図書庫の城邦と異哲の女史   作:小沼高希

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整理

「うーん」

 

史料間の相互関係を捉えるのは易しいことではない。試みの一つとして一つ一つをカードに記録して並べているが、結構面倒だ。いくつかつなぎ合わせて真実が見えたかと思えば、矛盾が見つかって記録者の視点が怪しくなる。それでも、ある程度固まった事実についてはまとめていける。

 

「……そろそろ日が暮れますよ」

 

頭領府から帰ってきたケトがいつの間にか私の正面に立っていた。「図書庫の中の図書庫」と呼ばれていた空間は多少整理されつつある。図書庫側もここの史料が今後活用されるのではないかと考えたようでひとまず大掃除中である。どれだけかかるかは知らない。目録の再整理だけでも相当大変そうなんだが。

 

「だね、一旦終わろう」

 

見ていた巻物の番号をメモして、私は背中を伸ばす。思った以上に整理されていない。生の史料を扱う経験はあったが、ここまで大規模なものはほとんどない。それも全て一次史料だ。保存するだけ保存して、たまに取り出して参照するぐらいしか使われていない。もったいないなぁ。まあかつての博物館も似たようなものだったからあまり言えないか。保存されているだけいいとしよう。

 

「んー、やっぱり興味が無いのかわざわざ危ないことをしたくないのか……」

 

基本的に史料とか書いたものとかはこの部屋から出せない。なので最適解はここに泊まってしまうことであるがケトからそれはしないようにと言われている。はい。研究室に泊まると巡回とか面倒だものね。隠れてやり過ごしてもいいけどバレた時にもっと面倒になる。

 

「ええと、片付けは……あまり必要ないか」

 

鉛筆の導入でインクの管理とかをしなくて良くなったのは便利になった。パンで消せるしね。

 

「……キイさんは、そろそろ仕事を終えるんですか?」

 

「そうだね、引退して図書庫に籠もろうかと」

 

私が十年弱やってきた、ある意味での本業。歴史だ。

 

「……色々と、キイさんについて話されているのを聞いています」

 

戸締まりをした私にケトが言う。

 

「何て?」

 

「……どうして、去るんだって」

 

「どうしても何も、私は本来いるはずがないんだけどなぁ」

 

私が図書庫の城邦でやっていけるのは、多くの人の好意のお陰にすぎない。それを無下にしたくはないけれども、過干渉は碌なことにならないと私の知識が言っている。体系からして異なる知識を急速に取り入れることのできた例は技術史にはいくつかあるが、それらは全て「例外的」と呼べるような条件が揃って成り立っている。

 

そして、多くはその過程で元々あった思想や概念や体系が失われている。そのアプローチがたとえ外来のものと比べて進んでいたとしても、だ。

 

「……けれども、キイさんのお陰で助かった人がいます」

 

「例えば?」

 

「収穫量の向上で、空腹のまま寝る子供は減ったでしょう。それはキイさんがいなければできなかったことです」

 

「そうかな、あと百年もすれば生まれたかもよ?」

 

活版印刷が生まれる条件は揃っていた。木版はあったし、文字ごとに扱うという方法が受け入れられる条件も揃っていた。改良ができる人間もいた。純粋に、時間の問題だったはずだ。

 

「けれども、キイさんがいなかったからなかなか生まれなかった」

 

「……まあ、確かに」

 

「つまり、百年分の苦しみを減らせたんですよ。これは誇っていいことです」

 

「大惨事を百年前倒ししたとしても?」

 

「それは……」

 

そう。全ては時間の問題なのだ。爆薬としての黒色火薬がある以上、それが砲に、銃に繋がるはずだ。それが何をもたらすかは、それなりに知っている。

 

「それは、私がどれだけ準備しても止められるかわからない。そして、場合によっては私が作ってきたものが最悪の形で組み合わさる」

 

「……例えば?」

 

「……まだ内緒。最終机上演習で明らかにするつもりだから」

 

なら、それを解かせればいい。核兵器は出せないけど。

 

「わかりました。それまでは逃げないでくださいよ」

 

「……私が逃げているって?」

 

「僕にはそう見えます」

 

ケトが私にここまで強めの口調で言い切るのは珍しい。ちょっとちゃんと対応しないと駄目なやつか。

 

「逃げちゃいけないの?」

 

「一人で逃げるんですか?」

 

「……一緒についてきてくれるの?」

 

「何度でもいいますけどね、キイさんの隣りにいたいから色々やっているだけです」

 

「……私は、君のためにそこまでできるかわからないよ?」

 

「構いません」

 

「期待を裏切るかもしれないよ?」

 

「キイさんに秘密を教えてもらった時にそれぐらいは悩み終わってます。僕は自分の選択でキイさんの隣に立つことにした。そこ自体に後悔はないです。やってきたことに改善の余地はありますが」

 

「……それだと、私がちょっと辛い」

 

「辛い?」

 

息を深く吐く。この手の感情には不慣れなのだ。

 

「一旦帰って、何か食べて、温かいもの飲んでからこの話をしない?」

 

「……いいですよ」

 

さて、逃げられない。私は世界から逃げられても、隣に立とうとする大切な人から逃げられるほど心が強くない。それは心の強さって言っていいんだろうか?場合によってはそれはあからさまな弱点になるだろうけど。

 

「……いや、ケトくんと引き換えなら何もかも終わらせてもいいな」

 

「そこまでですか?」

 

「たぶん」

 

そもそも私程度で世界は終わらせられないけれども。どうせ、人間はしぶといのだ。

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