図書庫の城邦と異哲の女史   作:小沼高希

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第24章
印象


「これ、忘れないようにね」

 

私と一緒に荷物をまとめるケトに、ハルツさんは丸まった紙を渡す。

 

「……こんなに、ですか」

 

ケトは紙を開いて呟く。ちょっととなりから覗き込むと確かにかなりの人数の名前が書かれていた。何人かは知っている。衙堂とか頭領府、中には商会とかの中堅どころだ。印刷物関連でお世話になった人もいれば、ちょっと軋轢はあるが有能だと評価するのもやぶさかではないような人も。

 

「この人たちが、味方、なんですか?」

 

「んー、正しくは私を知っていて、敵になっていない人かな」

 

ケトの質問に、ハルツさんはいつものようにのんびり返す。

 

「ハルツさんに敵っているんですか?」

 

「そりゃいるわよキイちゃん。派閥とか確執とかは相当面倒で、十年や二十年では消えないし、死んでも受け継がれることがあるのよ?」

 

そう言われて私は薬学師のトゥー嬢を思い出す。あの人は政治的なあれこれの中で父が亡くなって、その意思を継がないかわりに自由に研究できる環境を手に入れたんだよな。あれは多分例外的な事例で、一般化してはいけないものだと思う。ああいう運に恵まれた天才を前提としたシステムはあまり良くないのだ。

 

「ケトくん、役立ちそう?」

 

「そうですね。算学をかじったことある人もいますし、そういう教育機関を作るのであればこの人と……この人は協力してくれるでしょう」

 

ケトが名簿を指でなぞりながら言う。

 

「知ってるならいいわね。あ、この人には私が元気にしてるって伝えておいて。きっと嫌な顔をするから」

 

「伝えていいんですか?」

 

「ちょっと私に借りがあるからね、お願いは聞いてくれるはず」

 

肩書のない、名前だけの人。

 

「誰?」

 

「あれ、知らないんですか?」

 

私の質問にケトが聞き返す。そんな有名人なのか?

 

「知らない」

 

「今の頭領の弟ですよ」

 

ええと、図書庫の城邦の支配者というか象徴というか調整役をやっている一族の一人?噂には聞いたことがあるぞ?名前は知らなかったが。

 

「なんでそんな人と繋がりがあるんですか」

 

「昔二人で色々やってね」

 

ハルツさんは笑って言う。怖いよ。ケトはこれ以上聞きたくないらしく紙を丸めてもとに戻している。まあ、自分の母親の変な話を聞かされるのは人によってはあまり面白くないからな。私は嫌いじゃなかったけど。とはいえn=1で全体の傾向を論じるなとかなんで後件肯定の誤謬をさらっとやるんですかねとかp値が0.05越えてるくせに印象論で相関関係を語るとかいう業界はやっぱ嫌いだな。いやもちろんそうじゃない社会学者もいることは知っていますがね?私の母はそこらへんを自覚した上であくまで限られた情報からの推論という形で論理展開をしていたのでまだマシだろう。なお追加で情報を集めるのは面倒くさがってあっちこっち齧って後続研究が起こりにくそうなものを色々書いていたのでこういう節操の無さが自分に遺伝したんじゃないかと思うと少し嫌な気分になる。まあ、ここらへんの話は別に面白くないからやめておこう。

 

「今何してるか知ってる?」

 

「外征将軍ですよ」

 

ええと、ということは図書庫の城邦における軍のツートップの一人か。憲兵と警察を合わせたような事をしている赤い外套が目立つ巡警を統轄する将軍とは別に、その中から選抜されたり有志だったり特殊な方法で雇われた傭兵だったりが図書庫の城邦の軍として遠くで戦う時の統括担当だ。へえ、相当大物じゃないか。しかし内政には直接関与しないポストに置かれているあたり、決して無能ではないな?単に無能なら重要な仕事を与えない名誉職にでもしておけばいいし。確か弟の方を頭領にしようとした派閥もあったんじゃなかったかな。いやこれクーデター起こす条件整っていない?大丈夫?いや何か意図があってこのポストにいるのかもしれないが。

 

「軍方面にも手を出すべきかな……」

 

「キイちゃんがやると城邦を燃やし尽くす方法とか出してきそうで怖いのだけれども」

 

「いや確かに似たようなことはできますけど」

 

まあ半世紀もあれば濃縮ウラニウムによる分裂兵器ぐらいは作れなくはないだろう。使う相手とそのための膨大な予算がつくかはともかく。

 

「通信とか傷病兵の治療とかのほうでもかなり効果は出ますよ」

 

負傷によって起こる感染症とかによる死は長い間あまり注目されてこなかった。統計がないと人間は印象で語りがちなのである。もちろん印象は大事だ。印象さえ良ければ結構無茶なことでもなんとかなる。しかしそうならないものもあるのだ。印象で剛性は変わらないし、反応経路も変わらない。心理的影響を無視するわけではないけど、手当をちゃんとすれば案外人は生き残るのだ。ケトが私にやってくれた看護の水準から考えると私の知っている例よりはかなりまともだが、あくまでまともであって完全ではない。

 

「ま、結局やることは絞ったほうがいいでしょうからね」

 

「農業と、医学」

 

「医学といっても広い範囲で、ですけれどもね。子供の病を看病できるぐらいのことは多くの人ができてほしいものです」

 

「そのための、衙堂における教育」

 

「そして教育内容を作るための、頭領府管轄の専門機関」

 

「……よろしく、キイ嬢」

 

「こちらこそお願いしますよ、ハルツ嬢」

 

溜息をつくケト。なおどちらにしても一番働くのは多分彼なのだからこういう顔をするのは当然である。ま、せめて全力でバックアップできるような技術を色々作らなきゃな。

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