「つまりですね、十三学の分類には限界があるんですよ」
私は厚紙を手にして言う。それぞれの紙には教えたい内容がざっくりと書かれている。こういうものを講師の人に書いてもらって、整理して、体系化していくという作業をしている。
「けれども、これよりいい体系は存在しますか?」
講官をやっている哲学師が言う。この世界の哲学は価値判断とかメタ理論とかそういう方向のものだ。もちろん、かつての世界の哲学のように善とはなにかみたいなことも扱っていなくはないが、そこらへんは万神学とか統治学の方面に多少は譲っている。
「今のところ……ない」
「そうでしょう?」
「なら作るべきです、今後新しい考えが生まれた時にこの枠に閉じ込めてしまってはいけませんよ」
さて、改めてここでこの世界の学問の分類のおさらい。まず体系的な知識というものは学と術に大分される。13ある分野の中に当てはまれば学。そうでなければ術。例えば具体的に地図を描く方法は測量術とかの扱いになるが、その基礎になるのは十三学の一つ、幾何学になる。
十三個の学問は、多分美的感覚を重視して構成されている。まず中央に哲学がある。そこから伸びるように四本の大きな枝があり、それぞれの枝には3つの分野が含まれている。まずは文法学、修辞学、万神学の枝。これは言語の統制による思想と倫理の管理みたいなところがあるな。次の枝は算学、幾何学、天文学。実用的側面と抽象的側面がそれなりに両立している。和算とまではいかないが、この分野を趣味にしている人はいないわけではない。三つ目が自然学、薬学、医学。これはまあ、医療従事者は必要だろうということで。最後が地理学、法律学、統治学、政治の話ですね。
宗教者か医者か政治家、というのは中世ヨーロッパの大学と似ているのでいい。ただ、ここに数学っぽいのがあるくせに抽象的な表現方法が編み出されていないのがちょっと不思議ではある。しかしそういうことが珍しくないというかありふれているということは科学史の知識を持っているのでわかる。いや、わかるんだよ。問題は納得出来ないということだけで。これは私が学んできた学問体系と歴史的な発展が異なっていることが原因の一つでしょうね。
「一旦そういう柵を外して、整理してみましょうよ。本来なら同様の講義で教えられることで理解が深化させられるはずのものを別々にするのは無駄でしかない」
「目標があるのなら、それも悪くないだろう。あるのか?」
「難しいことを言うなぁ……」
とは言いながらも向かいの哲学師はちゃんと紙を並び替えて十三学の分野を超えた体系化を考えている。私もちょっと一旦十三学の範疇で考えてみるか。
材料工学……は、薬学とかか?建築術が幾何学に通じている所を考えるとここかもしれない。生物学は自然学に入れればいいか。今のところいわゆる古典力学の範疇は天文学の人がやっている。史学はないけど全般は哲学に入れて、地域別のものは地理学で扱う。まあこうやっていけば一応は十三学にまとめることはできる。けれどもあまり綺麗ではないよな。
「必要な知識は多い。学べる時間は少ない。だから、教える側が道を示さねばならない。……少なくとも、視界が開けるほどの知恵が着くまでは。ここまではいい?」
「構わない。同意しよう。既にある道を無視して新しいものを作ることが果たして賢いことだろうか?」
なるほどね。私の意見に対する哲学師の返答は実に合理的だ。数百年もの間維持されてきた体系を崩すべきではないし、それを前提に作られてきたものが多いのも納得する。
「知識があってそれを結ぶために教えの道ができるんですよ。道の上に知識を並べるのは仕方のないこととは言え、それを主目的にしてしまってはいけないのでは?」
「……程度の問題、か」
「ここをどうするのが正解かも、探りながらではないといけないでしょうね」
結局はエビデンスの不足だ。ランダム化比較試験に基づいたメタアナリシスをもとにガイドラインを作るのが常に正解だとは思わないし、それにかかる手間を常に考えなければならないのは前提としても教育はそれをやるだけの価値がある分野だとは思うんだよね。しかししっかりと教育をやるとなると人材不足がどうしても起こるんだよな。その人材は将来のより良い人材を作るかもしれないが、今手持ちの人材が不足している状況で未来のためにどれだけを投資すれば最適か、なんてことはわからない。
「こういうのを学徒に任せてはいけないのか?」
「……講師であるなら、あまりそういうことは言うべきではないかと」
「ふむ。キイ師はそういう考えか」
「……そうですね、あくまでこれは私自身の考えです」
「すまない、まあ確かにどのように学ぶのかを知ることができている人はほんの僅かだからな。しかしそれを教えるとなると、相当念入りにやらねばなるまい」
「だから、これを作るんですよ」
府中学舎が行う事業の一つ、専門書の作成。平易かつ統制された聖典語による、実用重視の本。伝統的な十三学からは多少距離を置かないとちょっと革新的すぎるとの批判が出ているが、少なくともこれが有用だろうということは誰も否定しなかった。もちろん誰もが読めるようになるとまではいかないが、少なくともハードルを下げることはできるだろう。