図書庫の城邦と異哲の女史   作:小沼高希

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巡歴

「ああ、あの会か。それは大変だったな」

 

トゥー嬢は私にお茶を出しながら言った。

 

「知っているんですか?」

 

「私も呼ばれた事がある。まあ、あまりあの言葉を真に受けるな」

 

「へえ、それは薬学師としてですか?」

 

木の皮らしいものを煮出した液体はなかなかいい風味だ。ほんのりと甘く、酸味がある。知らない味だ。磁器のコップが実験に使われているものと同じ形をしているのには気がつかなかったふりをしておこう。

 

「いや……、まあ話してもいいか。ケト君。私の父の名前を知っているかい?」

 

「……ええ」

 

隣に座っていたケトが言う。おや。ケトが語るところによると一種の政治活動家だったらしい。地主としてある程度の財を蓄えた上で、図書庫の城邦の上層に色々やったそうだ。

 

「それで十年ほど前、最終的に彼の死によって争いは終わったとされています」

 

「ああ、大体その通りだ。そして、その一人娘の話は?」

 

「……知りません」

 

「父の葬儀の後、晩餐に呼ばれた。そこで問われたわけだ。我々に味方するか、さもなくば何もせず静かに暮らすか、と」

 

「それで?」

 

「遺産を引き継いで、篭って薬学に没頭すると言ったよ。それ以降は会っていない。もちろん作業に必要なものを売る商者は奴らの手の者だし、警戒はされているだろうけどね」

 

「……はぁ」

 

溜息を一つ。なるほど。ただまあ言質は取ったので活用させてもらおう。社交辞令は言ったもの負けなのだ。「発表しなよ」と懇親会で言われたので次の年度にスライドを作って全国大会に乗り込んだのは懐かしい思い出だ。

 

「まあ、辛くなれば話は聞く。何ならここで働いてもいい。研究ではなく商いをすればまあ、二人か三人であれば養えるだけの事はできるだろう」

 

「なんだかんだであなたも私を狙っていません?」

 

あっ邪悪な微笑み。そりゃまああの面子と渡り合った過去があるのだ。それも若い頃に。

 

「優秀な同僚はなかなか手にはいらないからな」

 

まあ、選択肢が多いのはいいことだ。どれかを断るのもいいけど、できたら全てを選びたいね。

 


 

「どうだったかね、宴は」

 

書字長の老婆が私に聞く。

 

「とても、楽しかったですよ。ありがとうございます」

 

皮肉が混じっていることは伝わっただろうが、書字長は楽しそうに笑うだけだ。うーん勝てる気がしない。

 

「それで、頼まれたもんはできとるよ」

 

ケトが書字長から受け取った紙には30の文字が薄い罫線の上に描かれていた。

 

「版を並べて刷るんだろう?それに合わせて作ったつもりだが、どうかね」

 

「実際にやってみないとわかりませんが、良いと思います」

 

高さが揃えられた、読みやすい文字だ。あまり複雑な部分はなく、加工も比較的容易だろう。それでいてこの格調を出すとは。いやこの世界のカリグラフィーについて特別な知識があるわけではないが。

 

「弟子の何人かに話をしたら、興味深いと言ってくれたよ。何かあったら頼るといい」

 

そう言って書字長は何人かの名前を教えてくれる。よし。かなり助かるな。

 

「……ところで、あなたが刷りたい本などはありますか?」

 

「文字を書く手引」

 

きっぱりと答えられてしまった。それを活版印刷で刷るのは何か本末転倒な気もするが。

 


 

工房の大工師、衙堂の煩務官、図書庫の講官が机を囲んでなにやら議論をしている。聞き漏れるところによると価格やら納期の調整らしい。大変なことで。支払いまで任せているので私は純粋に技術的側面に気を配ろう。

 

「それで、どうです?」

 

私は工師に聞く。

 

「型を毎度壊さねばならないのがな面倒でな」

 

「粘土型でしたっけ、今の方法は」

 

「ああ。ただ、失敗も多い。削って修正してしまえばいいが、手間がかかる」

 

私は息を吐く。

 

「金属の型を使いませんか?」

 

「青銅でなら作れるだろうな。だが内を磨き、取り外せるようにするとなるとかなり複雑にならないか?それと文字の数だけ型を用意しなくてはならない」

 

「こう考えましょう。文字の部分と本体の部分を分けてしまえばいい」

 

私がそう言うと、工師はしばらく黙った。

 

「この版は、今後も注文されるだろうか?」

 

「今の大きさからは変えるかもしれません」

 

「であれば、最初の数千字は今の方法で作ってしまってもいいのではないか?」

 

そう言われてみればそうだな。別に今の時点で大量生産にこだわる必要もないんだった。

 

「わかりました。その場合、手間賃がどれくらいになるでしょうか?」

 

「方法を改善すれば、多少は減らせるだろう。いま向こうで交渉が続いているが、たぶん大工師の言う値から少し下がる程度で済む」

 

「……次の注文ができるよう、全力を尽くします」

 

こういうところできちんと信用を積まなければならない。まあここで失敗すれば私には後がないのだが。

 

「わかった。それと金属の型についてだが、文字の型を作るとなると相当精密に作らねばならないのではないか?」

 

「木であれば削れましたが、あれを金属でとは考えたくないですね」

 

「何かいい方法はないかね」

 

「……こちらで少し、試してみましょう」

 

電気を使う方法だ。ヨハネス・グーテンベルク流であれば鋼鉄の父型で銅の母型を作るのだが、電胎母型法ではメッキを使う。ただ問題は発電方法か。電池を二つ使えば行けるか?ここらへんは実験しかない。

 

「そうか。春分までに、だったな」

 

「ええ。あと四月ほどですね」

 

「それまでに、最低限は形にしなければならない、と」

 

私は頷く。かなりハードなスケジュールになりそうだ。

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