図書庫の城邦と異哲の女史   作:小沼高希

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封緘

外套を羽織って道に出る。涼しい風が私の白くなってきた髪を撫でる。

 

日がどんどん昇っていって、街が少しずつ活気を持っていく。屋台で今日の朝食を古報知紙に包んでもらって、立ち食いしながら図書庫の城邦の名の由来である大図書庫に向かう。

 

「おはようございます、キイ師」

 

夜警の人がいつものように眠さを感じさせない顔で私の見せる木札を確認する。

 

「おはようございます」

 

私はそう言って、頭を下げる。天井に這わされた電話線に沿って向かうは「図書庫の中の図書庫」の隣に作った一室。私の生活費は商会から顧問料として手に入れているし、ケトの給与も合わせれば生活する分には困らない。

 

さてと、と私は今日の分の巻子本を開く。ここしばらく纏めているのはこの世界における疫病の歴史。理想であれば病原体を分析したいが、それができるまでには時間がかかるだろう。微生物の冷凍保存の研究が「総合技術報告」に載っていたので、血液採取装置を作って保存するような案を後で書いておくことにする。

 

こうやって色々と分析していると、この世界は決して停滞していたわけでは無いことがわかる。確かに古帝国の緩やかな崩壊によって多くのものが失われた。それでも人々は様々な工夫を重ね、新しい方法を試してきた。水車の導入。農法の改良。穢れに似た概念を利用した隔離。酸と塩基という分類法。木版の活用。私がやったことは、そういう積み重ねの上に成し得たものだ。もちろん、飛躍的なものであることは否定はしないが。

 

「……ただ、これはなぁ」

 

私は休憩がてら、手元の草稿をぱらぱらとめくる。いつの間にか昼前になっていた。この内容は、今の技術水準ではどうやっても書けない代物だ。この内容を証明するだけでも複雑で精密な測定装置を一から作る必要がある。そのための蓄積は、たぶん百年ぐらいかかるかな。

 

そう考えていると、電話機の電鈴(ベル)が鳴る。

 

「はぁい」

 

「キイ嬢?」

 

歪んだ声で聞こえるのは馴染みの薬学師の声。

 

「はいはい、今行くよ」

 

受話器を戻して、本を片付けて、草稿を木の箱にしまってから部屋を出る。一応部外者閲覧禁止の資料だからね。そういうところはちゃんとしておかないと。

 

「ごめんね、待たせて……って、ケト君も」

 

「商会の方から荷物届いているってあったので取ってきましたよ」

 

「やった!」

 

注文の品は少し細工が難しいかと思ったので北方の職人に図面とともに渡しておいたのだ。

 

「……例の箱の錠か?」

 

トゥー嬢がケトの手元にある包みを見て言う。

 

「よくわかりましたね」

 

驚いたようなケト。

 

「箱の中の空気から煆灰質を抜き取る方法を求められてな」

 

「どうするんですか?」

 

「鉄粉と水を紙袋の中で混ぜるだけだ。鉄が錆びる時に煆灰質と結合する」

 

「ああ、なるほど」

 

つまりはただの脱酸素剤である。そう難しいものではない。

 

「……で、何を入れるんだ?」

 

「それを秘密にしたいからわざわざ錠をつけるんだよ」

 

私は答えて、応接間のような空間に私は二人を案内する。ケトはともかく、トゥー嬢はクリアランス的に私の作業部屋に入れないのでね。さらりと守衛が静かに立っているので一礼して、二人には部屋で待ってもらって私は箱を持ってくる。

 

「錠を貰える?」

 

「はい」

 

受け取った時に確認したのか、開けられていた包みからケトは金属製の部品を取り出す。構造としては三桁の数字を合わせれば開く、シンプルな番号錠だ。たかだか1000回の試行で開くのでセキュリティとしては甘いが、これはむしろ鍵をしてあること自体に意味があるので問題ない。

 

規格化された尺に合わせてあるので、問題なく箱に開けておいた空間に鍵がすっとはまる。留具をかけて、たぶんこれで問題はない、と。箱を閉めて、開かないことを確認。

 

「大丈夫そうですか?」

 

「たぶん」

 

ケトの声に答えて、私は数字を合わせる。1、3、7。引き金を動かして箱を開けられるようになる。よし、ちゃんと頼んだ通りに動いてくれている。

 

「完璧だ。後で感謝の手紙を書かないと」

 

構造としては単純だ。回転する円盤に溝が彫ってあって、数字を合わせると軸が動かせるようになる。

 

「この箱にトゥー嬢の作ってくれた包みを入れて、蓋を閉じれば百年ちょっとなら持つはず」

 

実際のところ脱酸素剤がどこまで有用かはわからないので裏で実験しておく必要はあるけれども、まあこれで最悪なんとかなるはずだ。

 

「ケト君、もし私が倒れたら指示書を残しておくのでそれに従ってこの箱に私の書いたものを入れて、信頼できる人に渡して」

 

「わかりました」

 

よし。これで私が最低限やらなくちゃいけないことは終わった。

 

「……なるほど、そういうやり方で取り扱いの難しい知識を先の世代に渡すのか」

 

トゥー嬢は一瞬で私の意図を見抜いたようだ。

 

「そう。この箱を開ける謎解きが理解できるようになる頃には、この草稿を活用できる条件が整うわけ」

 

微妙な調整だが、多分うまくいくだろう。私の知る科学史の知識と照らし合わせても、その力の意味を理解できて、かつすぐには実用化できないというちょうどいいタイミングでこの箱は開けられるはずだ。問題は謎解きの意味が理解されてすぐに開けられるかどうかだが、まあこれは誰かがいい方法を思いつくだろう。

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