図書庫の城邦と異哲の女史   作:小沼高希

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倫理

府中学舎の計画は順調に進行中だ。講師リスト、教育内容、参考にする本、教室での席の配置、小道具の発注、事務担当者の雇用、その他諸々。私もかなり頑張って動いているが、ケトはそれ以上に働いている。で、それと並行して「図書庫の中の図書庫」に入り浸って本を読んでいるわけだ。

 

「……わからないなぁ」

 

「何がですか?」

 

「古帝国の最初の目論見と、衙堂がなぜそれを引き継げているかの理由」

 

私の手元には年表。なお持ち出しはできない。一応図書庫の城邦とか、もっと大きく言うなら衙堂による体制自体への反発が一部では残っているので、そこに「自分たちは過去を消し去られていた」というアイデンティティを与えるのは良くないとの判断だ。こういう場所ではまだ古い神々を祀る風習が衙堂に取り込まれずに残っているとかなんとか。ここらへんは、私もちょっと悩んでいる。

 

差別の解消というのは、かなり長い時間がかかる。偏見は長く消えないし、下手な政策は寝た子を起こすことにもなりかねない。というか、人間というのは安全であるならば自由に人を殴れる弱者の立場を欲しがるのだ。それでも一応この世界、いわゆる私腹を肥やした人とかほとんどいないのである。徳が低い行いという概念、便利だな。

 

なので民族的な問題があったことを隠して、そういうものが起こりうるという発想自体を封じるのは幸福という側面からだけで見ればまあ、悪くないのかもしれない。ここは部外者である私の判断していいところではないが。

 

「そもそも、今の衙堂がどうしてこういうことを続けているのかと聞かれたら、徳のためとしか言いようがありませんし……」

 

衙堂は衙堂自体を含めた価値観をまるごと書き換えてしまった。この価値観はある程度流動的になっている。改定ができるし、地域で解釈を変えることもできる。それでも、根幹にあるものは変わっていない。いくつもあるしどれも重要だと思うけど、強いて一つ選ぶなら、汝のように人を愛せ、かな?

 

「……微妙に、私の知っている言葉と違うな」

 

聖典語の一節に指を重ねて言う。こういう言い方は、自然と自分を見つめることを要求してくる。これをちゃんとできる人はあまりいない。けれども、衙堂がそれをきちんと教えて、そういう視点を植え付けることに成功していれば?

 

処刑をショーとみなす文化があるところからすると、私の知る「人道的」な文化がここにあるわけではない。けれども技術水準と比較して、非常に進んだ倫理や道徳の文化があるように思える。まあこういう分野の歴史、正直得意じゃないからあまり断言とかはできないが。

 

「何と違うんです?」

 

「徳みたいな考え方は、自然に生まれたのかな。それとも、誰かが作ったのかな」

 

「……人は悲しむ人を見れば辛くなりますし、喜ぶ人を見ると嬉しくなるものです。もちろん憎い相手であれば違うかもしれませんが」

 

「ああ、つまり敵をかなり制限したのか」

 

「敵?」

 

「そう。傷つけられているのが許される人っている?」

 

「……罪人とか、捕虜でしょうか。後者はあまりいいことだとは思いませんが」

 

捕虜虐待は嫌だ、と。図書庫の城邦が平和なのはいいことだな。

 

「逆に、ケトくんをはじめとしてここの人は処刑とかにあまり忌避感がない」

 

「まあ、悪人をのさばらせていては無辜の人が苦しむでしょうし」

 

「心に徳を貯めて、より良い人になる事があるかもしれないのに?」

 

「取り返しのつかないことをしたのでなければ、それも許されるでしょう」

 

死を伴う処刑の対象となるのは殺人、致死、大規模な窃盗、あるいは統治者に対する反逆。処刑方法は基本的に絞首。他にも晒し台とかもあるが、これは物を投げる事が禁止されている。唾を吐くぐらいはあるらしいが。ここらへんが、多分この世界で作られた均衡なのだろう。落ち着け。自分の中に嫌悪感があるのは否定するな。けれども、それを理由に否定的判断を下すな。

 

とはいえ、例えば事故とかの場合は殺人でも刑が減刑されたりもする。目には目を、歯には歯をとまでは言わないが、一定のラインが引かれている、様に思える。禁錮よりも罰金刑と債務労働者の組み合わせとかのほうが一般的なところを見ると、これはこれでうまくできているシステムなのではないだろうか。

 

「この状況を、どうやったら客観視できるかな……」

 

衙堂の思想は、かなり広い範囲に広まっている。船の民経由で伝わっている地域を考えると、世界の殆どのオイクーメネーにこの考え方が接触しているのかもしれない。いやはや、なんともすごいことだ。世界宗教と言ってもいいだろう。引き換えにその思想が広まった地域では唯一神教は否定されているが。けれども現地の神話がまるごと消えたりはあまりしていないんだよな。記録によれば神話の統合とか調整とか解釈の補助とかをやったという話はあるけれども。

 

だから、きっとこういう問題が起こったときには対処が難しいのだろうな。カルト宗教による攻撃。自分たちと敵を完全に別のものと切り離す存在。そういった、この世界では消されたものを府中学舎では出してみよう。次を担う世代がそれにどう対応していくか、個人的には結構楽しみだったりする。

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