「……緊張しますね」
そう机の向かいで口を開くのは印刷物管理局印刷物研究班班長。この図書庫の城邦で印刷技術についての先端研究機関のトップ。一応事務畑の人間だが機械や薬学についての知識もちゃんとあるから大丈夫。
「まあ、キイ嬢の持ち込んだ話が楽だった試しは無いからな」
班長の隣で言うのは印刷物管理局局長。かつて私が就いていたポストを引き継いだ彼の仕事ぶりはかなりいいと噂には聞いている。
「同情いたしますが、仕事でしょう?受け取っている銀にかけて仕事をしてくださいよ」
こう言うのは私の隣の「総合技術報告」編集所長。編集長である私より偉い。いつの間にか乗っ取られていた。
「ねえ、みんな私をなんだと思っているの?」
最後に府中学舎統括人代理。つまりは私だ。
「……それで、ご要件は?」
管理局局長が口を開く。
「携帯性があって、安価な冊子を作りたい。大きさは二小型。頁数は二百だから、枚数では百枚程度だね」
私がそのサイズの紙を取り出して言う。かつての世界の葉書より一回り大きい程度の大きさだ。
「部数はどれぐらいになります?」
「まずは千ほど」
研究班班長への私の返答を聞いて、関係者は全員溜息を吐いた。
「そんなに売れるか?」
訝しげに聞くのは管理局局長。
「……最悪、私が全部買い取るから」
「銀数百枚はしますよ?」
研究班班長が素早く計算をしてくれる。
「編集所長として、半額は出しましょう」
「いいの?」
「私はキイ嬢の狂気に賭けます」
「狂気って言ってしまっているよね」
ふと目を横に向けると、編集所長と私の言い争いを呆れたような目で管理局局長と研究班班長が見ていた。
「……ま、前にキイ先生が言っていた安価な本についてはある程度まとめてあります。こちらを」
研究班班長が出したのはまだ書類としては不完全な印刷物管理局規格のフォーマット。新開発の小活字を活用して、安い紙と新型の印刷機を使える製本手順の規格についての草案だ。
「この作り方なら、ある程度作業を分担したほうがいいな。自動機械を一部導入してもいい。となると全体の生産施設設計は……」
そう話していると、研究班班長が紙と
「基本的に作ってもらうのは学徒がいいかな。専門的な技能を必要としないようにしたいから、全体を複数の小作業に分割して、それぞれの人が分割された作業を続ける」
「単調に過ぎないか?」
管理局局長が指摘する。まあ、正しい。私がやろうとしているのは人間を繰り返し機械とみなして最適化を図る方法だ。そして大抵そこからは心理的要素が抜け落ちる。私個人としてはフォーディズムはシンプルだし導入に手間は相対的にかからないので悪くないと思うけど、早めに精神的なものも含めた統計調査を進めてトヨティズムっぽくしたいんだよな。もちろんどちらにも批判とか欠点とかあるのが前提なので、この世界なりの受容が必要になってくるのだけれども。
「全部一人の職人がやるよりは多少は楽ですよ。それにこれなら人数を容易に増やせます。もし万単位の印刷と製本が必要でも、何とかなるでしょう」
「……そこまで売れるか?」
相変わらず編集所長は疑り深い。正しいのではあるが。むしろ私の方が相当な博打である。もちろん負けたとしても得られるものが無いわけではないからやっているのだけど。
「売ります。ここの学徒の人数と求められる分野から推定された売上がこちら」
識字率の雑な統計が始まったのは最近だが、図書庫の城邦内であればあまり低くなかった。最近では新聞の代読をやる学徒もいるようだが、自分で読めるようになればいいと考えて学舎に通うようになった人もいるとか。学ぶ意欲がある人が多いのはいいことである。
「千部というのは控えめな推定です。商会経由で販路を拡大すれば、数倍にはなるかと」
「聖典語を読める人のいる地域を考えれば、まあそうか……」
管理局局長もある程度は認めたらしい。よし。
「つまりこちらがやればいいのは、小本の印刷に必要な各種規格の制定と大量に作る際の手法の確立、といった所ですか」
「予算の見積もりもお願い」
研究班班長と編集所長が事務的な話を進めていた。ならよし。
「で、これは例の府中学舎の教本も兼ねているわけか」
管理局局長が私のメモを見ながら言う。
「むしろ衙堂の教育体制の補強かな」
「それは初耳だが」
「衙堂で地方から人を集めようって話が進んでいる。そのためには手頃で安い教本がないとね」
「今のものでは駄目か?」
「もっと安く、もっと小さくというのが求められている。かつての本のような装飾や華麗な書体は不要だ、と」
「……少し悲しくはある、な」
「時代による変化というものだよ」
私だってこの世界の印刷物ではない本、つまりは巻子本の形態のやつは好きだ。丁寧に装丁されて、大事に扱われることを前提に作られている。しかし今必要なのは数なのだ。もちろん使い捨てというほど雑に扱われることは想定していないけれども。