図書庫の城邦と異哲の女史   作:小沼高希

282 / 365
止揚

「つまりですよ、ある種の『思考機械』の導入が膨大な情報の処理に不可欠なんですよ」

 

情報の整理、分類、集計の組み合わせは今の技術でも不可能ではない。鑽孔紙(パンチカード)を入出力に使えば、かなりの情報を扱うことができるはずだ。

 

「で、それを実現するのにどれぐらいかかりそうなの?布を織る絡繰一つ満足に作れないのに?私の勝手な見立てだとそういうものを作れるだけの人間はキイちゃんと、あと数人しかいないように思うけど」

 

ハルツさんが痛いところをついてくる。不可能ではないが、現実的ではない。技術者の言う技術的には可能、と言うわけだ。営業が聞くとなぜか自信満々に可能であると言っているように聞こえるという魔法の言葉。なおもう少しわかりやすく言うと、資金と人員を無制限に使ってよくて、十分な時間があるのなら解決方法は見えているという意味になる。純粋に技術を持っている人間が足りないのだ。ここは教育で確かに解決できるが、私が教えるなら2年は欲しい。半年で基礎を詰め込み、もう半年で実技を磨き、それで一年ほど現場に突っ込む。現場というのは別に製造じゃなくてもいい。例えば地方出身者だったら自分のいた場所に戻って何か助けになるものを作るとかそういうのでも構わない。あくまでこれは工学ベースだが、私の目指すエビデンスベースの社会学をやることを考えても地域での研究は不可欠だもんな。

 

「はいはい、つまりそういう技術的な分野の教育を行う必要もあるわけですね。これは図書庫の枠を超えているので頭領府にそういう機関を作るか、あるいは育成機関として統合してしまうのもありでしょう。今の時点で動けるだけの基礎がある人は少ないですし、ならあらゆる分野の知識と技術と経験を詰め込んでおかないと」

 

私が案を出し、ハルツさんが否定し、ケトが止揚していく。たまに役割を変えながらも、私のアイデアがちゃんと使えるような形にしていくのには多分これが最適だろう。ハルツさんはかなり社会と私の技術を信用していないが、それはちゃんと知識があっての上だ。問題とか限界とかを見極めるのが上手なのだろう。これは私にはない視点だ。

 

それに比べてケトはもう少し理想主義というか多少の無茶をしてでも折り合いをつけようとする。ハルツさんの考え方とどっちが良い悪いはないが、個人的にはケトのやり方のほうが好きだ。多分ハルツさんの批評的思考を取り込みつつ、技術とかへの信頼は私の考え方に似たのだろう。やっぱケトがいれば基本何とかなるのでは?

 

まあそういう議論をすると紙が散らばり、日が沈み、灯りがつくのである。疲れはしたが、心地よいものだ。

 

「……夕食にしましょうか」

 

「もう真っ暗ですけどね」

 

ハルツさんの言葉にケトが言う。私?頭脳が疲労困憊で机に突っ伏しています。

 

「……ケト、手伝ってくれない?」

 

「いいですよ」

 

あ、扱いが客人じゃなくて家族になっている。まあ司士や司女としての会話はもう終わったからな。こういう区切りは大事である。

 

「私も、何かしましょうか?」

 

立ち上がってハルツさんとケトの後ろを追いかけながら私は言う。

 

「そうね、じゃあ鍋の準備お願いできる?」

 

なんだかんだ私もハルツさんの信頼を得ているのだ。姑と嫁の関係ではないが。だって私、ケトよりもハルツさんの方が年齢が近いんですよ?とはいえ家族扱いされるのは結構良いものだ。私の育った家庭ではこういうのはあまりなかったからね。

 

「いいですね、今日は寒いですし」

 

まあそんなわけで料理が始まるわけである。ケトが手早く野菜を切り、ハルツさんが火加減を調節し、私が大きめの匙を動かしてそこが焦げないように混ぜていく。これを何と呼ぶべきかは正直難しい。チーズに似た乳由来の半固形状のものを湯で伸ばして、麦粉をたっぷりと入れて炒めた野菜を入れる。ざっくりシチューみたいなやつ。よし。なお発酵食品っぽい独特の匂いがあるが、私は結構好きだったりする。なおどんな匂いなのかを言語化する訓練を受けていないのでうまく説明はできない。ヒトは訓練すれば下手なガスクロマトグラフィーよりもいい検知器として使用可能だなんて話があったが本当なんだろうかあれ。まあ人間の客観性というのは取るのが難しいのだが。

 

「それと、ケトが来たならこれを開けなきゃね」

 

ハルツさんは床板を外して地下から壺のようなものを取り出す。釉薬の艶が見えるところからすると琺瑯(ほうろう)の類だろうか?あまり見たことがないし、それなりに重そうだ。

 

「何ですか?」

 

「良い酒よ、キイちゃんも呑む?」

 

「いいんですか?」

 

「もちろん」

 

ハルツさんの笑顔はあれだな、一緒にいたずらを仕掛けようとする悪い少女の顔に近い。こういう好奇心というか悪い心を持っているのが彼女の強みなのかもな。善悪とかを置いておいて、できることをやるような。んー、なんかプロファイリングがうまくいかないよな。もちろん彼女が多面性のある人間であるというのは間違いないのだが。過去の話も聞きたいし、今夜はちょっといつもより多めに飲んでしまおう。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。