「しかし、まだおかしいところはあるんだよな」
「どういうことです?」
私の呟きにケトが反応する。資料漁り三日目。私は「総合技術報告」の仕事を、ケトは政治的案件を午前中に終わらせ、午後はここで古い色々なものを確認している。一応地方でも識字率があるのは衙堂が教育をしているからだし、私の知識から見れば洗練されてはいないもののその教え方には利用できる場所がある。ハルツさんは確かに各地の衙堂に話を通してくれるとは言ったが、どうせ教科書を作るのは私になるし。いや、これは純粋に私が一番適任だからです。この世界には心理学と呼べるような思想体系はまあないわけではないが、児童心理学と呼べるほど独立したものはない。ここらへんをどうにかしたい。
「民の解体……とでも言えばいいのかな、古帝国は分裂や新たな支配者の誕生を防ぐために衙堂を使ってそういう事をやったわけだよね」
「そうですね」
「けれども、危惧されたような民は実際に生まれている」
「……そうですか?」
「船の民」
「ああ、そういえばそうですね」
陸と海の文化は大きく異なる。船の民はあまり一ヶ所に留まらず、移動を前提としたライフサイクルを送っている。生まれた場所から移動を繰り返し、船を渡り歩き、死ぬまでに相当遠くまで行くことも珍しくないらしい。なので大洋と呼ばれる海をまず越えられないとしても惑星全体を包む交易網を作り出しているのだ。とはいえ植物を運ぶのにはあまり成功していないからな。
「本来なら、わざわざ船の民を作るとは思えないんだよ。衙堂の勢力圏外だし……」
「……誤算だったのでは?」
「というと?」
「どうしても馴染んだものを捨てず、他の集団と自分は違うと主張する人はいます。そういった人を海に追いやれば、勝手に死んでくれると思ったのではないでしょうか」
「悪意がありすぎるなぁ。ありえない話ではない気がするけど」
人間が「それは我々と同質ではない」とみなした相手にどういう事ができるかというのは、まあ歴史を見ればそう難しくない。そしてそういう感情は、結構簡単に作れるのだ。それに抗える、あるいは適応できない人は一定割合でいるが、それは例外と言っていいほどだ。ああでもここらへんの数字は結構怪しいってされてるんだよな。追試しにくいものも多いけど。つまり感電の演技が上手い人を用意しないといけないのか?いやまず人間は感電すると死ぬという一般常識が広まっていないと駄目だ。
「……いや、違いますね。船の民と陸の人々で、迫害というのは起こりにくいんですよ」
ケトがなにかに気がついたように言う。
「ちゃんと言葉にしてその考えを説明できる?」
「ええとですね、船の民は大きくなった古帝国にとって必要不可欠なものになりました。遠くからものを運ぶ時に、その量の点から言って船を上回るものはありませんから」
「そうだね」
私のいた世界でもそうだった。貨物列車とか貨物飛行機とかあったけれども、船はやはり運べる量の桁が違う。
「つまり、陸の人々は船の民を頼る必要があるわけです」
「まあ、もし船の民が迫害されればその港を使わなければいい話か」
「多分過去にはそういう事もあったのでしょうけれどもね。しかし、船の民も陸なしではやっていけません」
「……海の呪い、の話?」
「ええ」
「あれは海藻でも多分起こらなくなるけど」
「そうなんですか?」
「多分だけど」
普通に植物ならアスコルビン酸含有しているよな?ちゃんと測定するには酸化還元滴定したいところだけど。あ、クロムがあるのか。しかし重金属処理ができてないから扱いたくないな。二クロム酸カリウムって六価でしょ?マンガンならマシかな。ここらへんはトゥー嬢の専門なので頑張って整理してもらおう。
「それを、船の民が知っていると思いますか?」
「いや……、とはいえ呪いがなくても陸のものは食べたいか」
「あるいは取引で得るものもあるでしょう。相互に頼らなければいけないようになっているわけです」
「ああ、その上で住む場所や仕事が奪い合いになることも少ないから、併存できると」
「……しかし、キイさんの考えだと争いを起こさないように、と考えられているように言っていますよね」
「……昔いた場所の人々の、愚かな話だよ」
私は基本的に、過去の人物を愚かであるとは言いたくない。情報が限られた中で最善の選択を取ったのだろうし、愚かな時代と対比させて現代の人々が優れている、なんて主張が正しいなんてことはまずないからだ。それでもまあ、集団殺害とかは愚かだと主張せねばならないだろう。もちろん、一歩間違えれば我々も歴史を再演しうるという自覚を持って、だが。
「けれども、古帝国はそんなこと考慮したと思いますか?」
「さすがに支配下の地域でそういう大きな問題が起これば統治に影響が出るでしょ?」
「そうですかね……」
ケトはまだ納得出来ないようだ。まあ、私も完全に全てを説明できる仮説だとは思っていないが。