図書庫の城邦と異哲の女史   作:小沼高希

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好意

「……どう?」

 

「いつもおいしいですね」

 

ケトはそう言ってスープをすする。

 

「よかった」

 

「……キイさんは、僕と向き合うのがそんなに怖いんですか?」

 

「うん」

 

正直なところ、こうやって話すだけでも逃げ出したくなってしまうほどに私は臆病な人間だ。

 

「言葉にできます?」

 

詰問じゃないってことは理解している。ケトはたぶん、私を知りたいだけだ。ああその、婉曲ではなくて。

 

「……私はさ、君の好意に相当甘えていた。それでいて、私の視点では君にまともなものを返せていない」

 

「キイさんから見ると、そうなるんですね」

 

ケトが、というかこの世界は私を過剰評価している。私は別に全知全能ではないし、援助さえあれば全てを成し遂げるような人ではない。明確ではない失敗は続けているし、多分現在進行系で過ちは拡大している。

 

「……私がかつていた場所なら、私はケトくんとまともに話す機会がなかったかもしれないよ」

 

私が専門だと胸を張って言える分野は食っていけるものとしては怪しい。別に誰も戦時中のエンジン製作精度の変化なんて気にしないのだ。それは私が思うに文化的愉しみ以上の価値はまずない。

 

「それは、立場の問題ですか?」

 

「いや、そういう場面が思いつかないってだけ」

 

「そう、ですか」

 

「私は君が私のことを好きなのを知っている。それでも、もしそれを受け取ってしまったら、私は自分に義務を課してしまそうなんだよ」

 

「そんなのは求めてない、と言っても?」

 

「そこまでいいことをしてくれる人に、私は何もできていないってなってしまう」

 

「なるほど……」

 

「だから無言で好意に甘えて、適当にごまかして、君と話すことから逃げていた。……まあ、髪も白くなってきて、限界を感じているからさ、もう逃げられないなって」

 

髪を梳けばたまに白いものが交じるようになった。年齢を数えれば40ぐらい。嫌だ。老いが怖い。その感情を持つメリットが無いとわかっていても、もってしまうのだからそれをねじ伏せるのは難しい。

 

「十年来の付き合いだよ。本当なら子が何人いてもおかしくないわけだけどさ」

 

私は息を吐く。今こうして話す相手も成長したものだ。

 

「……手を出してもらって、いい?」

 

「いいですけど」

 

すっと差し出された手のひらに、私は自分の指を重ねる。ほとんど同じ大きさだ。

 

「昔はさ、私のほうが明らかに大きかったのに」

 

いや、もうケトのほうが指が長いかな。

 

「……もし言葉にしてもらえるなら、私に何を求めているか聞いていい?」

 

「……今まで、僕がキイさんにどれほど助けてもらって、支えてもらって、教えてもらったか覚えていますか?」

 

「私は、あまり意識してそういうことをしていない。仕事の一環だったり、あるいは……好きな人に対しての献身的行動みたいなものとしてはあるけど」

 

自分で言っていて、どうにも自己中心的で恥ずかしくなってくるな。相手の立場に立って考えていない。その場の雰囲気だけだ。

 

「それでいいんです。というより、僕から見て十分キイさんは僕に好意を向けて、色々としてくれました」

 

「そうなの?」

 

「そうです」

 

「相当酷いことしてない?君から好かれていることを知っていて、かなり逃げていたように思うけど」

 

「楽しかったですし……、それに、キイさんには他の人を選ぶ機会があれだけあったのに、僕を選んでくれました」

 

確かに、ケト以外に私の出自の秘密をちゃんと言葉にして共有したいと思った人はいないな。多くの人は察してくれてしまっていたからな。

 

「だから、キイさんが僕のことが好きな間だけ、そばにいてください」

 

「どっちかが死ぬまでになるけど、いい?」

 

「信じないでおきます」

 

「私が他の人を好きになるほど器用だと思う?」

 

「……縛ることができるなら、そうしたいですよ。けれども、結婚もしていないのに不貞で訴えるなんてできないでしょう?」

 

「……契約か、誓なら?」

 

「あまり僕の趣味ではないです」

 

「意外。最初のときにしてくれたあれは?」

 

あのとき舐めた、ケトの血の味を思い出す。

 

「若い頃の過ちだとは言いたくないですけれども、あれは自分を縛るものでした」

 

「……つまり、結果としては今まで通り?」

 

「そうですね。僕もこの歳では嫁に来てくれる人も少ないでしょうし」

 

「……いない?」

 

「いないと思います」

 

うーん、それはそれでケトの過小評価な気がするけどな。

 

「それに、キイさんと結ばれないのなら、独り身ということにしたほうが楽ですし」

 

「……やっぱり、そうやって面と向かって言われると辛いなぁ」

 

私は顔を伏せる。多分きっと、今はとても変な、口角の緩んだ顔をしている。

 

「……僕だって、そうですよ」

 

ちょっとはにかんだようなケトの声がして、私の後頭部に重さがかかる。

 

「……どけて」

 

「嫌です、ちょっと見られたくないので」

 

「見せて」

 

「見られるかキイさんの顔見るかしたらちょっと壊れてしまいかねません」

 

「そういう恋をする若者って年齢じゃないでしょ」

 

「ずっと燻るような想いを持っていたんです、慣れてないんですよ」

 

「……ごめんね」

 

「悪いと思っているなら、せめて僕の前から去るときは一言断ってからにしてくださいね」

 

「嫌だ」

 

「……どうしてですか?」

 

「君の前からは、いなくならないから」

 

どうせ彼はついてきてくれるだろう。そういう信頼をちゃんとするべきだ。私は手探りで自分の頭の上に載せられているケトの腕に触れ、手のひらを合わせ、指を握り込んだ。

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