図書庫の城邦と異哲の女史   作:小沼高希

302 / 365
聖典

私は賢いので、過去の失敗から学習することができる。そういうわけで二日酔いは起こしていない。ちゃんとアルコールを入れないでおいたのだ。いや、昨日の議論はなかなかに楽しかったな。算学と修辞学と法律学の人で言語における論理の話をしていたのだ。聖典語は今日かなり広い範囲で使われているが、自然言語である以上どうしても限界が存在する。その中でも統制された単語と決められた文法構造だけを用いて、一意に解釈できるような文章を作れないか、なんて話。

 

いや、正直面白くて色々とアイデアを出してしまった。ベン図と簡単な論理記号を使ったり、逆ポーランド記法での表現を試みたり。ここらへんは将来計算機を扱うときに不可欠になるので「総合技術報告」の編集員を紹介しておいた。話していて悪い奴らではなさそうだったしね。

 

「……キイさん?」

 

天井を見上げているとケトの声がする。書いているのは昨日の来賓に対しての来てくれてありがとうという手紙。

 

「起きているよ」

 

「後で手紙に封をするのを手伝ってください」

 

「文面については書かなくていいの?」

 

「文字版印刷機でやります」

 

「失礼だ、とか誠意が感じられない、とか言われない?」

 

「……なんですか、その面倒な老人みたいな言い方は」

 

「あ、そういうこと言う人はいるんだ」

 

この世界が実に過ごしやすいというか、こういう新技術に対する受け入れが思いの外すんなりしているので忘れていたが現状維持の保守的な考え方の層は当然存在するのだ。もちろん、それは社会にとって不可欠な安全装置でもあるが。

 

「……待って」

 

「はい?」

 

「なんでケトくんはそうじゃない?」

 

「……ハルツさんに、そう教わったから、でいいですか?」

 

「他の人は?老人みたいな、ってことは、多くの人はそうじゃないんだよね」

 

「そうですね。ええと、まあ聖典にも書いてあるし、たぶん司士や司女から教えてもらって学ぶんだと思いますよ」

 

「親から、ではなく?」

 

「もちろん親もあるでしょうが、親も衙堂で学ぶことがあるでしょうし」

 

記憶を探る。教育による価値観の変化を意図的に起こしている?いや、そもそも教育とはそういうものだが。方向性を意図的にやっているかが問題になる。隠れたカリキュラムというやつだ。

 

「司士や司女の教育方法を定めているのは?」

 

「大衙堂とか……その衙堂にある聖典ですね」

 

「……念のため、確認していい?」

 

「はい」

 

「どの聖典?」

 

「どのって……それはその衙堂にある聖典では?」

 

「ハルツさんのところは異様に本があったけれども、他は多分そうではないよね?」

 

「本は安いものではありませんからね。ええと、その地域のものと、あとは主要なもの一つか二つか、といったところでしょうか。あとは手続きとかの手引を含めて最低五冊あれば、まあ一番小さな衙堂を回すぐらいならできるでしょう」

 

「主要なものっていうと……あれか」

 

私が知っているものだと旧約聖書の知恵文学とか、儒教の四書みたいなものだ。聖典語の韻文で書かれたもので、容易な単語のリストみたいなものから結構難しい概念まで、様々な内容が含まれている。しかし面白い論理展開だった。基本概念を無理やり訳すとしたら「徳」にでもなるのだろうか。いいことをすると徳がたまって、みんなハッピーになる。自分の中の悪い思いを抑え、悪い行動を避け、悪い選択をしないようにすれば、そしてそれを周りに広めていけばいい、みたいなもの。基本的に出てくるのは人間ばかりで、神とか超常的存在みたいなものはやろうと思えば読み取れるが、避けようと思えば避けられる。

 

「これ、改定されているんだよね」

 

「そうですね、十年よりは短いですから、数年に一回ほど。もちろん全ての衙堂で同じものを使うのは大変なので、大抵は少し古いものを使っていたりしますが」

 

「古くなったものは?」

 

「捨てているんじゃないですか?」

 

「どこかに取ってある場所は?」

 

「図書庫にはあるはずですが」

 

「……ああ、見覚えがあると思ったらあれだ、『大兄、汝を見たり(BIG BROTHER IS WATCHING YOU)』だ」

 

「その言葉、知りませんが」

 

「私の故郷にあった本の一節だよ」

 

文章を、常識を、ゆっくりと、しかし確実に書き換えている、のか。もちろん宗教とはそういうものだが、それを意識して行っている?私の知っている聖典というものはなかなか更新されないものだ。千年を越えて使われ続けたヴルガータ訳。あるいは比較的作られた当初の状態を保存しているクルアーンでもいい。こういう古典は、古い状態を引き継いでいるからこそ価値があるとされている、と私の記憶している歴史は言っている。もちろん、古いものが決していいものではないと考えると適度なバージョンアップは必要なのだが。古帝国法はそれができていない。いや待て。逆に考えろ。聖典は更新できているのだ。更新されるということは、新しい概念が盛り込まれるということだ。つまり、聖典語の話者がいないと作ることができない。

 

「聖典語を話すように育てられた人って、いる?」

 

「まずいないと思いますよ」

 

誰にとっても第二言語以降になるのか。だから学術語として成立する、というのもあるのだろうが。

 

「やっぱり古いもの、見たほうがいいな」

 

「使うんですか?」

 

「もらったからね」

 

私はケトが手渡してきた、私の名前の書かれた任命証を手に取った。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。