図書庫の城邦と異哲の女史   作:小沼高希

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権利

私の思想というのはそれなりに特異だった自覚がある。育った環境とか、学んだ相手とか、そういうのはとても恵まれていた方に入るだろう。

 

「まあつまり、古帝国法では守られるべきものを直接言及せず、列挙する形で示していたわけだ」

 

そういうわけで今日は権利と義務の話。なんか府中学舎のみなさんはこういう私の思想濃度が高い話を聞きたがるんだよな。正直こういう閉鎖環境で色々教えるのはキリスト教とか共産主義の思想に染まる的な事を思い出してよくない。あとは現実を見ていないと過激思想に染まりがちなんだよな。悲惨な現実を見続けても過激思想に染まるが。どうしようもねえ。

 

あ、技術とかの話はちゃんとやっていますとも。しかし、今まで作った機構とか作られた機械とかの説明がメインなので色々と気を配るところはあるけどなんか違うんだよな。これが若者に説教をしたがる老人性の表れではないことを切に願う。

 

「ここで守られているものはいくつかにまとめることができる。命を守られること。これは傷つけられることも含むよ。それに奪われない、相続できるといった特徴を持った財産を持つこと」

 

自然権の中でも基礎的な生命と財産に関するもの。しかし、自由のあたりはまだ考えが甘いな。

 

「古帝国法の基本的な考え方は、それぞれの地域のやり方にあまり干渉しない、それでいて統一的な裁きの基準を示すことだった」

 

広がった帝国にたまに見られるやつ。これとは別に商業の基準とかもあるが、これはあまり今回の本題ではない。

 

「では、古帝国を一旦脇に置いておいて、何もない状態から似たような考え方が作れないか考えていこう」

 

エチカとかのあたりをちゃんと読んだことはないが、まあ似たようなことはできる、はず。

 

「前提を定めよう。一つ、人間はその気になれば互いに相手を殺すだけの能力を持つ。二つ、人間は欲求が満たされていれば極端な行動は起こさない。三つ、人間は死にたくない」

 

「キイ先生、よろしいですか?」

 

学徒の一人が聞いてくるので。私は一旦白墨(チョーク)を動かす手を止める。

 

「どうぞ」

 

「人間、とは何でしょうか?」

 

面倒な質問を突っ込んできてきやがって。面白い。

 

「……例えば私たちが作りたい規則で守られる存在、みたいに言うのは結論を前提に使っている論理になる。これは少なくとも議論の範囲では無矛盾であることを示せるけど、論証としての力は弱い」

 

「例えば協力や敵対の可能性をもとに人間を定義するのであれば、豚や馬も『人間』とはみなされうるのでしょうか?」

 

うわぁ。多くの分野で有耶無耶にされていることを持ち出しやがって。

 

「確かに、古帝国法においても家畜、特に馬はただの物とは別の扱いを受けている。しかし、例えば仮に豚を殺したとしても我々は罪を問われない。確かに忌避される行為ではあるかもしれないが、それを気が付かないことにして、あるいは誰かに押し付けて社会は動いている。この部分は、何もない状態から作り出す考え方では難しいものとなる」

 

頷く学徒。

 

「というわけで、一旦この部分は何かいい感じに決まったことにしよう。もし詳しく論じたいなら、あるいはこの部分がその後の議論を全部覆すほど重要だと思うなら、後で話そう」

 

「そこまでではないです、進めて下さい。妨げて申し訳ありません」

 

「いいよ。じゃ、続き。まあつまり、ある程度の欲求は満たされる必要があるわけだ。そのためには生産が必要で、個人の特性の違いと効率を考えると、それぞれに仕事を持つ必要が出てくる」

 

はい、ということで数学の時間。デヴィッド・リカードの比較優位モデルを出してさくっと簡単なモデルにおける分業の効率性について述べる。

 

「ただ、これだとどうしても特定の仕事が一部に集中する。で、やり過ぎると欲求が満たされなくなるので誰かを殺してしまう。これはよくない。これを防ぐ方法はいくつかある」

 

黒板に溢れかける文字を一歩引いて確認してから、私は学徒の方に向き合う。隣の人と話している人がいる。私をじっと見ている人がいる。自分の書いたメモを確認している人がいる。あ、ケト。あくびをするな。オチまで全部知っているからといってもその態度はちょっと傷つくぞ。えっ昨日夜遅くまで同居人が変な話をしてきたせいで寝不足?なら仕方ないか……。

 

「ここで出てくるのが制度だ。互いにある程度の自由を制限し、衝突を回避するための一種の規則が必要になる。法、と呼んでもいい。これは十分な暴力と信頼によってのみ成り立つ」

 

私は自由主義はまだ色々改善点があると思っているとはいえ、まあ導入するならこれが一番マシだと思っている。しかし自由を守るためには自由を奪う相手に対しての抑止力とか制圧力とかが必要になるのだ。

 

「君たちはこちら側の視点を持たねばならない。社会を維持するために、何が必要なのかを考える必要がある。これは正直辛いことだが、誰かがやらねばならない。多くの場合、これは莫大な富と権力を代償としていた」

 

「そういう人は、自分が贅沢をするために社会を作ってたんじゃないか?」

 

「結果として社会を維持していれば同じだと私は思うよ。例え日々の糧のためだとしても、心の安楽のためだとしても、痛みから逃れるためだとしても、仕事は仕事だ。それをどう受け取るかは個人の問題ではないか、と私は考える。もちろん、幸福の最大化の観点からは外部の干渉をある程度認めるべきかもしれないが」

 

ちょっと話が散らばってしまったな。まとめていこう。

 

「つまり、社会から切り離された個人としての視点を考えると、例え義務を果たさずとも無条件に生存と財産と自由は保証されねばならない。人は赤子の頃には働けないし、老人となれば動けないからだ」

 

一応これには自覚している問題があるんですけどね。人間の定義に赤子はともかく老人を含めなければいいのですよ。しかしこれは心理的に反感が強すぎるので言わないでおく。合理性という言葉を使うなら、こういう部分まで加味しての合理性だからね。

 

「しかし、全体を見るとそれらを保証するための対価をどこかに求めねばならない。もちろん、各個人が報酬を求めずに己の役割を果たすなんていうことも考えられるが、これはちょっと無理があるだろう。何もしない人間を動かす圧力が、どうしても求められる。さもなくば社会は崩壊してしまう」

 

面倒なんだよな、ここらへんは。心理学的研究とかを積み重ねた上で判断すべきことを私の思想だけで無理矢理に構築しているから多分後で色々と批判されるだろう。それは健全で、とてもいいことなのだが。

 

「というわけで、古帝国法はその地域に根ざした統治機構の存在を前提とした、それだけでは不完全なものだ、ということになる。完全に古帝国法と独立した、人々の信任による法を作る可能性は示せたけど、まだ粗が多い。……そろそろ時間かな?」

 

時計の鐘が鳴る。部屋の緊張していた空気が切れて、ざわめきがやってくる。いやぁ疲れた。なお府中学舎の学徒たちはこの後食事して夜の運動である。大変すぎるカリキュラムだよな。まあ、頑張ってほしい。

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