「駒はこれでいいかね?」
木工細工をやっていた工房の工師が言う。彼の後ろでは水力木工倣い旋盤がもう実用化されている。っと、品物を確認しないと。手元にある上等な木のケースの中は布張りで、開けるとチェスのポーンみたいな丸い頭をした駒がいっぱい。磨いてワニスを塗ってあるので触ると滑らかでつやつやしている。とはいえ輸入品でこれよりも艶のいいものを見たことがあるからな。多分そういう樹脂を出す植物があるのだろう。
「問題ありません。受領いたしました」
私は紙にぱぱっと金額を書いて署名をする。領収書みたいなものだ。ちゃんと取っておくと予算申請の根拠になって便利である。最近、金額の簡略表記をよく見る気がする。つまりは位取り表記だ。私が持ち込んだもの。正直なところ、これが受け入れられたのはちょっと意外だった。とはいえこれは逆かもしれないな。私の知る歴史のほうが例外なのかもしれないし。しかしたった二件の事例で何かを語るのは良くない。点二つで直線を引いて線形近似するよりひどい。
「……もし気になるようでしたら、ご覧になりますか?」
私がちらちらと工師の後ろで動いている旋盤に視線を向けていたことがばれてしまっているようだ。
「いいのですか?」
「キイ先生の噂は聞いていますよ。これを北から持ってきてくれたんでしょう?断るなどしませんよ」
一瞬引っかかったがそうか、これの発明者は私じゃないことになっているのか。あくまで私は持ってきて使い方を教えて改良案をいくつか出しただけ。それもあの北方で旋盤作りを手伝ってくれた職人の受け売りということにしてあるからな。
工師の奥に案内されると、学徒らしい工生、つまりは見習いが鼻と口に布を巻いて木を削っていた。まだ悪い労働環境で生まれる塵肺は研究されていないが、解剖と顕微鏡という発見に必要なものは用意してある。鉱山とかからの病例報告と統計的示唆を合わせて、といったところか。公害もある程度は避けられないとしても、発生したらすぐ対処できるようにはしておきたいよな。
さて、この駒を作った装置を見る。基本的には私が鋼鉄の尾根から持ってきた装置と大きく違いはない。回転する木材に刃を当てて削っていくというもの。しかし、刃がある程度自動で動くようになっているところが違う。これを使うと、ある決まった形のものを多く作ることができるのだ。まあ私が元の世界にいた時には全部数値制御でできるようになっていたので、まず見ない代物だったけれども。
「……これ、幾らぐらいしたんです?」
「銀千枚程度ですな」
ええと数年分の年収に相当、と。まあ投資としてはありなのだろう。倣い装置が取り外せるようになっているので普通旋盤としても使えるし。
「良い買い物をしましたね」
「キイ先生のお陰で多少は取り戻せましたとも」
授業で使うコンポーネントはあまり妥協したくないのでいいものを揃えている。黒板も
とはいえ赤血塩を作るのには色々と工夫が必要だろうし、紺青もまだないからな。とはいえ紺青のほうは灰と血で作れるので、古典的薬学の範疇である。一応この世界の薬学、中世アラビアの錬金術並みには進んでいるんですよ。トゥー嬢が異常なので色々とおかしくなっているけど。
「それはどうも」
「追加の注文などはありますか?」
「……いまのところは、ないですね」
「それは残念。まあ、ご贔屓にお願いします」
「無茶を聞いてもらえるので、助かっていますよ」
「銀を払わず無茶を言うのならともかく、我々の腕に見合っただけの額と取り組むのにふさわしい課題を用意してくださるのですから、無茶などとは言わんで下さい」
顧客へのリップサービス混じりだということで話半分に聞いておこう。あとは彼は営業なので、変に仕事取ってきて裏の技術担当が苦しんでいる気がする。まあ不可能ではないレベルだと思っているし、この世界は結構簡単に私の予想を超えてくるのだ。「総合技術報告」だって想定以上の色々が集まっているしね。
そろそろ、私が主導で知識を出して色々と作っていくのは終わりだろう。裏から表から案を出したり環境を用意したりとかで動いたほうが、多分技術や生活の水準を上げることができる。とはいえ課題として残っている医学と農業の分野はともかく時間がかかるのが問題なんだよな。まあ、府中学舎に期待しよう。期待されるのは結局私なんですけどね。