図書庫の城邦と異哲の女史   作:小沼高希

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断片

「……さて、渡された手稿ですが」

 

そう言う女性はもともとはある商会の研究部門で働いていたただの助手だった。その過程で出てくる問題を解決するために半ば無理やりな「階段理論」を提唱したおかげで、航空船に半月揺られてこの図書庫の都市まで来たのである。

 

「読めたか?」

 

最近「総合技術報告」編集長となった無精髭の男が彼女の眼の前の机に置かれた封筒を見て言う。

 

「正しいかどうかはともかくそう難しくはなかったのですが……再度、確認していいですか?」

 

「ああ、答えられることはできるだけ答える」

 

「昔に作られた箱の中に、これが入っていたんですよね」

 

「そうだ。その鍵となった無次元量の値はつい先日十分な精度で決定されたばかりだ」

 

そう言って、編集長は両のこめかみを親指と中指で押しながら息を吐く。その値は、ぴたりと一致していた。鍵の構造は単純で、開けるための数字を後から変更することは出来ない。つまり、ある種の予言であると考えられる。

 

入っていた封筒のうち一つは、理論と測定を理解できる人間に渡すように書かれていた。それ以外にも政策決定者に渡すべきものと、裏側の人物に渡すべきものも。「裏側」のほうは箱の管理者である彼の旧友が持っていって上の方に回されたと聞いていた。結局、彼はどれも読むことができなかった。かわりに、前者二つを誰に渡すかを決めることのできる立場にあった。

 

だから彼女を選んだ。技術分野にも精通しており、算学に対しての天賦の才能がある。その才能が見出されるのは時間がかかったが、決して遅かったわけではない。

 

「それをどう扱うかは君の自由だ。無視するもいい。あるいは他の人に渡すもいい」

 

「……いえ、これを担います」

 

「……そうか」

 

頭を下げた男から視線を外し、彼女は改めて手元を見る。長い時を経たとは思えないきれいな紙。文字は少し汚いが。

 

「かなり膨大な力を得ることができると思います。あとは信頼できる技術者を何人か。この草稿の存在は伏せねばならないのですよね?」

 

「そうだな。それが望ましい」

 

「まずは92番基質を含む鉱脈について調べて下さい。できれば独占したいほどですが」

 

「あ、ああ。他にもできることはあるか?」

 

いきなり纏う雰囲気が変わった彼女に驚きながら、編集長は手元の紙に文字を書く。

 

「高圧蒸気を回転に使う機構は……多分ないのでそこから作らないと。これを書いた人は石炭などを使って高圧蒸気を作る機構がある程度できていることを想定していましたが、ここは予想を外していますね」

 

ほとんどの痺因を生み出しているのは水車だ。逆に言えば、それ以外のものを動力として使う技術は未発展である。例外としては一部で使われている液体燃料式の動力装置だろうか。熱から蒸気を作り、それを動力にするという発想は燃料の問題もあってあまり行われていなかった。

 

「航空船の推進装置とかと似ている気はしますね」

 

「一体何が書いてあるんだ?あ、いや、必要だと思えば語らなくても良いが」

 

「92番基質を製錬して条件を整えると熱が発生します」

 

「保存則、どこに行った?」

 

「なんか重さが転換されるらしいです。あーそうか、光の速度が一定なら重さのほうが変わるか……。ここは長さが変わることにしてもあまり問題なさそうだな……」

 

彼女にとって、かなり簡単に導出過程が書かれている手稿を読み解くのはそう難しくはなかった。そもそもあの値が不変であるとするなら光の速さも一定であると考えるべきのはずだ、と思考を巡らす余裕があるほどだ。しかし読み直す度に発見がある、と彼女は手稿自体に意識を戻す。

 

これを理解するために必要な知識と能力を自分以外に持っている人は少ないだろうな、とわかる程度には彼女は自分の能力を知っていた。だからこそ限界もあるし、自分だけではできないことも多いこともわかっていた。

 

「……光速度の詳しい測定が必要なら、箱を開けるときに助力を得た干渉装置の専門家を紹介できるが」

 

口を閉じてしまった彼女を見て、編集長は声をかける。

 

「最近『総合技術報告』に載ったあの装置の兄妹ですか?」

 

「ああ。必要な機構もあの二人経由でなら人を集められるだろう」

 

「測定装置をいくつかお願いすることになるでしょう。まあ、もう見せてしまいますか」

 

二人は机の上の紙を見る。

 

「過冷却蒸気を用いた観察装置……これは気象方面でやりましょう。これで92番基質から飛び出るものを検出できます。そこから理論を作るのには時間がかかりますね」

 

「必要であれば政策方面からも動かせるはずだ」

 

「そうしないと無理ですね。理論だけでも、技術だけでも、これは作れません」

 

「……これを書いた人物は、発案所持権などの法整備にも関わっていたそうだ」

 

「なら政策側はある程度信頼できますね。あそこらへんの法律は異哲派の時代から変わっていませんから」

 

「そうだ。というより、あの当時の諸々の大抵はその人物が関わっている」

 

「未来から来たのでは?いや、それだと内容がおかしいな……」

 

彼女は最後のほうの紙を見て言う。そこには少量の燃料から膨大な熱を生み出すことのできる機構の図面がいくつかあった。複数の種類があり、どれが一番適切かは調べていかないとわからないだろう。ただどの機構にも暴走の可能性があるという注意書きを見て、彼女はこの機構の作成方法をわざわざ鍵付きの箱に入れた理由を察することはできた。

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