「むむ……」
歴史思考分析の専門家は、書き積んだ帳面をぱらぱらとめくり返しながら自分の読んできた本を見つめる。
「落ち着いて、思考を整理しましょう。ここに書かれているのは、事実と思われるものの断片と、それを使って撚られた物語」
透玉を組み合わせて作った機構で覗けば布が糸の集まりとして、糸が細く短い繊維の集まりとして捉えることができるように、その本の内容は多くの根拠によって支えられていた。
「物語全体の流れを把握することは、語と語の関係で捉えるには難しすぎる……」
より大きく本を捉えていく。章ごとに内容を要約していけば、全体を通した流れを掴むことができる。
「ある意味では結論の先取り、けれどもそうしないと人が扱えるようにはならない……」
「何をぶつぶつと言っているんだ?」
「ひぇっ」
聞こえた声に驚いて背中を伸ばし、恐る恐る後ろを振り向くとそこには歴史研究者がいた。確か文字読み取りと文章分析の専門家の同僚だったはずだ、と考えながら歴史思考分析の専門家の手元を見ると印刷された紙の束があった。
「悩んでいるらしいと聞いてな、様子を見に来た」
「すみません……」
そう気がついて確認すると、もう日が昇ろうとする時刻であった。生活の周期は完全に乱れているので、決して眠くはないが。
「……時間、あるか?」
「ええ」
「少し話をしても?」
歴史研究者は手元に高椅子を引き寄せ、専門家と視線を合わせる。
「構いません……むしろ、一度いま頭の中にあるものを話したいと思っていたのです」
「そうか。先に聞く側に回ったほうがいいか?」
「いえ、意識しないで大丈夫です。些細な話が整理のために重要な示唆を与えてくれるかもしれないので」
互いに資料を整理して、話す内容を整えていく。
「全体を通して見たところ、おそらく作者は最初に全体の構成を考えてから書いています」
「ああ、それはあいつの分析も裏付けになりそうだな」
整って並ぶ文字は計算結果の要約だ。章や節ごとの分析ではどうしても誤差が大きくなるので、それを補正するような処理も加えられている。
「使う言葉や言い回しが微妙に変化している。それも最初から最後にかけてではなく、飛び飛びでだ」
「……近い値の組み合わせは、近い時期に書かれたと考えるのが妥当……というより、考えても矛盾はない、ぐらいの強さの主張ですか」
「そうだな。内容自体は触れられていないが」
「確かに読んでいて前後の文脈の微妙な食い違いはあったんですよ。例えばここ」
帳面を開き、専門家は内容を要約したものの一覧を見せる。
「ここで本来扱われる内容は古帝国が生まれた時の人々の動きです。ただ、本来なら書きたかったのだろう内容について言及しているもののそこをきちんと解説した部分が本文にない」
「推敲が甘かっただけではないか?」
「最終的に言ってしまえばそうなのだと思うのですが、そのような間違いが起こった裏には最初から結論を用意した上でそこまでの流れを分割していったのもあるかと」
「方向修正が困難なやり方だな、今ならそういうことを通史でやるのは避けられる」
「ですよね。ただ、読んでいて未熟だとは思えません。常に限界に対して自覚的で、自分が物語を書いているとわかっていてこの本はできているうように思えます」
専門家のその言葉を聞いて、研究者は少し考え込む。
「……少し、いいか?」
「はい」
「物語は真実の一側面にしか過ぎない、それは情報を削ぎ落として、場合によっては望む一面だけを映し出してしまう……という文書が冒頭の方にあったよな」
「しかし個人は物語に生きているから、それと切り離して歴史を論じることはできないともありますよ」
「そうだ。こういう考え方は今は一般的だが……昔からそうだったのか?」
「……専門家、と名乗っている以上、そこをきちんと断言したいのですが」
「……無理か?」
「異哲派の時代にはそういう考え方が断片的には現れています。この本の作者の影響かもしれませんが、それを裏付けられるほどの関係性を史料から見出すのは難しいかと」
「それ以前には?」
「そもそも、そういう風に歴史が捉えられていません。それは真に事実の羅列に過ぎない、と考えられています」
「誰がどういう目的を持って残したかという背景と切り取られて……悪く言えば誰もが無自覚に歴史を紡いでいた、と」
「一応哲学的なものの中にはそういう方面から論じたものもないわけではないですが、決して主流の考え方ではなかったとは言えると思います」
歴史思考分析は書かれたものだけから当時の人々が何を考えていたかを読み取ろうと試みる、ある種無謀なものだ。生きている人間に直接尋ねてさえ思考というものはいい加減なのに、それを時代と媒体を超えて決めつけようとするある種の傲慢さは常に自覚しなければならない。
「これは私の中にある物語に過ぎませんが、キイという人物の功績の一つは私達自身が物語を通してしか外側を認識できないということをしっかりと宣言したことなのではないでしょうか」
「考え方……か。確かに『女史』が関わった発明や技術よりも、それをどう発展させるかという考え方のほうが大きな影響を後世に与えている、という考えもある」
「私はそれに同意しますね。ただ、その発展自体も……いや、おそらく彼女は発展に自覚的だったのではないでしょうか?」
「何に気がついた?」
「当時作られたものを再度整理しましょう。『女史』は持っていた知識の全てを伝えたわけではないはずです」
専門家の中で彼女についての物語が撚られ始める。それはもちろんキイの全てを説明しうるものではないが、少なくとも一側面であれば理解の助けになるかもしれない。