図書庫の城邦と異哲の女史   作:小沼高希

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提案

図書庫の城邦の北西に面した海にある港には、今日も多くの船が着いている。海鳥が鳴き、潮の匂いのする北風が吹いてくる。

 

「確かに、ここはいいところですね」

 

ケトが嬉しそうに言うが、私はそれどころではない。ここは船見塔。船の位置を確認するとともに港に来た船に進入方向を伝える役割を持っている、この区域で一番目立つ建物だ。一応関係者以外でも入れるが、観光スポットにはなっていないし夜間の灯りもない。いやそれはいいんだ。

 

「……そう、だね」

 

息が切れている。明らかに運動不足による持久力の減少だ。一時期は結構元気だったのだが、少しサボってデスクワークに集中すると体力というのは一瞬で落ちる。予定していた体力増強プログラムの第一被験者を私にするべきかもしれないな。ああいや、仕事の話はやめだ。

 

「こうやって見ると、かなり船の構造が様々なのがわかりますね」

 

「あれが北方流の作り方、あっちは東方の小型船かな……」

 

基本的にここの船は荷物を運ぶためのものだが、船の民にとっては家でもある。ちょっと視線をずらすと漁業に使われている船が見える。ゆるくロープで繋がれていて、海藻とか貝を取るために潜りやすくなっているとか。詳しくは知らない。これは別に船の民が排他的というわけではないよ、純粋に私が知らないだけ。

 

「こういうのを説明する図入りの本とかあるといいんだけどな……」

 

木凹版を使った印刷はそれなりに使われつつあるが、どうしても摩耗に弱いとか輪転機に突っ込めないとかいう問題がある。まあ、これに対しての解決策は知られているんだけどね。電胎法である。活字を作ったときに比べて凹凸を逆転させなくていい分少し手間が減るので便利だ。ここらへんは印刷物管理局印刷物研究班がメインでやっている。

 

「仕事を忘れましょう」

 

「はい……」

 

駄目だ、私の人生というか生活にこういう思考が染み付いているのですぐに考えがそういう方向に行ってしまう。まだ理論段階で止まったから良かったものの、実際にやった時の課題まで考えてしまうのも時間の問題だな。

 

「じゃあ、何を考えればいいの?」

 

「僕のこととか、どうですか?」

 

「……そういえば、最近は考えたことなかったな」

 

仕事に忙しかったのもあって、ケトを同僚としか見ていなかった。いや、雇用関係的にはケトは私の部下だったりするんだけれどもさ。

 

「ケトくんはさ、私と働いてどう?」

 

「楽しいですが、仕事の話以外をしません?」

 

「……私と暮らして、とかでいい?」

 

「一緒にいるのは好きですよ。もちろん迷惑をかけられることもありますけど」

 

「毎回毎回、本当にごめん……」

 

アフターケアはできるだけしているはずだけど、こういうのは傷つけられた本人が満足するのは難しいのだ。

 

「……別にいいんですよ、それは。キイさんがそういう人だっていうことはわかっていますし、僕だって司士として働いているんですから」

 

「別に辞めてもいいと思うよ。私は司女じゃないとちょっとここでは辛いけど」

 

女性の社会的地位の曖昧さもあって、私の活動は司女であることに支えられている。しかしケトはもう独立してもいい訳だし。

 

「妻としてなら、どうにかなりません?」

 

「一応そういう働き方をしている人がいるのも知ってるけど、どうしても今は難しいかな……」

 

ここまで言って、私は何とも言えない恥ずかしいというか微妙な感情を自覚する。

 

「……ええと、仄めかしであっても結婚の提案というのは私のいた場所ではそれなりに多くの意味を持っていて」

 

「知らないと思いますか?」

 

「私は話した記憶が無いんだけれども」

 

「……そういう話をした時の反応を見ればわかりますよ。ええ。あとさっきのはあくまで一般例ですからね、僕だって司士を辞めるつもりはありませんし」

 

「それは……良かった、って言っていい?」

 

「悪くはないと思います」

 

少しだけ、沈黙が流れる。あ、船の帆が張られている。出航かな。

 

「……もし、僕が一緒に衙堂を辞めて欲しい、と言ったら着いてきてくれますか?」

 

「もちろん」

 

別にこれは悩むほどの質問ではないよな。ケトがそういう行動を取るという時は大抵その先まで考えてあるだろうし。もし考えてなくても、まあケトとなら何とかなるだろう。

 

「……よかった」

 

「あー、もう少し私は信頼されるように行動を取った方がいい?」

 

「いえ、先程のは僕が自分の満足のためにしたものなので」

 

「そう」

 

わかっちゃいるよ。そりゃ。私がケトと何年間一緒に過ごしてきたと思っている。もちろんそれでも全部はわからないし、もともと人間感情の機微を読み取るのは下手だったけどさ。ああもあからさまな親愛と信頼を向けられたら好意を抱かれているんだなって理解はするよ。

 

言葉にするべきだっていうのもわかるけど、そういうのを口にしてしまったら壊れてしまいそうで怖いというのもある。私はここらへんの感情については不慣れで、多分初体験のものも混じっている。そしてそういうものが失敗することが珍しくないことも知っている。

 

「……あともう少し、色々と変えるために動くためだけど、手伝ってくれる?」

 

「もう少し、でいいんですか?」

 

「……お願い、していい?」

 

「着いていきますよ。僕自身がやりたい事は勝手にやるので」

 

「具体的には?」

 

「詩を作ること」

 

「……楽しいの?」

 

「楽しいですよ」

 

私以外の目的を見つけているのはとてもいいことである。とはいえ、私がケトにとっての詩と同じか、それ以上か。正直、ちょっとプレッシャーではあるな。

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