図書庫の城邦と異哲の女史   作:小沼高希

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演習

「……お酒、飲みます?」

 

ちょっと窓から外の様子を確認する。まだ日は沈んではいないが、橙の光が強めになっていた。

 

「……まだ、いいわ」

 

ハルツさんは呟くように言う。なるほど。ではちょっと話をずらそう。仮定。ハルツさんが衙堂に対して十分な影響力を行使できるものとする。

 

「頭領府側はケトに投げていいですか」

 

「嫌です」

 

私の言葉ににっこりとケトは微笑む。いい笑顔だ。面倒ごとは嫌だと言うことがひしひしと伝わってくる。

 

「私ができること、ある?」

 

小さな定期刊行物の編集所のトップでしかないしがない30代の司女に比べて、ケトは有力者とのコネが色々ある。私より適任だと思うんだがなぁ。

 

「印刷物管理局初代局長としての腕前、噂になってるわよ」

 

「ケトくん、本当?」

 

私は確認のためにケトに声をかける。

 

「ええ、キイさんが調子に乗るでしょうからあまり言っていませんでしたが、それなり以上に評価されているでしょう。わずか数年で自分がいなくとも機能するような組織を作り上げた腕前は、あの煩務官も認めています」

 

「あのバケモノに認められても嬉しくないな……」

 

煩務官。図書庫の城邦にある大衙堂における重要人物であり、面倒事全般を扱う人物。博覧強記で、大衙堂で働く司士と司女のほぼ全ての情報を覚えているんじゃないかというほど的確な人員配置をする。忙しいので最近はあまり時間をかけて話したことはないが、私のことをよほど信頼しているらしく前にすれ違いに会った時でも挨拶抜きで本題に入り、数刻で去っていった。この過程で衙堂内における解剖についての条件制定のための問題点と私への助力内容を説明しきったので本当にすごい。私が多分これからちょっとやそっと努力した程度では追いつくことのできない人物だと思う。

 

でまあ、その人に褒められるということは私にとって決して嬉しいものではない。もちろん評価は評価として受け取るけれども。個人の才能に依存したシステムが嫌いな私にとって、自分の才能や技術を褒められるのはなんか少し違う気がするのだ。あとこう格が違うので……。

 

「そういえば、あの人はハルツさんの知り合いだとか?」

 

最初に会った時、ハルツさんを教えたことがあると言っていたのを思い出す。

 

「講師時代なら知ってるわ。当時から有能だった。私を止めることはできなかったけどね」

 

……今までの情報を整理しよう。ハルツさんは今から二十年ほど前、図書庫の城邦で「何か」をやらかした。箝口令があったのかは知らないがそれは多くの人が語りたくないような内容で、かつハルツさんの名前を関係者に轟かせるには十分だった。衙堂だけではなく頭領府にまでその被害……というか影響はおよび、結局若いうちにこの私たちがいる衙堂に配属となってある種の足枷としてケトが与えられた。後半は仮説の割合が多い。

 

「環境を用意してくれれば教えることはできますが、決して全分野の専門家というわけではありませんからね。環境を整えるのはできないわけではないですが、政治分野に繋がりがそれなりにないと」

 

組織設立についてはノーコメント。できた後なら仕事をする。これならどうかな。

 

「ケト、私の名前を出していいわ」

 

「……嫌です」

 

ケトが何か文字通り嫌そうな顔をしている。笑顔を作れないほどか。

 

「ハルツさんの同類だと思われたくないんですよ。ただでさえ僕みたいな若造が出しゃばるのを嫌う人も少なくないのに」

 

それはそうか。敵とまではいかなくとも疎む人が出てくるのはわかる。私はケトの側にいるからまだしも、こんな青年が敵側で現れた場合潰すことを選択肢に入れることは十分考えられる。それに「あのハルツの徒弟」だなんてわかったら面倒ごとになる可能性はあるのか。

 

「敵にじゃなくて、味方によ。信頼を得る方法の一つは共通の知人の名前を出すことだから」

 

「……わかりました。後ででいいので、紹介状でもいただけますか?」

 

「わかった」

 

ハルツさんが図書庫の城邦から離れてそれなりの時期が経っている。もちろんケトがある程度成長してからは何度か図書庫の城邦に行ったことがあるらしいし、知り合いとの連絡もちゃんと取っていると聞くからちゃんと意味のある紹介状になるだろう。それにハルツさんと同年代の司士や司女は今の衙堂ではそれなりに重要なポストに就いている。これは力強い。

 

「それで、キイちゃんはどう動く?」

 

「……問題の把握と分析については、私の知識が使えます。解決については訓練と、実践の組み合わせをすることが効果的でしょう」

 

「具体的に、どういう訓練をするつもり?」

 

ハルツさんは楽しそうに私の方を見る。ああ、こういう視線は結構辛い。こういう言葉での戦いを楽しんでいる。戦い、か。ならこれを使うか。

 

「卓上での軍事演習、というのはわかりますか?」

 

「兵を表す石を使うようなもの?」

 

よし、チャトランガの系譜はこの世界に見当たらなかったが似たような考えはあるか。

 

「あれをより拡大したものにします。多くの要素が考慮され、賽によって決まる問題を解決するような」

 

「裁定はどうするの?賽戯なら出た目に従えばいいけど、キイちゃんのやろうとしていることはもっと複雑でしょう?事前に学徒が選ぶだろう選択肢を列挙することはできないし、できたとしてもその全てに備えることはできない」

 

なんで一瞬で私の思考を理解して問題点を突きつけられるんだよ。ケトがちょっと置いていかれているぞ。モデルは総力戦研究所の机上演習。とはいえあれは相当な人数を敵側と審判側に突っ込んでいた。というか学徒以上の人材を必要とするのか。

 

「対応は人ですが、一部の処理を簡便にする案はあります」

 

半自動化された計算機械のアイデアはもうある。実現のためには、ちょっとした原動力さえあればいい。

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