入学願書が届きつつある。思ったより多いな。一応全日管理でこちらでスケジュールを用意するのと、聴講の人とに分けるか。煩務官にちょっと頼んで学徒寓を紹介してもらおう。
「ハルツさんの知人の紹介だって人もいますね」
ケトが紙に入学希望者の名前を書きながら言う。最初の一年は少なめの人数で回して感覚を掴みたいので、場合によってはお断りの手紙を入れたりしなければならない。まあ、最悪ここに来て頼まれたら仕事の斡旋とかはするけどさ。今のところのボトルネックの一つは人材である。
「それ、本当?名前を使っているだけとかではなくて?」
「それなりに信用していいものだとは思いますよ」
「まあ、なら一定の条件は満たしているとしていいか」
どうしても聖典語で授業をやる以上、そこの知識がないと辛い。もちろん技術方面の現場では東方通商語なのだが、やはり学術語としての聖典語は強い、ということでね。とはいえ用語統制とか変な活用の削減とかをやっているので多少は使いやすくなっている……はず。なおケトはその縛りプレイで詞を作るとかいう変態的行為をしているらしい。怖い。
「試験もそろそろですしね」
「別に落とすためのものではないからいいけどさ」
フランスの制度みたいに一定以上の点なら全員、というのはちょっと一極集中になりかねないし、新規参入ができるようにして市場原理をある程度働かせて、とかやりたいが正直上手くできる気がしない。過労死しない完璧な独裁者求む。ここらへんは私の能力を超えているので演習いっぱいやらせたい。
「問題文の印刷、関係者以外関与しないようになってる?」
「ええ。あれを盗み見れるとしたら相当ですよ」
「……『刮目』とかやってきそうなんだよな」
「心配性すぎるのでは?」
「いや、昔からこういう試験には不正がつきものだからさ」
中華圏における科挙とそれに対しての様々な不正を思い出す。人間の悪知恵というのは結構すごいものなのだ。
「……僕はあまりそういうの知りませんが、キイさんはそういうことをやったことが?」
「ないよ、そもそも不正するために準備をしたら大体覚えるし、講師へ提出する課題を誰かに写させてもらうなんてことをしようにも頼れる相手がいなかったし、そもそも私が書くほうがよっぽど上手だったし」
「はい」
なんだその目は。私に友達がいなくて悪いか?まあ、おかげでこっちにいても郷愁に襲われることが少なくていいんだけどさ。けどやっぱり思い残しというかやりたかったこととかはあるよ。否定しない。
「……っ」
不意に目頭が熱くなってしまった。意外だな。こういう感情はしばらくなかったんだけど。もう、9年になろうとしているのか。
「キイさん?」
ケトの心配したような声。ああ、私の人生の四分の一はこっちにいるのか。もう馴染んでいた気がしたが、私はまだ部外者なのだ。それが別に嫌な訳ではない。受けれいてもらっているけど、どうしても超えられない一線を引いている人が多いのも知っている。
「……大丈夫。多分。少し、ここに来る前のことを思い出した、だけ」
ああ、やばいな。感情が止まらない。制御できない。ちょっと過呼吸気味。
「休みましょう」
「……これは、やっておかないと」
「キイさん」
ケトは私の両肩に手を当てて、軽く揺さぶるようにする。こういう方法で意識の確認するの、首とかにダメージがある相手にやっちゃいけませんよ。そうじゃなくて。
「予定には余裕があります。四半月休んだ程度では、特に問題は起こりません。僕も同じです」
「……ああ、もしかして、疲れているのかな」
少し最近の仕事量を思い出す。過労死ラインはええと、月45時間だから、って月20日じゃなくてもっとやってる分を含めると、うん。超えているな。
「そうだね……片づけ、お願いしていい?先に帰ってる」
「わかりました」
私の中で、ケトに仕事を任せて逃げるのかと声がするがまだ残る理性でそれをねじ伏せる。人間は自分のできる範囲の仕事しかしなくていいし、それ以上はしちゃいけないんだ。雇われなら、なおさら給与以上は働くべきじゃない。あまり雇用されたことがなかったから、ここらへんの感覚はちゃんとないけどね。
かつての世界では、私の周りには結構平気で無茶をしていた人がいた。私も含めて。それが普通じゃないし、できることが当然ではないと頭ではわかっていたけどやはり無理だったか。しかし助かったな。ケトがいる。待て。ケトもそうとう危ないんじゃないか?
「いいや、一緒に帰ろう。今から」
「……今から、ですか?」
「そう。最悪の事態のときの対処は編集所長に渡してある」
私とケトが何らかの理由で両方とも動けなくなった時のバックアップだ。この世界を変えうるが知識がないと扱えないようなものをいくつか書いたメモに封をして渡してある。もし何かあっても、あの編集所長ならこの世界の技術をちゃんと進められるだろう。なら、私たちは休んでもいいわけだ。
「わかりました」
そう言って、ケトは身体にあまり力の入らない私を支えてくれた。