図書庫の城邦と異哲の女史   作:小沼高希

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酒宴

酔っているから笑っていられるが、素面であればたぶん苦笑いを浮かべるしかできなかったであろう。

 

飛び交う聖典語。適宜ケトが挟んでくれる翻訳。比較的落ち着いた酒場だ。いくつかの卓で、軽食をつまみながら酒を飲む。

 

「さっきの███████ ████は海を超えた北の方で取れる良質な白い石のことです」

 

「なるほどねぇ」

 

私の経験から探ると、今酒宴の中で行われていることにもっとも近い表現はラップバトルである。いや、本当にその通りなんだって。歌合と言ってもいいがそこまで雅な感じはない。

 

「……聞こえてます?」

 

「ん」

 

酒はいいものだ。ケトはあまり飲んでいないが、それでも少し顔が赤くなっている。かわいいなぁ。

 

「調子に乗って炎酒なんて飲むから……」

 

「まだ、少し気分が高調しているだけだよ」

 

「……はいはい」

 

いや、嬉しいニュースがあったのだ、飲むぐらいいいだろう。おお、この世界の薬学の発展万歳。蒸留酒があるということは、蒸留器が存在するということだ。かつての世界では伝説的錬金術師ジャービル・ブン・ハイヤーンが発明したことになっている、基本的な科学機器だ。十分濃度が高いエタノールが作れる。これは消毒剤として汎用性が高い。脱水でできるジエチルエーテルはちょっと引火性の高い麻酔になる。水での抽出が難しい油性の化学物質であっても抽出ができる。燃料にもなる。いや、燃料にするのは食料用の穀物と競合するから安易にやるべきじゃないけど。

 

ただ、残念なのはこの容器だ。いや、これ自体も技術力を示すものでもあるのだけれどもね?クリーム色で、叩くと比較的高い音がする。磁器だ。焼く為にはある程度の高温を必要とするため、いくつかの工業化学に必要な高温反応の下地はあると考えられる。ただまあ、個人的には酒はガラスの容器で飲みたい。ランプの灯りでは器はあまり透けず、なんというか目で楽しむのは難しい。

 

「そこの新人、参加しないか?」

 

声が聞こえる。どうやら先ほどの戦いは終わったようだ。

 

「申し訳ない、聖典語はまだ使えなくて!」

 

「わかってるさ、そこの少年のほう」

 

「……いいんですか?」

 

すっと、空気が変わった。ケトは机に深盃を置いて、立ち上がった。

 


 

意味はほとんどわからないので、単純に音の響きを楽しむことにする。基本的に韻を踏みながら、何節かを交互に言い合っているようだ。速度は基本ゆっくりだが、速くなることもある。ケトの声はなかなかにいい。先ほど勝っていた男性が少し不利のようだ。これは歓声からの判断である。かなり盛り上がっているので、少しだけ得意な気分になる。いやいいだろうこのくらい。それにしても何を言っているのだろうな。単語レベルでも聞き取れるといいのだが、いつもケトが読み上げるときとかなりリズムが違うのでわからない。

 

そんな事を考えると、ケトは取り巻く人達を丁重に断りながらこちらに戻ってきた。

 

「おかえり」

 

「……やらかしました」

 

落ち込むケト。おや、結構深刻なようだ。アルコールの入った脳を少し落ち着かせる。ゆっくり呼吸。

 

「かなり良かったように見えたけど」

 

「これでも詩人になりたい人なので、言葉は得意なんですよ」

 

そういえば、そうだったな。私の面倒事につきあわせてしまうつもりでいたが、別にそうする義務はない。自由に生きるのは難しい世界だとしても、それを目指してはいけない理由はないのだから。あ、駄目だなこの思考。ボロを出さないようにあまり何かを言わないようにしないと。

 

「……ただ、調子に乗ってしまいました」

 

「何を話したの?」

 

「……キイさんに、血を舐めさせたこと」

 

「へえ」

 

そういえばあれは古帝国流の誓約だったのだな。事務仕事の流儀とかは古帝国の流れをくんでいるらしい。古典が教養となっているのだ。

 

「……それって、みんな意味を知ってるの?」

 

「……知ってる人は、知ってますよ」

 

「そっか」

 

危ない危ない。これで「どういう意味なの?」と普段なら聞いてしまっていた。

 

「申し訳ない、彼は少し酒を入れすぎてしまったようで」

 

ケトの肩の下に腕を入れて、私は立ち上がる。

 

「ああ、すまないね。つい上手いやつがいたから盛り上がってしまった。詫びになるかはわからないが、今日の酒代はこちらが払うよ」

 

今回の酒宴を主催した幹事に当たるだろう人が、私たちのところに来て少し申し訳無さそうに言う。

 

「いえいえ、私たちも多く飲みましたし、働いてきちんと貰っていますから」

 

こんな言い合いをしていると、ケトが小声で引くように言ってくれた。なるほど、このくらいのタイミングか。固辞しすぎるのもあれだし、これくらいなら双方の面子も立つのだろう。

 


 

寝台にケトを横にした。私も結構酔いと眠気でふらついている。

 

「……血を舐めるというのは、古帝国の物語に由来します」

 

離れようとする私の裾をつかんで、ケトは言う。

 

「そうなんだ」

 

「いくつかの場面で出てくるのですが、そのうちの一つ、帝国を奪い我が物にしようとする卿……上位の事務職たちによってなされたものが有名です」

 

「とすると、私たちは城邦を奪おうとしていると言ってしまったの?」

 

「……いえ、たぶんこの話より、別の話のほうをみんな思い浮かべたかと」

 

「どんな?」

 

こう言ってから、私は後悔をする。

 

「互いに秘密を守ると誓った男女の……聞きたいですか?」

 

「……今日は、いいや。後で聞かせて」

 

これ以上話すと、深刻なまでにケトを傷つけることになりかねない。

 

「おやすみ」

 

私はケトの頭を撫でる。これは許容されるスキンシップだったはず。

 

「……おやすみなさい」

 

少し寂しそうにケトは言って、目を閉じた。

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