれでいいと思うの?」

 

「僕が、というか衙堂の考え方ですね。あくまで人々の生活を支えることが目的であって、深く介入しすぎないというのが規則みたいなものになっています。もちろん司士や司女の立場を離れて相談に乗るのは、その人の選択として尊重されますが」

 

「なるほどね」

 

私の肩書としての司女はあくまで名誉職に近い。まあそれだけ評価してもらっているのだと考えるべきだが、司女としての価値観がないのは問題あるよな。そういう話もハルツさんとしてみるか。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。