図書庫の城邦と異哲の女史   作:小沼高希

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研修

その部屋は、大学や企業の事務室と同じような空気が漂っていた。もちろん全員が椅子ではなく床に座って作業をしているし、インクの独特の匂いがするという違いはある。ただ、淀んだ重い気配は馴染みのあるものだった。

 

「おはよう」

 

これから上司となる人物の後ろにちょこちょこと付いて、私とケトは部屋に入った。

 

「ああ、おはようございます」

 

「その後ろの人達は?」

 

「後で書類を確認してください」

 

部屋の中にいた十何名かからの視線と声が私たちに刺さる。

 

「まあ、落ち着け。この二人はキイ嬢とケト君。これからここでしばらくは働いてもらうことになる」

 

それを聞いて、作業をしていた人たちの目の色が変わった。

 

『███ ███████ ██████ █████████ ███████████ ██████ █████*1

 

『██████ █████ ████████ ███ ████████ ███████ ████████*2

 

虚ろな目で聖典語の何かを口々に言う職員。正直に言って。怖い。

 

「……喜んでもらえたようで何よりだ。では、後は任せた」

 

「どちらへ?」

 

「商会からの陳情対応」

 

事務仕事をしていた人の一人からの質問に、上司は手早く答える。

 

「……お疲れ様です」

 

この管理職、多忙で有能なのだろうなと感じながら私はその背中を見送った。

 


 

「煩務官に捕まるとは、君たちも不幸なことで」

 

先ほど謎の聖典語を唱えていた比較的若い女性が立って、私たちを空いている机に座るよう招いた。私よりも年下なんじゃないか?

 

「煩務官?査察官ではなく?*3

 

不思議そうにケトは聞く。

 

「煩務官で間違いない。まずはどうしてここに?」

 

私とケトは目を合わせて、一瞬だけイニシアチブを争う。とはいえ私に会話力はないのでケトに任せるしかないが。もう少し頑張って自分から発言しないと成長しないのはわかっているのだけれどもね。

 

「というわけで、今日は朝食を食べてすぐここに来たわけです」

 

「なるほど。まああの人も忙しいからな……」

 

目の下の隈を見ると、彼女もかなり働いているのだろう。

 

「ひとまず私たちの仕事の分には参加しなくていい。こう言っては気を悪くするだろうが、慣れていない人には書かせられない」

 

「収穫報告とはまた違うのですか?」

 

「読んでみればわかるよ」

 

そう言って取り出された巻物は、前にケトが読んでいたものと違ってかなり丁寧に作られていた。染められた紐と厚手の表紙から格調の高さが感じられる。

 

「……これは」

 

私でも内容を理解できた。各地の収穫量がずらりと並んでいるだけだからだ。

 

「あの様子だとまあ、最初の数日はともかく慣れてもらうしかないかな。算術は?」

 

「異境流であれば」

 

私は言う。

 

「そう。なら、少し待って」

 

彼女は蝋板を一枚私に渡した。

 

「三十九万二千四百六十七に千四百七十六は幾つ入っている?」

 

「ええと」

 

数字を書いて、筆算をしていく。収穫報告の時に色々やったので手がある程度は勝手に動いてくれて楽だ。

 

「二百六十六に足らず、でいいでしょうか?」

 

「いいね」

 

高校時代の面倒な手計算が役にたつのは複雑な気分だ。

 

「それじゃあ、これを二人でやってほしい」

 

彼女はいくつかの巻物を出した。

 

「あの図をこれから作れるかな。それができたら、描き方をまとめて」

 

私とケトが頷く。マニュアル作りか、楽しそうだ。

 


 

数百件のデータを整理するのも、慣れてしまえば案外早く終わった。

 

「確かに見やすいね。これなら頭領に出すのはこちらの方がいいな」

 

「頭領って?」

 

「この城邦の一番上の人」

 

なるほど、国家指導者か。待ってこれそんな重要な書類なの?

 

「キイさん、収穫報告は国家の重要事項ですよ」

 

ケトが耳打ちしてくれる。いや、わかるけれども。

 

「えーとケト君だっけ?睦まじいのは結構だが、仕事の場では嬢や君で呼ぶべきだ」

 

「……すみません」

 

しゅんとなるケト。

 

「寝台の上ではちゃんと呼んであげるといい」

 

「断っておきますが、そういう相手ではないです」

 

「ふうん、ならすまない」

 

私がいたころならセクハラ発言として問題になっていただろうが、まあこの世界の価値観について今はとやかく言うべきではない。むしろ素直に引くというところは評価するべきだろう。

 

「他にもこうやった描き方はあるか?」

 

彼女は私を見て聞く。

 

「そうですね、何を表したいかにもよります。量の大小であったり、時間に伴う変化であったり、全体に対する割合であったり」

 

「例えば、どの地域の収穫量が多いかを示すことは?」

 

「地図に重ねて……ああ、いい地図か」

 

「いい地図?」

 

「キイさ……キイ嬢は量地の分野の知識もあって」

 

「ああ、つまりは煩務官と同類か」

 

あの上司と同じ扱いを受けるのはどうにも変な気分だ。

 

「ともかく、二人には報告の下書きを作って欲しい。過去の報告は後で持ってくるから、参考にするといい」

 

さて、書類作りは昔からあまり好きではなかったがどうなることやら。

*1
おお神々よ、汝の崇高なる意志を我らは称えん(比較的一般的な祈りの詩句の冒頭に使われる表現)

*2
乾きに雨を、飢えに麦を与えてくださった!(「乾き」と「飢え」、「雨」と「麦」が韻を踏んでいる)

*3
査察官は古帝国における官職の一つで、各地の郡(行政管区)に首都から出向し情報を集めるという名目でしばしば左遷に使われていた。煩務官という役職はない。なお、聖典語では「煩務」と「査察」は似たような発音である。

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