図書庫の城邦と異哲の女史   作:小沼高希

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正規分布

「さて、では前やったような複数の要因による変化がもたらされた値の分布について考えるよ。なので最終的にちゃんと答えが出ると信じてついてきて欲しい」

 

半分ぐらいの学生が嫌そうな顔をする。すまないね、これやらないと正規分布を導出できないのよ。

 

「まずは微小変化量……を考えると難しいので、微小比を考えるよ。考えたい比は $k$ と $k+1$ の時の比に相当するけど、 $n$ が十分大きい時にこれは連続量として捉えられ、 $x$ とそれに微小量 $\Delta x$ を足した値、 $x + \Delta x$に対応する」

 

二人脱落。まあここらへんは参考書に指定している本にも載っているからそっちを見てもらおう。あれはかなり整理されていないので難しいが。

 

「これは単純に二つの値の比を取ればいいので」

 

$$ k : k + 1 = x : x + \Delta x$$

 

「これを $\Delta x$ について解いて、$\Delta x = \frac{x}{k}$ を得る。$k$ が十分大きければ、つまりはそれだけ $n$ も大きければ $\Delta x$ は小さいとみなせるね」

 

そう言いながら私は式を書いていく。

 

$$\begin{eqnarray}\dfrac{\require{amsmath}\dbinom{n}{k+1}}{\dbinom{n}{k}} &=& \frac{\dfrac{n!}{(n-(k+1))!(k+1)!}}{\dfrac{n!}{(n-k)!k!}} \\ &=& \frac{(n-k)\cdot(n-k-1)!k!}{(n-k-1)!(k+1)\cdot k!}\\ &=& \frac{n-k}{k+1} \end{eqnarray}$$

 

「で、これをもとにしていくと」

 

$$\begin{eqnarray}\dfrac{1}{\dbinom{n}{k}}\cdot \dfrac{\dbinom{n}{k+1} - \dbinom{n}{k}}{1} &=& \dfrac{\dbinom{n}{k+1}}{\dbinom{n}{k}} - 1\\ &=& \frac{n-k}{k+1} - 1\\ &=& \frac{n-2k-1}{k+1}\end{eqnarray}$$

 

「になるんだけど、この最初の行の左辺は」

 

$$\frac{1}{f(x)} \cdot \frac{f(x+\Delta x) - f(x)}{\Delta x} = \frac{1}{f(x)} \cdot f'(x)$$

 

「と、形が似ているよね?」

 

私は少し語気を強めて笑顔で学徒たちの方を見る。これは「似ているので同じとみなすぞ」の意味である。ここらへんの説明を省略できるほどの仲になったのはありがたい。それまでにかなり時間をかけたが。

 

「さて、この $\frac{n-2k-1}{k+1}$ を平均値 $\mu$ と標準偏差 $\sigma$ で表したい。$\mu$ は $\frac{n}{2}$ で、$\sigma$ は $\frac{\sqrt{n}}{2}$ だった。覚えてない人は復習をしておこう。ここで、近似をしていこう。$n$ も $k$ も大きいので、1を足したり引いたりは無視できる。そして、今回は平均値の付近の $k$ だけを考えるとする」

 

様子を見るに二番目の近似の意味を掴めてなさそうだな。解説を入れよう。

 

「例えば平均値 $\mu$ から $10 \sigma$ 離れているということはまずない。だから、ここの分母の $k$ は $\frac{n}{2}$ と近似できる」

 

本当か?みたいな視線がこちらに飛んでくる。いや一応ちゃんとテイラー展開して評価してもいいんだけど今回はニュアンスだけ伝わればいいのよ。

 

「これをやると」

 

$$\begin{eqnarray}\dfrac{n-2k-1}{k+1} &\simeq& \dfrac{n-2k}{k} \\ &\simeq& \dfrac{n-2k}{\dfrac{n}{2}}\\ &=& \dfrac{\dfrac{n}{2}-k}{\dfrac{n}{4}}\\ &=& -\dfrac{k-\dfrac{n}{2}}{\left( \dfrac{\sqrt{n}}{2} \right)^2 }\\ &=& -\dfrac{k-\mu}{\sigma^2} \end{eqnarray}$$

 

「になる。あとは $k$ を $x$ に置き換えれば」

 

$$\frac{1}{f(x)} \cdot f'(x) = -\dfrac{x-\mu}{\sigma^2}$$

 

