「『帝国はその権力を奪う存在が生まれぬよう臣下を分断せねばならないが、分離……独立?されないために臣下を纏めねばならない』、と」
ケトが現代聖典語に訳してくれる。私はあまり古典を読んでいないが、詞とかの分野では古典的名作があるので古語を使うことが多いらしい。さすがに古典を全部書き換えるとかいう無駄なことには手を出さなかったか。
「政治の話?」
「そうですね。書かれたのは……衙堂ができる前」
「なぜ聖典語で?当時の主要言語であれば古帝国語では?」
「少し待ってください。読みますか?」
「……いや、古い分細かい雰囲気を掴めないと思う。私はこっちを確認するよ」
数百年分の聖典。どれぐらい変わっているのかを確認するのをちゃんとやるのはOCRかけて不一致を確認してみたいなことをやれば一瞬だったが、ここでは人力でやろう。こういうときのために作っておいた黒鉛筆を取り出す。黒鉛と粘土の粉末を圧縮して焼成したものを、金属でできた筒状のホルダーに入れたものだ。まあ、シャープペンシルに近い。芯はかなり太いけれども。
資料を扱う際に、汚さないようにするというのはとても重要だ。基本的に、こういうものを扱う時には手を洗い、鉛筆以外の筆記具を使わないというのが普通だった。もちろん鉛筆だって出た粉が汚すなんてことはあるが、万年筆みたいにインクが飛ぶ可能性は低い。ボールペンとかでもインクが液体だと染みたものを除去できないので、固体粉末が付着するタイプの筆記用具が基本なのだ。なおシャープペンシルは折れやすいから駄目、とのこと。
序盤にある、個人的に「新しさ」を感じた一節を見る。水車をもとに勤勉を説くものだ。しかし水車というのは比較的最近の発明である。いや、あくまで古帝国の崩壊からの歴史の中で、みたいな意味であって実際には百年弱ぐらい前には簡単な製粉用のがあったらしいが。
「……かなり変わっているな」
一番古い、多分最初の「聖典」を見た私は呟く。知っているというか見覚えがある単語のある句が……だいたい三分の一。というか凄いな、これだけ改定が重ねられても三分の一は残っているのか。最初にこれを作った人物は相当な才能があったに違いない。基本的に韻文ではあるが、まとまりの連ごとに入れ替えることはそう難しくないから後世の修正はそう難しくないはずだが、それでもレベルを合わせないといけないので決して楽ではない。勝手な見解だが、ケトなら行けるだろう、といった所。
「ひとまず、変化を纏めていくか」
最初から何番目か、というのは順番が変えられたりとかしていそうなのでひとまず新しい方から確認していく。探している句が消えたら、全体を探してないかどうか探す。そこまでしっかり見る必要はない。というかこういうのを整理しておいてくれよ、と思う。
「キイさん、面白い部分がありましたよ」
「ちょっと待って、これ見切ったらそっちに行く」
二周したが、見当たらない。よし、ならこの時に新しく挿入されたのか。後で他の部分もちょっと探してみよう。
「それで、何?」
「……まず、この文章自体です。聖典語なのはこれが『名前を忘れられた民』のために書かれたものだからです。これにも、その名前は書いてありませんでしたが」
「よくまあ徹底して」
「それもそうですよ。これは、地を超えた民の存在を否定しているものです」
「……どういうこと?」
「船の民、が数少ない例外になるでしょうか。早い話が、隣の村の人を帝国の同胞としてのみみなすべき、みたいな話でしょうか?」
「……ああ、なんとなくわかった。郡、だっけ。それごとへの所属心とかを持たないように、ということ?」
「近いですね。もちろん郷土愛みたいなものをなくすことはできませんが、帝国の民としての自覚を持たせるように、みたいなことで……ここらへんは、まだちゃんとは理解しきれてはいないのですが」
ケトの説明を纏めて、私が知る過去の世界の用語に置き換えていく。端的に言えば、民族主義の否定と言ってもいいだろう。自分の所属する集団に対しての帰属心はともかく、それを切り取って
「で、次に来るのが、帝国が崩壊したときの議事」
図書庫の城邦は、そういった文化侵略政策において非常に重要な拠点だった。古帝国の領土から才能ある人物を集め、教育し、各地の文化の中から比較的無害なものを選んで広めていく。こういったやり方で、かなり真剣に文化政策に取り組んで、成功させてしまった例を私はあまり知らない。もちろん支配者がその文化に染まるとかいうことはあった。長い時間をかけて、別の文化の風習を無意識的に取り込んだ例はあった。けれども、ここまで地道に、気がつかれないほど長い時間をかけて変えていったというのは偉業だろう。
しかし古帝国は崩壊した。その原因は危惧していた民族問題ではなかった。それについての説明も、ケトの持っている紙にはあった。