図書庫の城邦と異哲の女史   作:小沼高希

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価値

この世界での授業は太陰暦ベースで、だいたい一月で講義が一つ行われる。太陽暦と組み合わせると都合が悪いのではないかとも思うが、案外これでうまくいくらしい。まあかつていた世界も7日周期のよくわからない時間区切りシステムを使っていたからな。フランス革命暦とかいう浪漫全振りで実用性が怪しい代物でなくてよかった。

 

「面白そうな講義、知りませんか?」

 

「私が知っていると思う?」

 

私たちがこう話しているのはこぢんまりとした部屋。二つの寝台と、二つの書き物机。あとはクローゼットというか衣装置き。ちなみに服は今着ているものと替えの肌着と外套しかない。この世界での服は本当に、高級品なのだ。となるとそんなものを貰っていた衙堂生活が恐ろしくなる。善きサマリア人でもそこまではしてくれなかったぞ?

 

「キイさんも、こういうところで学んだんですか?」

 

「まあ、もう少し色々便利だったけどね」

 

よく落ちる履修登録システムも、検索機能が怪しいシラバスも、今の世界に比べればなんと便利なことか。これをアナログでやってもいいが兎にも角にも紙が高すぎる。

 

「作ったりしますか?」

 

「何を」

 

「その……便利に学ぶための、色々なものを」

 

「私は今のところ講師をやる予定はないよ」

 

街全体に学舎があり、それを講師が借りて授業をするらしい。もちろんそれで食べていくには足りないので更に住み込みで稼ぐことが一般的である。学徒が講師を兼ねることも一般的であるので、本当に講義の質は様々だと衙堂の人たちから聞いた。なんでこういう変なところに嫌な記憶が蘇ってしまうのだろう。文系の大学に行こうとした私を「あなたは凝り性だから、成功か破滅かがはっきりするまで止まりそうにない。そして十中八九破滅するから辞めておきなさい」といった母は正しかった。ただ、当時の私はいやこの親でも成功できるんだから楽勝だろと片に反抗期ぶっていた。

 

「それに、教えるのは楽ではないから」

 

「……やはり、そういう経験が?」

 

「少しだけ、ね」

 

一応知識はある。不登校な小学生だった頃に「学校で学ばないなら自分で学べ」と言われて小学校学習指導要領を読んでいたやばいガキだったので、まあ色々と。いや待て。

 

「ねえケトくん、質問」

 

「どうぞ」

 

「教え方って、どうやって学ぶの?」

 

「それはまあ、誰かが教えているのを見て学びながらですよ」

 

「それについての本とかは、ない?」

 

「……聞いたこと、ありませんね」

 

げえ。ヨハン=アモス・コメニウスから始める必要があるかもしれない。

 

「……書くか?」

 

「本を書いても、一度に一人しか読めませんよ。それなら講義したほうが多くの人に伝えられます」

 

「……図書庫があるのに、知識の蓄積はそこまで重要視されていない?」

 

「ええと、本は死人の言葉を伝えるが、なぜ生きる講師から学ばないのか?という詩が」

 

「あー……」

 

確かにそれならまあ、本を新しく書くメリットはそこまで大きくはないのか。というか全部写本ならコストがアホみたいにかかる。

 


 

物の値段を決める方法にはいくつかある。一つ目はそれを作るためにどれだけの労働が必要とされたか。もう一つは、その物に消費者がどれだけの価値を見出すか。経済学用語を使えば労働価値と効用価値ということだ。

 

衣食住のような基本的なものの場合、効用価値は高くなる。ただそれ以上に、たぶんこの世界では労働価値の影響が支配的だ。効用価値を特に考えなくてはいけないのは物がある程度余っていている時。

 

で、何かを作るのには非常に手間がかかる。紙を一枚作るのに、布を一枚織るのに、本を一冊作るのに、かつていた世界はほとんど労力をかけていなかった。その背景にあるのは大量生産と、それを支える技術と、それを回せる経済と投資と……。つまりは政治である。どうしようもない。

 

ただ、これらは相互に関係性を持っている。良い技術が投資と市場を生むならば、私の知識を元手に世界を回すことはできるかもしれない。問題はそれを支える理論と人材が薄いこと。私の知る歴史では数百年かけた蓄積があって可能となったのだ。それにラッダイト運動のような反発も当然考えられる。

 

「一年ぐらいかけて、用意したいものがある」

 

私は軽く目を閉じて、呟くように言う。

 

「何ですか?」

 

「搾油機、文字の形、良い配合の(インク) 、滲まない紙、腕のいい金属細工の職人、あとは……それを守ることのできる、権力」

 

「まず物についてですが、銀片が二百もあれば足りますかね」

 

「だよなぁ……」

 

今の私たちには出せない額である。必要なのはパトロンか。どこにいるんだ。

 

「何を作るんですか?」

 

「本をたくさん」

 

「……具体的に何をするのかはわかりませんが、相当の権力が必要ですよ」

 

「どこに?」

 

「本をそんな簡単に作れるのなら、多くの書字生が職を失います。図書庫はそういう経験を持ったかつて学徒であった人たちに支えられています。ここまではいいですか?」

 

「……つまり、図書庫が敵となる?」

 

「それだけではないでしょう。図書庫と繋がりの深い衙堂も、場合によってはこの城邦そのものが敵に回ります」

 

「うわぁ」

 

さすがケトだ。これだけの情報からここまで読むのはこの世界を何も知らない私にはできない。

 

「どうすればいいと思う?」

 

「書字生を味方にすること。そのためには学徒と同じ目線で学ぶのが良いかと」

 

「誰かが学んでいるのを見て、学ぶ、か」

 

まあ、勉強は昔から好きだった。どこまでこの世界の教育が進んでいるかはわからないが、教え方から学べるものも多いだろう。

 

「で、何をどこで誰から学びます?」

 

「何も知らない」

 

「……衙堂の人たちに聞いてみますか。参考になるといいのですが」

 

本当は現役の学徒に聞くのがいいのだろうが、その方面の知り合いがまだいない。辛いところだ。

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