図書庫の城邦と異哲の女史   作:小沼高希

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目的

宴会は一人、また一人と去っていき、部屋には七人が残った。私とケトを除けば五人。全員男性だ。

 

一人は白髪の講官。図書庫に務め、研究と教育に携わる専門家。四分野を修め、ケトもその名前を知るほどの人物。

 

一人は髪を後ろにまとめた商人。経済学者だと思っていたが、もっと実務寄りのようだ。あまり話せていないが。

 

一人は衙堂の司士。いつものような冷たい目で、この面子を見ている。一番馴染みのある人物だが、助けてくれる気配はない。

 

一人は将軍補。叩き上げの武官としてかなりの要職についているらしいことしかわかっていない。

 

そして、最後の一人が頭領。法律上は、この城邦の最高意思決定者である。

 

「……キイ嬢」

 

煩務官が口を開く。

 

「我々は城邦と民のために仕事をしている」

 

「……ええ」

 

「故に、一定以上の危険を取り除く必要がある。不確定要素が多いときには、特にだ」

 

「正しい判断ですね」

 

全員がリラックスした体勢を取っているにもかかわらず、部屋の空気は重い。今まで感じたことがないタイプの圧迫感だ。

 

「ここにいるのは旧友であり、師であり、同志だ。それ故に、質問をしたい」

 

何が来るのかな。私に答えられる内容だといいけど。

 

「君は何を目的にしている?我々と志を共にできるか?」

 


 

思い返してみれば、人生に目的を見出したことがあまりなかった。人並み以上には心理学も宗教も知識はあるが、正直なところあまりピンと来なかった。何かを学ぶのは楽しかったし、誰も知らないことを発見した時には心が踊った。ただまあ、その程度なのだ。歴史上で見る、いわゆる偉人と呼ばれる人々は、たとえそれが物語(narrative)であることを加味しても私とは違うように思えた。

 

早めに私の罹った中二病は、比較的すぐ同世代のバケモノに打ち砕かれた。それに悔しさはあまり感じられず、中には笑顔で握手を求めて友人となった人もいた。けどまあ変な知識欲は消え失せず、手当たり次第に突っ込んだ知識をベースに私は科学技術史の方面に足を進めた。そうして気がついた時、私は一人だった。

 

博士号を取るような、あるいはそれ以降のキャリアを歩む研究者が挑んでいるものは決して「先端」と呼べるようなものではない。特に人文科学の領域では。それは山を登るのではなく、広い荒野を切り拓くようなものである。目の前に見通しはなく、終わりもない。人類史で今まで自分と同じ地平に立ってこの領域を見たものはなく、おそらく今後も現れないだろうとわかってしまっても、私は「そんなもんでしょ」以上の感情を抱けなかった。それに燃え上がる人もいた。あるいは孤独に耐えかねたものもいた。私はそうではなかった。ただ感覚が麻痺していただけかもしれないが。

 

「私の求めるものは、そう多くはありません」

 

強いて言うなら研究者や技術者としての倫理だろうか?ただ、これもあまり複雑なものではない。それに義務でもない。科学者が負うべきだと私が考える多くの責任について、私を含めたほとんどの科学者は無視している。人間にとって、あらゆる行動が他者への危害となりうるという思想は面倒なのだ。主要な経済指数と疾病発生率の因果関係を結んでしまえば、ある政治家を殺人者であると言うことができるだろう。ある歴史的見解が個人にストレスを与え、寿命を縮めることは十分に考えられる。ましてやもっと直接的な技術を扱う人間であれば、製品によって生まれた死の責任の一端を担う必要があるというのは純粋に論理的な結論として出てくる。私は感情的なので「知るか」と技術者倫理の本を読んで一人呟いていたが。

 

「衣食住、頼れる専門家、あとは知的好奇心を満たせる環境があれば、私は成すべきことを成すでしょう」

 

ああ、敬虔さも道徳性も欠けている。私の知る時代の日本人程度には不正は嫌いだし、道徳の教科書を配られたその日に読み切る程度には興味もあるのだが。

 

