図書庫の城邦と異哲の女史   作:小沼高希

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天才

舌に電流が走る。また失敗のようだ。

 

「……そんなに痺れていると、心配になります」

 

トゥー嬢がやっている電気分解の実験を手伝っているケトが、私を心配そうに見る。

 

「これさえ成功すれば痛みを伴わないですむから……」

 

今やっているのは銅線の絶縁だ。糸や紙でちまちま巻くのではなく、乾性油で表面をコーティングすればいいという発想。しかし問題がいくつかある。手に入る油や樹脂のなかでどれが適切かがわからないのだ。活版印刷機を弄っているチームが買った様々な材料を少し分けてもらい、それらしい配合で浸して炙ってちゃんと覆われているかどうかを試している。ちなみに覆われていないと回路がショートして私の口に入ってる銅線に電流が流れるというわけだ。

 

よく絶縁してくれるものは銅線を曲げると塗装がはげ、ある程度柔軟性があるものは強度が微妙だったりする。基本となる組み合わせすら試行錯誤だ。インクの場合はある程度答えを知っていたからよかったものの、今回は完全に未知だ。油分の多い木材から蒸留で得られた溶媒であったり、海を超えてやってくる珍しい種の油なんかを試して、なんとなくコツが掴めてきた。活版印刷機のインクの経験がかなり生きている。

 

「痺因の経路を途切れさせる必要がどこにあるんですか?」

 

「細工をしたいんだよ」

 

そうそう。ケトとトゥー嬢の議論によってひとまずこの現象は痺因と呼ばれることになった。*1直訳するなら「痺れの原因」である。そのまんまだ。まあ琥珀(ήλεκτρον)に由来していたかつての世界の電気(Electricity)に比べればわかりやすい。

 

こういう用語は科学の結果を知っている上で作らないと大抵ろくなことにならない。おおベンジャミン・フランクリン、世の電磁気学を学ぶ生徒からの呪いの声が聞こえないのですか。もちろん死んでいるので聞こえない。クルックス管によって電子の電荷がベンジャミン・フランクリンによって「負」と定められた側だったことが発見された頃にはとっくに彼は墓の下だった。逃げやがって。

 

とはいえ理論としての電磁気学をやるためにはどちらかを正と置かないといけない。まあ先に真空ポンプでも作ってしまう方がいいかもな。数学があまりできなかったマイケル・ファラデーでも実験はできた。真空ポンプに必要なものは水銀とガラス。あー、ガラスを低コストで多めに作らないとな。となると市場調査が必要だ。なんであんな高価なんだ?生産が独占されているからだろうか。

 

「……まあ、いいです」

 

「ところで、少し本格的に話したいことがあるんだけど」

 

「僕と、ですか?」

 

「んー、トゥー嬢も交えたほうがいいかな」

 

「まずは僕にだけ聞かせてください」

 

「それもそうか」

 

ケトが少し不満そうだが、まあ私が暴走するのはあまりいいことではないからな。反省しよう。

 


 

「それで、だ」

 

私はおつまみの揚げた木の実を食べながら言う。明らかに高カロリーで塩辛いが、これがいいのだ。ちなみにかなり値段は高い。

 

「私の存在を、どこまで秘密にするべきだと思う?」

 

「その必要があるんですか?」

 

「……天才によって、研究が進んだということにはしたくない」

 

これは完全に私の思想に由来するものだ。別に私がここから見て異世界の知識で好き放題やっても誰も咎める人はいない。全ての発明に権利を宣言し、全ての理論に先行であることを主張し、全ての完成品からマージンを得ることはできる。そういうことをやるとどうなるのかは、まあ記憶の中の歴史が説明してくれる。

 

トーマス・アルバ・エジソン。言わずと知れた発明王にして訴訟王。メディア戦略にも注力し、「メンロパークの魔術師」というイメージを確立した。あまり子供向けの伝記には書かれないが、性格はひどい。まあそのがめつさみたいなものが多くの発明品を産んだことは否定しないが。

 

あるいは17世紀の科学者、いや当時の呼び方では「自然哲学者」による争い。アイザック・ニュートンがロバート・フックやゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツといざこざを起こしていたのはよく知られている。もちろん適度な対立は批判的に議論を行うためには必要ではあるのだが、人格攻撃と理論への評価をちゃんと切り分けるのは訓練を積んでもなかなか難しいのだぞ?

 

そういう人物は、少なくない才能を生贄とする。それは私の目指すものではない。

 

「多くの兵士は英雄に憧れるものですよ」

 

「誰もが英雄になれるわけではないし、自分を英雄だと思っている人間ほど厄介なものもない」

 

「まあ、それはそうかもしれません」

 

「それと、後世の人に変な疑いをかけられたくない」

 

「死んでしまえば栄誉も侮蔑もないでしょう」

 

「私は歴史家だって言ったよね」

 

「ええ」

 

「数百年前の人物が、たった一人で、あらゆる分野に関わって、それでいて飛躍的な理論や技術の進歩をもたらしたとなにかに書かれていたとしたら?」

 

「作者の正気を疑いますね」

 

「そう」

 

まあ古代や中世の人物は結構話が盛られている。……いや、数学分野ではレオンハルト・オイラーとかカール・フリードリヒ・ガウスとかいうよくわからないのがいたな。ただそれでもたかだか数学と物理学だ。私が手を出せるのはもっと広い。

 

「……つまり、歴史から自分の名前を削りたいのですか?」

 

「私自身で何かを作ったり生み出したりするよりも、あくまで手助けという形にしたい」

 

「だからあんなにあっさりと文字版から離れたんですね」

 

「そう。きっと後世には私より煩務官の名前が残るよ」

 

そう考えると発明を煩務官のネットワークとかに帰させるのはありだな。ここらへんは政治との兼ね合いもあるので今度相談しないと。

 

「とすると、痺因を見つけたのもトゥー嬢ということにするんですか?」

 

「できればね。ただこれをやろうとすると彼女が忙しくなりすぎかねない……」

 

アントワーヌ=ローラン・ド・ラヴォアジエによる質量保存の法則が1774年。ドミトリ・イヴァーノヴィチ・メンデレーエフによる周期表の発表が1869年。この100年近くを数年か十数年でやろうというのだ。あれ、案外期間が短いな。ビタミンB12の全合成が1973年だと考えると本当にあの世界の発展速度が恐ろしい。まあ重要な飛躍要素である電気を作れたし、ルートはわかっているので比較的どうにかなるだろう。

 

「図書庫の人々が見つけ出したことにするのは?」

 

「あまり一箇所に集中するのもね。だから本が作りたかった」

 

「そういうことですか、納得しました」

 

「で、どうすればいいと思う?」

 

「いえ、だれも一人でこんな事するとは信じないので別に特になにかする必要もないのでは?」

 

「……そうかも」

 

この世界の科学史で、私はどういうふうに扱われるのだろう。それを知ることのできない理不尽さに少し苛立って、奥歯で木の実を噛み砕いた。

*1
読者の便宜を図るため、以降「電気」という単語を直接使うこともあるが聖典語あるいは東方通商語でこのような表現がされている場合は「痺因」という単語を置き換えているものだと解されたし

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