「が得られる」

 

よし、見慣れた形まで持ってこれた。

 

「質問です」

 

「どうぞ」

 

「平均値と標準偏差の使い分けが恣意的ではないですか?」

 

「厳密な証明ではないので……。実際は歪んだ硬貨で考えたり、最初から平均が0になるよう補正したりすると出せるということでいい?」

 

「……まあ、はい」

 

不満そう。たしかこの質問をしてくれた学徒はかなり算学ができる方だったよな。正直な所、こういう学徒のやる気を削ぐような授業になってしまっていることの反省はある。しかしそういうのを相手にするには私は知識も実力も足りていないんだよ。この辺で勘弁してくれ。

 

「これを解く時、$e^x$が微分しても形があまり変わらないことを思い出して $f(x)$ がこれに近い形なんじゃないかと予想する。例えば $f(x) = e^A$ とあって、$A$ が $x$ の関数だとすると」

 

$$\begin{eqnarray}\frac{1}{f(x)} \cdot f'(x) &=& \frac{1}{e^A} \cdot A'e^A \\ &=& A' \end{eqnarray}$$

 

「になるから、微分して $-\frac{x-\mu}{\sigma^2}$ になるやつが欲しい。まあ、まとめると適当な定数 $C$ を使えば」

 

$$f(x) = C e^{-\frac{(x-\mu)^2}{2\sigma^2}}$$

 

「になる。ここらへんが追いつかない人は微分と逆微分をちゃんとやろうね」

 

微分の逆として積分を定義して、それは今までやられていた面積を求める方法と同じなんだよ、というところまではなんとかなっている。微分積分学の基本定理、1670年ごろだっけな。まあここらへんは流石にないと物理学も何もできなくなるので仕方がない。

 

「単純化するために平均が0、標準偏差が1の場合を考えるよ。これは全体で1になるようになっていなければならないから」

 

$$\int_{-\infty}^{\infty} C e^{-\frac{x^2}{2}} dx = 1$$

 

「になるので、これを満たす $C$ が欲しい」

 

だいたい七割ぐらいが脱落か。まあ別にいい。ここらへんは手をいっぱい動かして微積分に慣れていないとちょっと引っかかるけど、学徒にはそんな時間はあまりないのだ。私のやっている数学なんかは比較的やらなくてもなんとかなる方ではある。

 

「これの計算は少し厄介なんだけど、まあざっくりと説明すると」

 

$$y = e^{-\frac{x^2}{2}}$$

 

「と置いて、これを $y$ 軸で回転させた時にできる回転体の体積を求めることで出せる」

 

ここについてはこの世界にもある幾何学で対応可能な領域だ。まあそれでも座標平面の理論とか広義積分とかを要求してくるので辛いけど。

 

「中心から紙を軸に巻いていくように展開している、みたいなふうに考えていけばいいかな。半径を $r$ とおくと、体積 $V$ は」

 

$$\begin{eqnarray} V &=& \int_{0}^{\infty} \tau r \cdot e^{-\frac{r^2}{2}} dr\\ &=& \tau \end{eqnarray}$$

 

「になる。そうじゃなくてさっきの回転体を回転軸と水平に切っていくことを考えると」

 

とか言っているうちにもう生き残りは少なくなってきている。まあ、ここまでついてこれる人は理解できるだろうから簡略化しちゃおうか。

 

$$V = \left( \int_{0}^{\infty} e^{-\frac{x^2}{2}} dx \right)^2 $$

 

「なので、求めたい値を $C$ で割ったやつの二乗になっている。つまりは」

 

$$\int_{-\infty}^{\infty} \frac{1}{\sqrt{\tau}} e^{-\frac{x^2}{2}} dx = 1$$

 

「になる。さて、最後の仕上げだ」

 

$$f(x) = \frac{1}{\sqrt{\tau}} e^{-\frac{x^2}{2}}$$

 

「これが欲しかった式。どう?」

 

生き残りは二人、か。なかなかのものだ。

 

「これを多項式として近似して逆微分すれば確率とかが出せるんだけど……これについては、やらないほうがいい?」

 

生存者がぶんぶんと首を縦に振る。時間もいいところだし、今日はこれぐらいで終わろうか。

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