「逆に、あなたがたは何を私に望みますか?提供できるものがあれば出しますが」

 

「どこからそれを持ってくるかの答えは、知り得ないものだろうな」

 

講官が低い声で言う。

 

「君が示した知識は、いずれの書にも見いだせないものだ。それが不学のためと言うなら、賢者はこの地に存在しない」

 

うん。まあ異世界の研究者が転移してなにかしようとしていますって言っても誰も信じないわな。それにあまり言っても意味がないし。さすがに秘密を抱えきるのは辛いからケトには打ち明けたけど。

 

「こちらとしては、それが利となるのであれば商うのみです」

 

そう腕を組んで言う商人に、私は視線を向ける。

 

「本当に、売れますか?」

 

「……なに?」

 

「億の民を死に至らしめる病を、街を焼き滅ぼす力を、あるいは国を崩壊させる怨嗟を、あなたがたは御する事ができますか?」

 

「……それだけの力があるなら、今ここで斬ることも考えねばならないな」

 

将軍補の言葉に、私は頷く。

 

「ええ。ただ、あなたがたは千年もすればその域に手が届くでしょう。人々の欲望は止まりません」

 

「君が動けば、それがどれほどになるかね?」

 

「ま、百年といったところですかね」

 

微生物学が始まったのは19世紀。マンハッタン計画は20世紀。SNSが本格的に社会に影響を与えるようになったのは21世紀以降。どれもきっかけになる技術は、十分な支援があれば三十年もあれば到達できる範囲にある。

 

「国家の計画を立てるのであれば、今後千年をかけてそれに耐えられるものを作り上げるか、あるいは今ここで千年分の知識を聞いて、必要なものを選ぶか、か」

 

頭領の言葉は、かなり正しい。私の知る歴史ではそれをできたことはほとんどなかったが。

 

「選ぶのも容易ではありませんよ。鉄を打つ技が鋤を作るにも剣を作るにも働くように、私の知識の活用は流血を伴うでしょう」

 

「で、活用せねば千年の争いを伴う」

 

将軍補は口を挟む。ああ、この人はたぶん戦争を知っているんだな。私は知識と数字でしか知らない。

 

「専門家として、私はこの国が、この地が私の知識をうまく使える可能性があると言えます。ただ同時に、それは非常に至難であるとも言えます」

 

「君の考える、我々の選択肢は?」

 

煩務官の言葉に、私は少し考える。

 

「ここで私を殺すなり、口を封じるなりする。この場合、地の上には何も影響は出ないでしょう。あるいは私にいくらかの協力を行い、有用そうなものを活用することもできる。あと、勧められはしませんが私により多くの、大きな力を与えることもできます」

 

「川は流れねば濁るが、大きすぎる流れは泥を巻き上げる。言葉通りだな」

 

そう呟くのは商人。

 

「いい言葉ですね。それで、私をどうしますか?個人的には殺されても仕方がないとは思いますが、ケト君には危害を加えないでいただけると助かります」

 

「いえ僕は別に……」

 

おっと、思ったよりケトは私を信頼してしまっているな?大丈夫かな。

 

「逆に言えば、金と協力する人が欠けていれば何もできない一人の人間ということだろう?」

 

頭領が笑い顔を作る。

 

「その通りです。色々やりたいのでお金をください」

 

「いいだろう。で、こちらとしては彼女を城邦の名の下で招きたいのだが」

 

「衙堂にとって欠かせぬ人間だぞ?」

 

「図書庫で働くこともできるが」

 

「給金であれば商会を通せば一番多く出せます」

 

おおっと、かなりスカウトを強く受けている。就職しなかった分の運が回ってきているのかな。ちなみに将軍補は黙っている。まあ今までの話だとあまり軍事系には進みそうにないと思われても仕方がないか。当然その辺の知識もいっぱいあるが、しばらくは黙っておこう。

 

「まずは文字版を完成させるべきでは?議論はそれ以降でもできるでしょう」

 

ケトが私の前に立って言う。まあ確かにそうだ。全員が笑い声を上げたが、目の笑っている人間は見た範囲ではいなかった。

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