図書庫の城邦と異哲の女史   作:小沼高希

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時間

昼ちょっと前に起き、ケトのおなかを枕に本を読み、ケトに昼寝用の腕枕を提供し、夕食の準備をして、日暮れ前にちょっと本を読んで、寝る。こんなのを三日程度続けると身体に無気力がほとばしってくるのを感じる。もう帰らずにここでだらだらしたいという邪念が生まれてきている。

 

「……いや、駄目だ。まだ私が消えた時の準備をしていない」

 

「消えた時って、なんですか?」

 

うとうとしていたところを起こしてしまったのだろうか。ぽやぽやした声でケトが言う。

 

「個人の才能に頼った組織とか、体制とか、そういうものは何かあると崩れてしまうのはいい?」

 

ヨシップ・ブローズはあれ延命に近いけどさ。そうでなくとも私の異世界から持ち込んだ知識に依存しているものはいくつか存在する。商会だってまだ軌道には乗っていないはずだ。私の寿命というかちゃんと判断ができる期限は、多分そう長くはない。面倒な老人をそれなりに見てきたのだ。自分が引き際を誤らないとは思えないから強制的に排除してもらう必要がある。そのためには私の後継が必要だ。もちろん、それは人物でなくともよい。例えば組織であったり、体制であったり。私の死後に観測されるだろう環境問題のあたりはちゃんと仕事してくれる機関とか用意したいしね。

 

「後継者をどう選ぶか、あるいは後継者を用意しないか……」

 

私の雑な説明に納得したのか、ケトは呟くように言う。

 

「私はいくつもの役を演じているから、それぞれの役を引き継ぐのは別の人でいいんだけれどもね」

 

「候補はいるんですか?」

 

「印刷物管理局は多分大丈夫。『総合技術報告』は今いる編集員の彼女にいい部下をつけてあげればいい。あとは……助言者としての私、か」

 

「なんだかんだであっちこっちで動いてますからね」

 

ケトを通して間接的に、あるいは直接やってきて質問を受けるとかの形で、はたまたこっちから出向いて法整備に関わるとか、まあなんだかんだで動いているのだ。ともかく私レベルの人材が足りない。それは純粋に知識という意味ではなく、論理的思考パターンであったり、統計分析を前提とした考え方であったり。こういうことを教えるノウハウは私の中にないわけではないが、伝えきれるかは未知数だ。もちろん完全に私色に染めるのもそれはそれで問題だろう。とはいえ若い世代は勝手に色々やってくれる気がする。この世界はかなり柔軟なのだ。

 

「個人では無理、かな」

 

「でしょうね。となると、先日言った頭領府の育成所ですか?」

 

「そうなるかなぁ。でもあれは行政担当を育てるみたいなところがあるし」

 

「確かに何でもできる人を育てようとして、結局何もできない人を生んでしまっては仕方がないですよね……」

 

「私のこと?」

 

「……そうだったんですか?」

 

「昔はね」

 

文系博士の価値について、私はそれなりに色々な視点を持っているつもりだ。理工畑の私は、それは果たして人類に新しい知見を提供した新規性ある研究をして得たものなのかと聞いてくる。これについては一応今までの歴史を整理したし、これ以降の発展にも示唆を与えることができるものが書けたと思っているのでいいか。市民としての私は、それが社会があなたに投資した分を超える利益を還元することができたかと問いかけてくる。ここはちょっと怪しいよな。活かす前にこっち来てしまったし。というか学振が私につぎ込んだ分を私が払う税金で回収するというプランは崩壊しているわけで。となると、この世界は私が元いた世界から不当な利益を得ているのか?なんか特に意味のない事を考えそうになる。

 

「……ここでキイさんが何をしたかとか、何をするかとか、そういうの関係なく、僕はキイさんに価値があると思っていますし、キイさんは僕に色々な事をしてくれましたからね」

 

「個人としての価値肯定はできるから安心して。これは純粋に資源としての一人の人間をどう使い潰すべきかって話」

 

「言い方が悪いですね?」

 

ま、そう言うケトもちょっと笑っているところを見るにこういう悪い思考には慣れているのだろう。相手の権利とか幸福とかをちゃんと織り込むなら、機械的判断も悪いわけではない。

 

「それにしても、あとできることは時間かかることなんだよなぁ」

 

科学史において、十年という時間は短い。私にとっては、人生の三分の一だ。今から十年前はしがない学部生だったわけで、これから十年後の私がどうなっているかはあまり想像がつかない。

 

「果樹を育てるようなものですか」

 

「そうだね、実がつくのに三年や五年ですむならいいほうだ」

 

「その間の手入れも欠かせませんし、肥料を足す必要もありますし、そういう事しても実るかどうかは天と地に任せるしかない……」

 

「ま、ケトもすぐ時間が一瞬で過ぎ去るようになるよ」

 

「……嫌ですね、キイさんとこういう時間を長く過ごしていたいのに」

 

ケトはそう言ってから、ちょっと恥ずかしそうに笑う。かわいいんだよな。ま、多分十年後も私はケトの隣りにいるだろう。ケトが隣にいさせてくれるかは別として、だけど。

 

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