図書庫の城邦と異哲の女史   作:小沼高希

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対価

「あ、お久しぶりです」

 

久々に顔を出した印刷物管理局で、懐かしい職員が私に挨拶する。新しいメンバーも増えて、うまく回っているようだ。

 

「この方はどちらで?」

 

顔を知らない局員が言う。

 

「今は『総合技術報告』っていう冊子の編集長をしている司女のキイ嬢。ここの最初の局長で、文字版印刷機を作った人だよ」

 

「ああ、あなたが」

 

若い局員からなんか尊敬の眼差しを向けられると心が痛いな。私ももう若者ではない、と。

 

「で、どうしたの?誰かに用事です?それとも何か依頼?」

 

「ちょっと用事があってね……あ、いた」

 

資料を見ている女性の前に私は立つ。

 

「……どうしました、キイ嬢」

 

頭領府から出向している人だ。各地の事情に詳しいが、その正体というか副業は図書庫の城邦の中にある秘密情報機関「刮目」のメンバー。こう言うとかっこいいけど、実態は噂話の収集所みたいなものである。彼女の担当は印刷物全般についての情報収集、分析、防諜、あと工作役。あとは私が顔と名前をちゃんと把握している「刮目」の数少ないメンバーでもある。

 

「頭領府の方にちょっと話をしたいから、あの人に取り次いでもらえない?」

 

まあ、こう言えば明らかにあの人だとわかるだろう。「刮目」の代表、ツィラ。本名はハルツさんも教えてくれなかったが、状況証拠からしてこの二人はそれなりに仲がいいはずだ。

 

「構いませんよ。日時はこちらで決めていいでしょうか」

 

「近日中なら問題ないよ」

 

「わかりました。……ところで、目的を伺っても?」

 

「あの人もケトの動きから知っているかもしれないけど、ケトの郷土からの頼みでちょっと頭領府に学舎みたいなものを作ろうってなっていて、その話をしてみたい」

 

「……はぁ、構いませんが」

 

中間で面倒事に巻き込まれそうといった顔。まあ、別に彼女も彼女の利益があって動いているのだ。愛郷心とかツィラさんへの信頼とかはあるのだろうが、別に絶対の部下というわけではない。ま、ここらへんも私のいい加減な推測なので厳密にどうかはわからないのだが。

 

「代わりに何かできそうなこと、ある?」

 

「私たちへの貸しを作らせてください」

 

「いいよ。けれども、それはあなたの利益になるの?」

 

「貸しを作ったという貸しを持てるので」

 

「なるほどね」

 

まあ、私が払えるものと彼女が求めるものが一致しないというのはよくあることだ。こういう時に経済学的には通貨が媒介になるが、別にこれは取引とかでも構いはしないのだ。ある程度の信頼が必要になるけど、取引自体で信頼は強化されるし。

 


 

それなりに冷え込む時期なので、蒸し風呂というのはなかなか悪くない。

 

「それで、なにか面白いことがあるの?」

 

眼の前のけっこうどこにでもいそうな風貌の、それでいてよく見ると鋭い目つきを私に向けている女性はツィラさん。

 

「ああ、少し前にハルツさんのところに戻ったんですよ」

 

(しゅうとめ)への挨拶?」

 

「……ま、似たようなものですけれどもね。別に関係が険悪なわけではないですよ」

 

正直、大切な息子がよくわからない怪しい女性と深い関係なのはハルツさんからしてあまりいいものではないかもしれないが。あ、一応この世界でも嫁と姑の関係が円満なことは稀だと言われています。ハルツさんとの関係はありがたきものだ。

 

「それで、ハルツから私の話は聞いた?」

 

「少しですけれどもね。……本題に入っても?」

 

「ええ」

 

「頭領府直轄の教育機関を設立することを考えています。上級の司士や司女、あるいは頭領府や図書庫の有能な若手を集めて、教育する場所を」

 

「銀と人を用意する手伝いをしろ、と受け取ればいい?」

 

「端的に言えば」

 

「……私たちの利点は?」

 

ま、そりゃ代償を要求されますわな。もちろん私だってこんな事を対価もなしに頼むほどじゃない。

 

「私が講師をしますし、必要であれば学徒を制限した特別な授業をします」

 

「……なるほどね。『刮目』の人員に必要な技能、知識、経験。それを積ませる場としてその場所を用意する、と……」

 

「今後出てくる新しい通信の根幹には算学が用いられるでしょう。秘密を守るためにはそういった分野の専門家も必要になります。もちろん、今までのように各地の様子や情勢を知ることも必要でしょう。私が作ろうとしている場所では、そういう分野の専門家からの授業も受けることができます」

 

「なるほど。手を貸すには悪くなさそうね。新しい仲間の勧誘もできるし」

 

「これで、対価にはなるでしょうか?」

 

「話は裏で通しておいてあげる。決定力には欠けるけど、反対者を多少静かにするぐらいならなんとかなるわ」

 

「ありがとうございます」

 

「ただし、このお願いを受けたという事自体への貸しは残るからね?」

 

「それはもう」

 

ま、これは仕方がない。ケトが表で動くなら、私は裏から専門家にお願いするしかないのだ。銀だって積もう。頭だって下げよう。知識だって、仕事だって、私にできることならやってやる。どんなやったって、現場のケトの苦労と比べればそう大きくはないからね。

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